11月29日未明にコロンビアで起きた、ブラジルサッカーチーム、シャペコエンセ選手らが搭乗していた航空機事故は日本でも大きくニュースで取り上げられました。
ただ、このニュースまでは、シャペコエンセというチームは恥ずかしながら、知り得ていませんでした。
チーム創設は1973年と比較的若く、1977年にブラジルサンタカタリーナ州選手権で初優勝したのが、クラブ初のタイトルです。
1978年にカンピオナート・ブラジレイロ・セリエAに初昇格し、51位、翌年は93位でシーズンを終え、セリエAから降格。2007年と2011年に州選手権で優勝を達成し、2014年に1979年以来となるセリエA復帰を果たしました。
シャペコエンセは地元の食肉生産会社がメインスポンサーにつき、小規模クラブなりの経営をしています。2016年の年間予算は約4500万レアル。人気チームのフラメンゴは約4億レアルとのことですから、約9分の1。それでもシャペコエンセは2014年にセリエAに再昇格以来、3年連続での残留を狙っていました。昨年、初の国際大会コパ・スル・アメリカーナに出場、アルゼンチンの強豪リーベル・プレートをあと一歩のところまで追い詰めるなど、結果を残していました。
米国の国家安全運輸委員会(NTSB)の調査によると、飛行機に乗った時に墜落する確率は0.0009%だそうです。これはあくまで全世界の航空会社総合の平均値であり、米国国内の航空会社のみの場合、確率は0.000032%とされています。日本国内の航空会社の確率は分かりませんが、米国はそう変わらないか、ニュースを見ている限り、もっと低い数字かも知れません。
ちなみに、野球場でホームランボールをつかむ確率は0.026%とのことですから、いかに飛行機の墜落事故の確立が低いかわかると思います。
近年はスポーツの国際化が進み、国から国へ、都市から都市へと長距離移動が伴うことが多くなっています。特にサッカー界はこれまで、何度も悲しい事故に直面してきました。
1949年5月4日の「スペルガの悲劇」では、イタリア1部リーグで黄金期を迎えていたトリノの選手らが搭乗したチャーター機がトリノ郊外の丘陵地帯、スペルガの丘に墜落。選手18人を含む31人が命を落としました。
1958年2月6日には、ベオグラードでの試合を終えたイングランドの強豪マンチェスター・ユナイテッドの選手や関係者らを乗せたチャーター機が、給油のために立ち寄ったドイツ・ミュンヘンの空港で離陸に失敗。機体が大破し、選手8人を含む23人が亡くなり、「ミュンヘンの悲劇」と呼ばれました。
1993年4月27日には、ワールドカップ予選のため、アフリカの強豪ザンビア代表のメンバーを乗せてセネガルへ向かっていた航空機がガボン沖に墜落し、多くの犠牲者を出した。
野球界では一度に多くの選手を失う事故はありませんでしたが、1972年にMLBピッツバーグ・パイレーツの名選手、ロベルト・クレメンテさんが大地震が発生したニカラグアへの救援物資を運ぶ際にカリブ海へ墜落して、事故死。2006年にはニューヨーク・ヤンキースのコリー・ライドルさんが自家用飛行機を操縦中にマンハッタンの高層マンションに激突して、命を失っています。
日本のプロ野球では、50年近く前からリスクを避けるために長距離移動の際は選手が分乗するようにしているそうです。2月1日のキャンプインを初め、シーズン中の長距離移動などでは2手に別れて移動することが多いそうです。読売ジャイアンツでは北海道や九州に移動するときは2便に分け、広島東洋カープなどは空路と陸路に分乗しています。
費用や手間もかかりますが、最悪の事態を想定しながら、チームとして移動手段を考えているそうです。
ただ、日本シリーズでカープが札幌への移動にチャーター機を準備したのには違和感がありました。全員が一度に移動したとは思えませんが、安全になれてしまうと、安全慣れしてしまっているように思えました。
リスクマネジメントというと大げさに感じるかも知れませんが、会社でも、私生活でも同じですよね。
今回、シャペコエンセを指揮していたのは、2009年にヴィッセル神戸で監督を務めた経歴を持つカイオ・ジュニオールさんでした。ジュニオールさんは、偶然にもは前日に受けたインタビューでこう語っていました。
この言葉を聞いて私も、こう生きていたいと思いました。その言葉とは・・・
「私が明日死ぬことがあっても、私は人生で望むことはすべて叶えたので、幸せに死ぬことが出来るだろう」
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