頂点にはあと一歩、届きませんでした。初優勝を狙った佛教大は今秋ドラフト1位候補の明治大・森下選手を攻略できず、準優勝に終わりました。それでも大学として、さらに京滋大学野球連盟としても過去最高の成績は立派なものです。
佛教大学硬式野球部を率いる田原完行監督は「ここまで残らせてもらうことは予想だにしなかったが、何かを得て京都に帰りたいとチームで話していた。こういう形で最終日まで野球をすることができたし、これを今後に生かさないといけない」と話しています。
佛教大は、1949年に設置された京都府京都市北区に本部を置く日本の私立大学です。
江戸時代初期に浄土宗が江戸で定めた関東十八檀林(江戸時代初期に定められた関東における浄土宗の僧侶の養成機関・学問所の18ヶ寺)の流れを汲んで、1868年(明治元年)に知恩院山内に設けた仏教講究の機関 (1871年に勧学所) が前身です。その後、教学の振興と僧侶の育成を担う浄土宗の高等教育機関として発展し、学制の改革による統合・独立によって何度か校名を変更し、専門学校令による高等学院が1912年(大正元年)に設置され創立としています。1913年(大正2年)に佛教専門学校(略称は、佛専(ぶっせん))。と改称、1949年(昭和24年)に新学制により佛教大学に昇格しました。
なお、1922年以前に「仏教大学」と称していたのは現在の龍谷大学であり、現在の佛教大学とは無関係です。
名称のとおり仏教を建学の理念としている大学で、学則の第1条に「仏教精神により人格見識高邁にして活動力がある人物の育成を目的とし、世界文化の向上人類福祉の増進に貢献することを使命とする」と明記されています。元々が僧侶養成の機関であるため、全学科で浄土宗教師と浄土宗開教使の資格が取得可能できるそうです。
さて、野球部を率いる田原監督は奈良・五條高、桜井高など高校野球の監督を長く務め、2016年4月から指揮を執っています。
実は桜で有名な吉野に近い、奈良県吉野郡の浄土宗妙楽寺で住職を務めており、お坊さん監督なのです。
指導について、
「仏教の教えは、なかなか役に立つんですよ」「執着があるから、悩みがある」「野球はゴルフと同じで、プレーが止まってまた始まるスポーツ。精神的なものがすごく影響すると思ってます」「ゴルフで言えば、これを決めたら賞金何千万円というパットも、普段のパットも同じように決められるように、ということです」
と言い、勝利への「執着」が強すぎると心が揺れ動き、普段通りのプレーをすることができないと言います。だからこそ、選手に説くのは、初回から9回まで一定の精神状態で1試合を戦うことを理想としています。
「話がうまくて聞きやすい。上から目線でもない」と選手は言います。目線は低く、部員のあいさつには、足を止め帽子をとって答えるそうです。声を荒らげるようなことはめったにないそうで、選手の自主性を重んじるとのことです。
橿原高、佛教大で野球に打ち込み、奈良県の教員になりました。高校野球の監督として長く高校球児の指導に情熱を注いできました。
「自分の力でなんとか甲子園に、と必死で。家庭を顧みず、365日、野球ばかり。青い時代で、赤面することが多いです」
32歳の時(現在;59歳)に父を亡くしてからは、実家の妙楽寺の住職も兼ねています。唯一の甲子園経験は桜井高のコーチとしての2013年の夏でした。2014年から佛教大のコーチに転じ、2016年春に監督に就任しました。現在は、近鉄電車で片道約2時間かけて京都での練習に通っているそうです。
「(高校の)トップレベルの選手が来るリーグ、大学ではない。だからこそ何を目的とするのか。野球をとおして社会に出て、名前を呼ばれるようにしようと話している」
人間形成に主眼を置く指導をしているそうです。
「全国大会での成功は初めて経験すること。これを持って帰って消化しないとバチが当たりますね」