2021年が始まって、まだ間もない1月22日に非常にショックで悲しいニュースがありました。
新型コロナウイルス感染により自宅療養中だった30代の女性が亡くなり、残されたメモに、「周囲に迷惑をかけてしまったこと」などが綴られていたとのことです。
この女性の娘さんも感染が確認されたため、娘さんが学校で居場所がなくなるかもしれないと家族に相談していたとのことで、これらの不安が原因だったのかもしれないとのことのようです。
ほかにも、夫の感染による濃厚接触者として陽性が確認された30代の女性は、子どもたちも感染したことが確認され、子どもたちが学校などで感染を広めてしまったのではないかと、「感染までの行動を考えると、あそこでうつしたかもしれない、あの人にもうつしてしまったかもしれない……、考え始めると恐ろしくなり眠れません。いろんな方に迷惑をかけてしまったかもしれないと思うと、心苦しくなります……、コロナが感染したらすぐ死ぬ病気だったら、むしろ楽だと思います……」と思い悩んでいたそうです。
その後、この女性の家族は重症化することなく回復し、無事に社会復帰することができ、周囲で感染が確認されることもなかったそうですが、「もし、感染を広めてしまっていたら、生きていられなかったかもしれません」と、自分の身体のことよりも、周囲の様子が気になり神経をすり減らしてしまったそうです。
20代の方は両親と祖父と同居しており、家族全員が感染してしまいました。この方が所属するクラブ活動でクラスターが発生し、家族に感染した可能性が高いと考えられました。本人と両親は無症状だったそうですが、高齢の祖父が高熱を出し入院し、順調に回復したかと思われたのですが、様態が急変し、亡くなってしまったそうです。
祖父の入院中に面会することもできず、葬儀も家族3人だけで、十分なお別れの時間もなく、人付き合いの多かった祖父を生前交流のあった方たちと一緒に見送ってあげられなかったこともあり、「自分の所為だ」と考えているそうです。
私には、「よくわからないこと」であり、「よくわかること」でもあります。
「よくわかること」なのは、このような気持ちを抱いてしまうことであり、「よくわからないこと」というのは、このような気持ちを抱かせてしまう社会的風潮になってしまったことです。
たとえば、万が一にでも過失による交通事故などで他人を傷つけてしまったときにでも、一定の責任を負わなければならないのですが、新型コロナウイルスは、確信的に故意ではない限り、たとえ誰かに感染させてしまったとしても責任はないはずです。世の中に対して責任を背負い込まなければならないような状況になったのは、世間の「同調圧力」が強くなってしまったこともあるからだと思います。
同調圧力とは、「集団において、少数意見を持つ人に対して、周囲の多くの人と同じように考え行動するよう、暗黙のうちに強制すること」であって、日本には、「世間のルールが暗黙のうちに細かく決まっていて、それから外れることは許されない」という意識があることが要因なのかもしれません。
特に今の社会環境においては、新型コロナウイルス感染が日本で拡大してから、感染した方を特定したり、本人や家族が誹謗中傷に遭ったり、さらには「〇〇警察」といった相互監視があり、賛同が集まる意見に対して反対することが、さらに非難の対象となってしまうような、非常に息苦しい世の中になってしまったと思います。
2021年1月10日の朝日新聞に掲載された記事に、「健康より世間の目が心配」だと新型コロナウイルスに関する調査で67%の人が回答しています。
これは、私が考えるには、どちらかというと子どものころから、「ほかの人に迷惑をかけてはならない」というルールを教え込まれてきています。「迷惑をかける」ということは、これで否定することでもないと思いますが、よくよく考えてみますと、「ほかの人の世話になってはいけない」という考えにもつながっているのかもしれません。
人は誰しも病気になれば誰かの世話にならなければならないですし、年老いてくれば少なからずも、誰かの世話にならなければなりません。たとえ健康であったとしても、少なからずも誰かの世話になっていることは事実ですから、世話になること自体は、個人の問題ではないはずです。「周りに迷惑をかけて申し訳ないことはない」と思います。
私たちがすべきことは、身近に感染した方がいたとしても、過剰に気を遣わずにいられるよう、今までと同じに温かく接する姿勢を示すことだと考えます。
私たちが本来、守るのは命であって、守られるべきものも命であって、世間体ではないはずです。
あらためて、2度とこない今日という1日を大事に大切に過ごしたいと思います。
良いことはずっと続き、良くないことには、必ず終わりが来ると信じていきましょう。
今日も、私のブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございます。明日もまた、元気にここでお会いしましょう。