「雨が降ってきたからって走ることはない。走ったって、先も雨だ」
1867年12月10日の夜。
坂本龍馬さんは、京都の近江屋で襲撃を受けて暗殺されてしまいます(昔、京都へ出張に行ったときに、出張先の方がその場所へ連れて行ってくれたことがありました)。
旧暦では11月15日になりますが、この日は龍馬さんの誕生日。
襲撃されたときに残された物や、事件についての証言があるにも関わらず、未だに犯人はわかっていません。
日本史におけるミステリーの一つともいわれています(そのほかは「本能寺の変」「卑弥呼と邪馬台国」「聖徳太子」などが挙げられています)。
さて、「竜馬がゆく」は1962年〜1966年に産経新聞に連載された司馬遼太郎さんの長編小説です。
史実に基づいて書かれていますが、史実とは違う描写(いわゆる「司馬観」)もあり、ジャンルとしてはフィクションとしての扱いになっています。ちなみに、「竜馬」というのは、司馬さんが本物(?)の坂本龍馬さんと区別するためにつけた当て字。
一般的にイメージされている坂本龍馬さんは、この小説によって作り上げられたともいわれています。
さてさて、実は2023年11月、歴史教育の専門家が教科書で用いる用語についてさまざまなな案を示しました。その中で課題として挙げられたのが、坂本龍馬さん。
現在の教科書では、坂本龍馬さんは大政奉還を推し進めた人物として描かれています。大政奉還とは、徳川幕府15代将軍・徳川慶喜さんが政権を朝廷に返還した手続きのことですが、これは当時の土佐藩の重臣だった後藤象二郎さんと、坂本龍馬さんがともに藩主の山内家をとおして勧めたものだったというものです。
その根拠とされているのが、坂本龍馬さんが提唱したと言われている「船中八策」。
船中八策は江戸幕府が消滅したあとの日本がどのような体制で臨むべきかを考えたもので、これは坂本龍馬さんが土佐藩の船「夕顔」のなかで提案したと言われています。このときに考えた、平和的に日本を改革するための八つの策が、大政奉還でも活かされたというのです。
しかし、この船中八策は現在の日本史研究では後世の創作だという説が有力になっているそうです。
また大政奉還後、坂本龍馬さんは新政府綱領八策という文書を書いています。これは船中八策を簡略化したもので、「幅広い人材の登用」「有材の人材選用」「名ばかりの官役職廃止」「国際条約の議定」「憲法の制定」などですが、これも後世の明治新政府の政策に影響した形跡はありません。
しかし、この船中八策は現在の日本史研究では後世の創作だという説が有力になっているそうです。
また大政奉還後、坂本龍馬さんは新政府綱領八策という文書を書いています。これは船中八策を簡略化したもので、「幅広い人材の登用」「有材の人材選用」「名ばかりの官役職廃止」「国際条約の議定」「憲法の制定」などですが、これも後世の明治新政府の政策に影響した形跡はありません。
ただ、やはり坂本龍馬さんは当時の政治関係者からも重要人物として扱われていたのは間違いないそうです。
どちらにしても、幕末のヒーローであることは間違いはないでしょうけど。
「慌てることなく、急ぐことなく、じっくりと」
雨の日は、いくら急いでも、雨ですから。


本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。