2024年8月23日、金曜日。 うす曇り。
湿度はありましたが暑さは一服。
少しだけ処暑を実感できた一日でした。
今週は都心でも激しいゲリラ雷雨が発生し、道路や駅の冠水騒ぎが続きました。
水曜日には勤務先一帯が豪雨に見舞れましたが、私は直前に退社していましたので、間一髪で濡れずに済みました!😅
その時の虎ノ門ヒルズの写真がコチラ☟
港区上空に黒雲が立ち込め、空とビルの明暗が逆転した光景に目を奪われました。
これ、間違いなく2024年の記憶に残る写真の一枚になりそうです。
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#山の記憶
お盆前の奥多摩歩きの続編です。
氷川への根岩越えの前、その起点となる白丸集落をぐるりと散策しました。
JR白丸駅の上部に開けた集落の一帯は明治中期まで「白丸村」と呼ばれ、現在では奥多摩町にある15の大字(おおあざ)の内の一つとなっています。
天空の白丸集落
8月11日、
鳩ノ巣から白丸ダム湖の湖畔を歩いて白丸集落に向かいました。
集落はダム湖北岸の山腹にあります。
最初に、集落の西端にある数馬の切り通しに立ち寄りました。
数馬の切り通し
江戸時代に開削された切り通しです。
切り通しの入り口近くに「渓山」という陶芸の工房がありました。
ろくろを回しているご主人に「お邪魔じゃありませんか?」と声をかけ、暫しの歓談。
40年前に岐阜の多治見から移住して来たそうで、よくよく聞けば、氷川の呑み屋の常連さんでした。
集落を通る「川合玉堂も愛した白丸散策コース」を歩きました。
奥多摩を愛し、御岳で晩年を過ごした日本画の巨匠 川合玉堂は、終戦前の一時期、白丸で疎開生活を送ったそうで、
白丸ゆあふぎ親しみ日数経て
おのが天地とおもふにいたれり
という歌を残しています。
玉堂も歩いたであろう石畳の径
蔵と芙蓉
傾斜に建つ民家の屋根
本栖神社
毎年、8月第三週の日曜日に獅子舞いが奉納されます。
本栖神社の狛犬
狛犬が見下ろす集落の風景
奥に見える尖峰は海澤の天地山(981m)で、川合玉堂は「奥多摩槍」と呼んだそうです。
「丸の内」と呼ばれる集落の中心地
山間に不釣り合いに見えるビルは、特養ホーム「グリーンウッド」です。
YouTubeでご覧下さい。☟(25秒です)
集落下の小さな白丸駅からは思い付かない程広くて明るい山間集落で、かつて巨匠がこの地を愛したというのも頷けます。
白丸駅
奥多摩駅の一つ手前にある昔からの無人駅で、白くて丸い待合室がシンボルです。
(2024年5月撮影)
この後、
「根岩越え」で氷川に向かいました。
山行記録をヤマケイオンラインにUPしましたので、時間と興味のある方はご笑覧下さい。☟
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