皆さん、こんばんは。
2月21日、火曜日。
今日は一日在宅勤務。
快晴で風の強い一日でした。
コロナの第8波も治まって、マスクを外す外さないの議論が聞こえてきますが、コロナと同時に一気に普及したこのテレワークは、これからどうなっていくのでしょう。。。
第一線を引いた身としてはとても楽なので、このまま定着して欲しいものです。
************************
通勤散歩余禄
通勤散歩の日本橋川橋巡りも昨日で4回目となり、残りの橋はあと6本となりました。
記事をお読み頂いている皆様には感謝で一杯です!
んが、、、
そもそも、日本橋川ってどんな川??😑
名前から「日本橋」の下の川かな、と察することは出来ますが、東京に馴染みのある方でも、日本橋川について知っている方は少ないのではないでしょうか。
(かく言う自分がそうでした・・・😅)
そこで、、、
今回は、全ての橋を巡り終える前の余禄として、肝心の日本橋川について早わかりでご紹介したいと思います。
内容はWebからの寄せ集めですので、間違いや曲解がありましたらご容赦ください。
早や分かり、日本橋川!
早や分かり其の一:基本情報
日本橋川(にほんばしがわ)は、東京都千代田区および中央区を流れる流域面積4.4平方キロメートル、河川延長4.8kmの一級河川です。
JR中央線水道橋駅付近で神田川より分かれ、下流で亀島川を分派し、永代橋の上流部で隅田川に流れ込んでいます。
隅田川に流れ込む日本橋川の河口と豊海橋
早や分かり其の二: 橋
日本橋川に架かる橋は現在27本あります。
その内の2本が鉄道橋ですので、歩いて渡れる橋は25本となります。
(日本橋クルーズのガイドマップ)
早わかり其の三:川の歴史
川の歴史を大雑把にまとめてみました。
① 日本橋川は、元を正せば現在の神田川の原型で、井之頭池を源流として水を集め日比谷入江に注ぐ平川という大きな川でした。
② 徳川家康の入府後、平川は江戸前島を横切って開削された道三堀に導かれ、江戸湊(現在は隅田川)に注ぐ流れに替えられます。
慶長8年(1603)、江戸幕府開幕
道三堀に日本橋が架けられ、五街道の整備も進んでいきます。
③ 江戸城拡張のため、日比谷入江が埋め立てられます。
④ 江戸市中の治水と飲料水確保の為に本郷大地を開削して平川の川筋を東に延ばし、大川(隅田川)に注ぐ水路が造られます。(これが今の神田川です)
その際に元の平川の本流は堰き止められ、現在の堀留橋の付近まで埋め立てられました。
江戸時代に行われた川の筋替えについては、「りえおばさんのたんかめも、#講義ノート、東京の変遷」に掲載されている図がとても分かりやすいので、以下に引用させて頂きました。
図①:平川の元の流れ(1590年頃)
図②:道三堀に筋替え(1592年頃)
図③:日比谷入江が埋め立てられます。
図④:東に流れる水路が開削され、旧川筋が埋め立てられました。(1620年頃)
江戸古地図(1860年代)の堀留
➡部分で川が途切れています。
時代が変わって明治36年、改めて掘削されて神田川に繋がる水路として復活し、名前も「日本橋川」となりました。
江戸から近代にかけ、川の両岸には河岸が点在し、流域は経済・運輸・文化の中心として栄えたことは誰もが知るところです。
日本橋の賑わい
木曾街道 続ノ壱 日本橋 雪之曙(渓斎英泉筆)
明治時代の日本橋川
(ウィキペディアより)
戦後の復興期に川筋に首都高高架が建設され、大部分が「空の無い川」となってしまいましたが、現在「日本橋の空復活プロジェクト」が動き出していることは、以前の記事で取り上げた通りです。
日本橋の空
さて、、、
こんな日本橋川で歩き残す橋はあと6本。
川の歴史に思いを馳せながら、じっくり楽しみたいと思います♪
本日もご訪問頂きまして有難うございました。