第二次世界大戦で
ナチスは ヨーロッパ中で
芸術品を盗み出します
戦争の転機で
ナチスの撤退が余儀なくなった時
ロシアは 戦勝品として 自国に持って帰ってしまったのだけど
米国では それらの芸術品を 持ち主に返す
ミッションを訴える人物がいた
いつもの『米国は偉いぞ』という宣伝映画だ、と言ってしまうのは
簡単なんですが
でも これは
米国という国 としての映画じゃなくて
個人としての映画なんですね
個人が勝手な事をするのを許せる国
そこが 米国の良い所なんだと思います
そして 個人を称える映画を作る為には
国として 政府としての役割は
批判的にならざるを得ない
それが 日本では 英雄物が作れない理由なんだと思います
例えば 日本政府は今 杉原千畝 さんを
英雄として 国際的に認めてもらおうとしてますが
彼が何故偉大だったのかを 語る為には
日本政府が 彼にした仕打ちも報じなければならない
それは嫌だから、表向きは 日本政府も彼を支持した、って事にする
てことは、彼は 当時(政府として)当然の事をやっただけなので
ほぼ世界中の国家官僚は基本的にナチスの敵であり ユダヤ人の味方だったので
全然 珍しくも偉くも無い って事になってしまう
この映画も
米国政府のサポートを強調したなら
最初 Claire Simone(Cate Blanchett)が
全く米軍兵士を信用しなかったように
米国政府が 名画を探して
米国の美術館に持ち帰るミッション
になってしまうし
米国政府が 米軍を使って 名画を他国の人々に返すミッションだったら だったで
そんな事に米軍(米国民)を使うな!と米国民が許す訳が無い
実際
米国政府は このミッションには反対で
『やりたいなら 勝手に自分達でやりなさい』という姿勢
命懸けで 名画を救った 彼等には
「命を犠牲にするまでの価値が あったのか?」と冷ややか
果たして これが日本で出来るのか?
日本にも数々の英雄がいて
数々のドラマがある
だけど それを国民は知ることが出来るのか?
政府が自分たちに都合の悪い部分を隠す為に
日本の英雄達も葬り去られている
ちなみに杉浦さんは
当時から 日本政府の反対を押し切って 独断での行動
戦後も 階級を全て剥奪され
非常に貧しい余生を送り ご家族も随分苦労された
イスラエルから 杉浦さんを訪ねてきた人物には
外務省は
「杉浦など 知らない」と言い捨てた
こういう事実を全て理解していないと
いかに 杉浦氏が 偉大な人物だった、という事が分からない
彼は 当時から そういった事を全て理解した上で
自身と家族を犠牲にしてまで
赤の他人の為に ビザを発行し続けた のだから
って視点で
見ると ノンフィクションの映画は
もっと楽しめると思う