皆さん、こんばんは。
今朝の東京は見事に晴れ上がりました。
空気も澄んで天が高く感じられます。
気温もそれなりに下がってきましたので、都心の紅葉・黄葉も一気に進むのではないでしょうか。。。
東京駅丸の内正面の行幸通りの銀杏並木
(本格的な黄葉はこれからです)
**************
それでは、昨日(11月10日)の大阪散歩の続きです。
写真が少し多めですので、サクッとご覧ください。
ビルからの展望
訪問先の中之島のビルから素晴らしい展望を楽しむことが出来ました。
北西方面。六甲の山並みが見えます。
北側の大阪駅方面。
大阪湾方面。下を流れるのは土佐堀川です。
用件を済ませ、中之島の川辺をトコトコ歩いて大阪駅に戻ります。
水路と青空とビル群のコントラストが秀逸ですした。
水の都、大阪
ヴェネツィア、アムステルダム、蘇州、、、
世界に水の都と呼ばれる都市は数々ありますが、ここ大阪は日本を代表する水都と言えるでしょう。
且つて世界最大級の都市だった江戸は〝大江戸八百八町〟で知られますが、大阪はその橋の多さから〝浪華八百八橋〟と呼ばれていたそうです。
川沿いに欅の遊歩道が続いています。
土佐堀川に架かる肥後橋。立体高架は阪神高速池田線です。(上流の錦橋から)
土佐堀左岸の住友本館。この界隈は「住友村」と呼ばれています。
北の堂島川と南の土佐堀川に挟まれた中洲が「中之島」です。
写真の右手が中之島となります。
中之島
(以下、ウィキペディアより要約抜粋)
中之島の開発は大阪の陣後、大坂屈指の豪商、淀屋(淀屋常安)によって1615年(元和元年)に始まった。
淀川(現・旧淀川)本流の中洲である中之島には諸藩の蔵屋敷が集中し、全国各地の物資が集まる「天下の台所」大坂の中枢を担った。(中略)
明治になると諸藩の蔵屋敷は払い下げられ、商業の中心地としての役割だけでなく、中之島図書館や中之島公会堂等の文化施設や大阪帝国大学(現・大阪大学)を始めとする学校や病院が建設され、近代商都大阪における情報と文化の発信地となった。
土佐堀川に架かる「淀屋橋」
淀屋橋を通る道が「御堂筋」です。
淀屋橋北詰から上流側
中之島の大阪市役所
市役所の向かいは日本銀行大阪支店です。
堂島川の北側は北新地となります。
御堂筋と新御堂筋が分岐する「梅新南」の交差点。
御堂筋の西側一帯が北新地です。
お初天神の入り口と梅田OSホテル。懐かしい~
阪急百貨店
JR大阪駅
阪神と阪急を繋ぐ歩道橋からの大阪駅前通り。
2025年の大阪万博に向けた準備が着々と進んでいるのでしょう、25年前は何やら猥雑な雰囲気を残していた大阪駅周辺も、今やすっかり垢抜けていましたーーー。
垢抜けた大阪駅の通路
その後、大阪駅からタクシーに乗って次の目的地に向かいましたーーー(つづく)
ー予告ー
大阪でトコトコ(3)
~大阪城公園~
乞うご期待!!
(本日も最後までご覧いただき有難うございました)