4月12日、水曜日。 晴れ。
大谷選手の登板日に合わせた訳ではありませんが、今日は在宅勤務でしっかりテレビ応援が出来ました~♪
祝、大谷選手 ⚾ 今季2勝目!!
6四死球を出してハラハラしましたが、終わってみれば7回92球で1安打6奪三振の無失点。
女房役のオホッピーのホームラン援護に、後続も踏ん張ってエ軍が完封で逃げ切りました!
次もこの調子で頼みまっせ~!😄
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両国橋
昨日の通勤散歩記事の続きです。
回向院から両国橋に向かいました。
渡るのを楽しみにしていた橋です♪
橋を渡る前にーーー
先ずは、両国橋の歴史など。。。
両国橋の生い立ち
江戸時代、大川(隅田川)に2番目に架けられた橋です。
三代将軍家光の頃まで、江戸城市防衛のため大川に架かる橋は上流の千住大橋のみでしたが、四代家綱治世の明暦の大火の際、河岸で逃げ場を失った数万の市民が焼死、溺死したことを重く見た幕府は、此処に94間(約170m)、幅4間(約7m)の大橋を掛けました。
当初「大橋」と呼ばれたこの両国橋は、大川の両岸を結ぶ往還として本所、深川の発展に大きく寄与すると共に、「火除地」として設けられた両国広小路には仮設の茶店や見世物小屋が立ち並び、大変な賑わいだったそうです。
浮世絵に当時の賑わいを知ることが出来ます。
葛飾北斎
「冨嶽三十六景色 御厩川岸 両國橋夕陽見」
歌川広重「両国橋大川ばた」
歌川広重「両国花火」
歌川貞房「東都両国夕凉之図」
(いずれも国立国会図書館HPより)
最後の木橋
橋は江戸時代を通じて何度も架け替えられましたが、明治8年(1875)に木橋としての最後の架け替えが行われました。
明治時代の最後の木橋
この木橋は明治30年夏の花火大会の最中に欄干が崩落して多数の死傷者が出たことから鉄骨橋に架け替えられることになりました。
トラス式3連桁橋
新しい鉄骨橋は長さ164.5m、幅24.5mの曲弦トラス3連桁橋で、明治37年に開通しました。
明治のトラス式鉄骨橋の姿
この橋は関東大震災でも無事でしたが、他の隅田川橋梁群の復興事業に合わせ、昭和初期に現在の橋に架け替えられました。
因みに、その際、取り払われた3連トラスの内の1連を、幅や高さを詰めた上で再利用したのが、今の亀島川の南高橋だそうです。
現在の両国橋
昭和7年(1932)竣工。
橋長 164.5m、幅員 24.0mの3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋で、完成当時は言問橋・天満橋と共に「三大ゲルバー橋」と呼ばれたそうです。
架橋直後の現両国橋
右奥に旧国技館のドームも映っています。
では、、、
現役の両国橋を渡ります!
道は国道14号(靖国通り・京葉道路)です。
川面が鏡の様でした。
上流のJR鉄橋に総武線が通過します。
中央が緩やかに盛り上がった美しい橋です。
上流側の間近に神田川が流れ込んでいます。
上流側の眺め。
橋の西詰からは靖国通りとなります。
浅草橋交差点
道の広さにかつての両国広小路が偲ばれます。
JR馬喰町駅を横に見ながら、、、
東神田交差点を通過
神田から銀座線に再乗車して会社に向かいました。。。
両国橋界隈は見どころ満載。
歴史を知って歩けば、楽しさ倍増です!
本日もご訪問頂きまして有難うございました。