私のブログにお越しいただいてありがとうございます。新型コロナウイルスによってお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、罹患された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
また、日々新型コロナウイルスと戦っている医療関係など、私たちの命と生活を守るために働いてくださっている関係者の方々に、心からの敬意と感謝いたします。
どうか、みなさまとご家族、関係者の方がご健康であっていただければと思っております。1日でも早く流行が終息の方向に向かうことを願っております。
池:空前絶後のぉぉー! 超絶孤高のピン芸人! 笑いを愛しぃー! 笑いに愛された男!
登場直後の自己紹介ネタがあまりにも強烈な印象的すぎる、日本のお笑いピン芸人・サンシャイン池崎さん(本名:池崎慧〈いけざき さとる〉)。実家は鹿児島県でタバコの栽培・製造業をしています。保育園の頃、お父さんのタバコの火の不始末で経営していた工場が火事に遭ったことが2回もあり、その影響から「貧乏だった」と話しています。
さて、日本政府は5月25日に2020年度2次補正予算案策定に向けた詰めの作業に入りました。新型コロナウイルス対策の追加で事業規模は1次補正予算と合わせて200兆円を超える見とおしですが、数字が大きすぎてピンときません。
これに先立ち安倍晋三首相は、「国内総生産(GDP)の4割にのぼる空前絶後の規模。世界最大の経済対策で100年に一度の危機から日本経済を守り抜く」と強調しました。
「空前絶後」の「空前」は「前に空(むな)しく」で、その前には例がないという意味、「絶後」は「後は絶えて」で、その後も例を見ないという意味です。つまり、「それまでには例がなく、その後も例を見ない」という意味であり、中国の北宋時代 (960年〜1127年)故事に由来しています。
ただし、「絶対に後がない」という意味ではありません。
さてさて、これまで一発芸は時代とともに廃るイメージがありましたが、一発芸だとしても世の中に強烈なイメージを残したということは、大したものだと思いますし、その努力は並大抵のものではないでしょう。特にネタの伝え方が上手いです。ネタを効果的に伝えるために、「強い言葉」を作る工夫が最大限までできているからこそ、世の中でウケるのだと思います。
強い言葉を作るためには5つの技術があるそうです。
サプライズ法:言葉のインパクトを高める手法。たとえば、「!」を付けたりなど
ギャップ法:正反対の意味のワードを対比させて用いる手法。たとえば、「これは私の勝利ではない。あなたの勝利だ」など
赤裸裸法:身体の反応を言葉に変えて印象を強くする手法。たとえば、「くちびるが震えてる。あなたが好き」など
リピート法:言葉を繰り返す手法。たとえば、「会いたくて会いたくて震える」など
クライマックス法:その後の話を印象的にする手法。たとえば、「ここだけの話ですが」など
池崎さんはネタの中でこの5つの手法をすべて使っていることもあり、ただ、叫んでいるだけではなく、印象が残るのだそうです。
サプライズ法:常にハイテンション。さらに、「空前絶後」「超絶怒濤」といった大げさな言葉選び
ギャップ法:「笑いを愛し、笑いに愛された男」という対比表現
赤裸裸法:胸の筋肉の盛り上がりを強調
リピート法:自己紹介で名前を言いそうで言わない
クライマックス法:「そう、我こそは」で間を空けてから次のセリフを言う
池崎さんは中学生時代は卓球部(県大会出場経験あり)で、高校生時代はボート部(県大会2位、九州大会出場経験あり)で活躍。大学卒業後は就職せず、2005年4月にワタナベコメディスクールに入学。卒業後は大学で知り合った親友とコンビを組んで活動をししましたが、2007年9月に解散し、後はピン芸人として活動。
2013年頃までは、「センスのある奴と思われたいという邪心がどこからかあった」ということで中途半端な感じだったそうですが、吹っ切れて、今の芸風に至ったそうです。ただ、ネタ作りは芸風のハイテンションとは真逆で、一人で悩んだり作家と相談したりというような地味な様子だそうです。
それでも、自分の強い言葉で発し続け、身長から体重、長所から短所、アルバイト、本当かどうかわからない貯金額まで話してしまう丸裸な自己紹介とハイテンションの芸風が話題になったのです。言葉を磨き上げてきたからこその成功があるわけです。
池:漫才、コント、落語、すべての笑いの生みの親・・・そう、我こそは・・・
さてさてさて、先日、非常事態宣言解除について、一国の首相からのメッセージ放送がありましたが、あまり印象が残らなかったのは、自分の強い言葉で発せられなかったからなのかと思います。台本(原稿?)にない、質問の対する応えの方が印象に残ります。これは、副総理の放言も本音という自分の強い言葉だというのは、何とも言えない状況ではありますが・・・。
♬最後には 笑えるように
日は沈んでも、また、今日も日が昇っています。たとえ、雲で隠れていたとしても。
最後には 笑えるよう、自分の歩むべき道を見つけることができるように、新しい朝を迎えたいと思います。
また、明日、ここで、お会いしましょう。