野球で「キャッチャー」「ショート」「センター」とともに「センターライン」を作り守備の軸を担うのがセカンドという守備位置での役割。
ショートと連携して「ピッチャー」の後方を守り、センターの手前から一塁後方までカバーするという広い守備範囲。
守備範囲の広さ、サインプレー、外野からの中継、試合の状況や相手選手に合わせて守備位置を調整するなど、適切な状況判断が必要なことから、ショートとともに高い守備技術が必要だとも言われています。
(次代のセカンドの名手は、我らが中日ドラゴンズの田中幹也選手でしょうけど(【2日連続幹也!!】好きになってまうやん【攻守に幹也!!】 (youtube.com) ))
守備範囲の広さ、サインプレー、外野からの中継、試合の状況や相手選手に合わせて守備位置を調整するなど、適切な状況判断が必要なことから、ショートとともに高い守備技術が必要だとも言われています。
(次代のセカンドの名手は、我らが中日ドラゴンズの田中幹也選手でしょうけど(【2日連続幹也!!】好きになってまうやん【攻守に幹也!!】 (youtube.com) ))
ただ、ショートに比べてセカンドは一塁までの距離が近いため、送球自体は難しいものではありませんが、サード、ショートとは違って動きが身体をひねるためにちょっと難しいと思いますが。
また、ほかの内野手に送球先を指示したり、外野手にキャッチャーからのサインを伝達するなど、守備の司令塔の役割を担うこともセカンドにはあるため、IQ(野球脳)の高さも求められるポジションです。
さて、自由民主党の小泉進次郎元環境相が2024年9月6日に東京都内の選挙事務所で記者会見し、党総裁選(9月12日告示、9月27日投開票)への出馬を正式に表明。
その前日の9月5日に訪れた神奈川県の聖光学院中・高の野球部員のまえで、「いまこうやって政治をやってても、自分の中のモットーは、迷ったらフルスイング。いい結果が出ても、そうじゃなくても、フルスイングすれば、思い切ってやれば、後悔は残らない。そんな思いでやってます」「迷ったらフルスイング」と自身の政治モットーを熱く語っていました。
3歳年上の俳優・タレントの小泉孝太郎さんの影響で小学2年生のときにソフトボールを始め、神奈川・関東学院六浦高まで野球を続けており、ポジションはセカンド。
自分が常に意識していたのは「危機管理」だったそうで(いまもそうでしょうけど)、試合中は360度に目を配り、ピッチャーとキャッチャーの配球で自分の守備位置を変える。外野にも指示を出す。ランナーが出ればけん制に入る。チームスポーツにおける役割分担の重要性は野球を通じて身に着けたそうです(ご本人)。
高校2年生のとき、元;中日ドラゴンズほかの松坂大輔さんがエースだった横浜高校と練習試合で対戦(松坂大輔さんは登板せず)、高校3年生のときには練習試合で同校に勝利したこともあるとのこと。練習試合で対戦したときには、「(プロ野球選手になった)後藤武敏さんのフルスイングの衝撃は忘れられません。サードを守っていましたが、あまりの迫力に身体に戦慄が走ったことを記憶しています」だそうです。
チームは1999年春の神奈川県大会でベスト8入りし、夏は第2シードという強豪。
最後の夏は初戦(二回戦)の小田原高戦に一番セカンドで出場し、3打数1安打2打点を記録し、5-0で勝利。三回戦では逗葉高に延長10回、2-1、四回戦では百合丘高を6-2で勝利し、ベスト16。
しかし、五回戦の南高戦では5点リードをひっくり返され、6-7の逆転負け。最後の打席は満塁でピッチャーゴロ・ダブルプレーに終わっており、「やっぱり最後、当てに行っちゃったんだよね。チームにも迷惑かけて。いまでも自分の中で小心残りです」とのこと。
ここから、「迷ったらフルスイング」ということなのでしょう。
自由民主党(自民党)総裁ともなれば、基本的に日本国の首相・総理大臣。人気的には小泉進次郎さんが自民党総裁になりそうな気配もあります。
「迷ったらフルスイング」でもいいのですが、言うこと、やることがフルスイングでの「空振り」ばかりになってしまわないように。
さて、現;自民党総裁で日本国の首相・総理大臣の岸田文雄さん。
ご存じの方も多いと思いますが、やはり元;高校球児。
ただ、中学校時代は軟式テニス部に所属しており、1973年開成高に入学後に野球部に入部。
1年生の夏はベンチに入れず、練習を積んでいたそうですが、同級生からも一目置かれるくらいまじめで、合宿も普段の練習もグラウンドが使えず野球ができない日もサボらず、「よろしくお願いします!」と元気よくあいさつをしてグラウンドに入る姿は野球部のなかで、いつしかモノマネをされるようになったそうです。
守備はセカンド。当時のチームメイトは、「飛びついて好捕ということはないけど、正面で止めて捕る、その基本をしっかりやる堅実なセカンドでした」とのこと。でも、送球には難があったようでして。
当時の監督に「監督責任」を問うと、「スローイングに難があったのは確かです」と言う。セカンドに任命した「任命責任」については、「外野と違って送球先も近いし、セカンドだったらエラーしても何しても、1個しか進まないだろうと。サードでエラーしたら二塁打になっちゃうっていう考えがあって、セカンドに起用しました。バッティングは下位打線だからなんとでもなるけど、守備は岸田くんのところにボールが飛ばないか、試合はヒヤヒヤしながらベンチで見ていました」だったそうで。
当時の開成高の3年生は受験などに専念するため、野球部の実質的な最終学年は2年生。最後の夏は一回戦で敗戦。試合内容はエラーをしたことぐらいしか記憶になく、敗れた瞬間、「終わったな」と感じ、頭が真っ白になったことだけ憶えているとのこと。
そして、ときは流れ、2023年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の東京ドーム開幕戦・日本 vs. 韓国の始球式で大暴投。
この約3年間、元;高校球児の首相の下での日本チームは試合中の指示ができず、しかも暴投ばかりで試合が壊されて守備交代。
また、ほかの内野手に送球先を指示したり、外野手にキャッチャーからのサインを伝達するなど、守備の司令塔の役割を担うこともセカンドにはあるため、IQ(野球脳)の高さも求められるポジションです。
さて、自由民主党の小泉進次郎元環境相が2024年9月6日に東京都内の選挙事務所で記者会見し、党総裁選(9月12日告示、9月27日投開票)への出馬を正式に表明。
その前日の9月5日に訪れた神奈川県の聖光学院中・高の野球部員のまえで、「いまこうやって政治をやってても、自分の中のモットーは、迷ったらフルスイング。いい結果が出ても、そうじゃなくても、フルスイングすれば、思い切ってやれば、後悔は残らない。そんな思いでやってます」「迷ったらフルスイング」と自身の政治モットーを熱く語っていました。
3歳年上の俳優・タレントの小泉孝太郎さんの影響で小学2年生のときにソフトボールを始め、神奈川・関東学院六浦高まで野球を続けており、ポジションはセカンド。
自分が常に意識していたのは「危機管理」だったそうで(いまもそうでしょうけど)、試合中は360度に目を配り、ピッチャーとキャッチャーの配球で自分の守備位置を変える。外野にも指示を出す。ランナーが出ればけん制に入る。チームスポーツにおける役割分担の重要性は野球を通じて身に着けたそうです(ご本人)。
高校2年生のとき、元;中日ドラゴンズほかの松坂大輔さんがエースだった横浜高校と練習試合で対戦(松坂大輔さんは登板せず)、高校3年生のときには練習試合で同校に勝利したこともあるとのこと。練習試合で対戦したときには、「(プロ野球選手になった)後藤武敏さんのフルスイングの衝撃は忘れられません。サードを守っていましたが、あまりの迫力に身体に戦慄が走ったことを記憶しています」だそうです。
チームは1999年春の神奈川県大会でベスト8入りし、夏は第2シードという強豪。
最後の夏は初戦(二回戦)の小田原高戦に一番セカンドで出場し、3打数1安打2打点を記録し、5-0で勝利。三回戦では逗葉高に延長10回、2-1、四回戦では百合丘高を6-2で勝利し、ベスト16。
しかし、五回戦の南高戦では5点リードをひっくり返され、6-7の逆転負け。最後の打席は満塁でピッチャーゴロ・ダブルプレーに終わっており、「やっぱり最後、当てに行っちゃったんだよね。チームにも迷惑かけて。いまでも自分の中で小心残りです」とのこと。
ここから、「迷ったらフルスイング」ということなのでしょう。
自由民主党(自民党)総裁ともなれば、基本的に日本国の首相・総理大臣。人気的には小泉進次郎さんが自民党総裁になりそうな気配もあります。
「迷ったらフルスイング」でもいいのですが、言うこと、やることがフルスイングでの「空振り」ばかりになってしまわないように。
さて、現;自民党総裁で日本国の首相・総理大臣の岸田文雄さん。
ご存じの方も多いと思いますが、やはり元;高校球児。
ただ、中学校時代は軟式テニス部に所属しており、1973年開成高に入学後に野球部に入部。
1年生の夏はベンチに入れず、練習を積んでいたそうですが、同級生からも一目置かれるくらいまじめで、合宿も普段の練習もグラウンドが使えず野球ができない日もサボらず、「よろしくお願いします!」と元気よくあいさつをしてグラウンドに入る姿は野球部のなかで、いつしかモノマネをされるようになったそうです。
守備はセカンド。当時のチームメイトは、「飛びついて好捕ということはないけど、正面で止めて捕る、その基本をしっかりやる堅実なセカンドでした」とのこと。でも、送球には難があったようでして。
当時の監督に「監督責任」を問うと、「スローイングに難があったのは確かです」と言う。セカンドに任命した「任命責任」については、「外野と違って送球先も近いし、セカンドだったらエラーしても何しても、1個しか進まないだろうと。サードでエラーしたら二塁打になっちゃうっていう考えがあって、セカンドに起用しました。バッティングは下位打線だからなんとでもなるけど、守備は岸田くんのところにボールが飛ばないか、試合はヒヤヒヤしながらベンチで見ていました」だったそうで。
当時の開成高の3年生は受験などに専念するため、野球部の実質的な最終学年は2年生。最後の夏は一回戦で敗戦。試合内容はエラーをしたことぐらいしか記憶になく、敗れた瞬間、「終わったな」と感じ、頭が真っ白になったことだけ憶えているとのこと。
そして、ときは流れ、2023年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の東京ドーム開幕戦・日本 vs. 韓国の始球式で大暴投。
この約3年間、元;高校球児の首相の下での日本チームは試合中の指示ができず、しかも暴投ばかりで試合が壊されて守備交代。
交代した選手の司令塔としての活躍はいかがなものか。守備固めとなるのか、それとも指示はださずにポエムをつぶやいてばかりなのか。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。