自分の時間に優先順位をつける
1日は24時間です。良く言われることですが、その全人類へ平等に分け与えられた有限な時間をどのように使うかで自分自身と他者に違いを生むことができます。同じ1時間でも読書しても良いし、ぼーっとしても良いし、電話をしても良いしです。ようはその費やした時間に後悔しないなら、全く問題ないことだと思います。必ずしも読書>ぼーっとしている時間とはなりません。
一つ確かなことは、何も考えないまま何となく過ごす時間が多くなると、得られるものがさほど増えていきません。忙しさに追われて自分を振り返る時間がないことも問題ですが、それよりも何となく過ごす時間が多くあることを危惧します。これに加えて考えている振りであったり、悩んでいる振りの時間も同様に得られるものがさほど増えるとは思えません。これのやっかいな所は答えに至るプロセスを踏んでいると錯覚してしまうことです。あれがこうだ、これがあーだと考えていると頭を使っている風になるし、少なくともその事項に対して頭を使っているのでやっている感を得ることができます。しかし同じことに繰り返し悩んでいても、何も解決には至りません。かと言って解決に向けた具体的な行動を起こすわけでもないので、何も物事は前に進まず、ただ時間が過ぎていくだけです。
ただ何となく過ごしてしまう、または過ぎてしまう時間を減らすにはどうすればよいのか?私は読書とメモの書き出しと睡眠だと考えております。言い換えるとインプット・アウトプット・休息です。読書は自分の知らないことを発見したり知っていることをより肯定できたり、今ある時間をただ過ぎ去るものとしないために有効です。またメモの書き出しは、頭の中でグルグルと周っている考えを視覚的に整理することができます。最後に睡眠は心身のリセットとなり、悩んでいたり考えがまとまらない事柄も寝て起きると覚悟が決まっていることもあります。何より精神的に疲れても、肉体的に疲れても自分自身を正しい判断へ導くことは困難です。
では私は上記の3つをできているかというと、ほとんどできておりません。。。特に睡眠は最優先で削ってしまう傾向があります。やらなくてはいけないことを目の前にしても、何か別のことに目を向けてダラダラといらない時間を過ごしてしまいます。それでもやらなくてはいけないことは目の前からなくならないので、結果的に期日ギリギリに徹夜して提出することが多々あります。また私はどこかで少々寝なくても大丈夫という感覚があります。それは何か証左があるわけではなく、今までそうだったからという最も危険な判断に基づいています。睡眠以外は読書に関しては、ようやく少し身についてきたと思えます。常にカバンの中に書籍を入れて、いつでも開けるようにしています。少し時間がありそうな時は取り出して少しずつでも読んでみます。メモの書き出しについては、PDCAノートをつけておりましたが、最近は手を離れてしまっております。やった方が自分自身にとって有益だと分かってはいるのですが、どこかで面倒くさいという感情が勝って結局手つかずとなっております。
自らにとって重要だと捉えている3要素を改めて認識し、1つ1つ取り組めることから再度はじめます。