在宅勤務だった昨日の夕方、ちょいとテレビを点けたら、BS朝日で忠臣蔵 (2004年制作)をやっていたので、思わず視てしまいました。
場面は丁度、大石内蔵助が討ち入りの直前、赤坂の三次藩浅野土佐守下屋敷に瑶泉院を訪ねる、彼の有名な「南部坂雪の別れ」。。。
ここで詳細には触れませんが、、、
大石内蔵助(松平健)と瑶泉院(櫻井淳子)、戸田局(野際陽子)のやり取りに思わず目頭が。。。
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・・・という訳で、
今朝の通勤散歩は、迷うことなく「赤坂の南部坂」に向かった次第であります。。。
朝焼けの六本木からトコトコ
6:47の六本木交差点から出発。
六本木ヒルズが朝焼けで染まっていました。
六本木通りの一本西の裏通りを進みます。
左手一帯はアメリカ大使館の職員宿舎です。
キントラノオ(金虎の尾)でしょうか。
初めて見掛けました。
路地の奥にぽつりと神社がありました。
久国(ひさくに)神社
勧請年月不詳ながら、古くは千代田村紅葉(現皇居内)に鎮座されていたという。久国作の刀が寄進されたため久国稲荷神社と称するようになった。(東京都神社庁)
独特の佇まいでした。。。
裏通りから左に上がる道が南部坂です。
坂下に立派な石標がありました。
南部坂
江戸時代初期、近くに南部家の中屋敷があったことに因む。 坂が急峻であることから、後に「難歩坂(なんぶざか)」と書き表されることもあった。 (ウィキペディアより要約)
そもそも「南部坂雪の別れ」は後世の創作であるとか、そもそも当日雪は止んでいたとか、そもそも討ち入りの12月14日は旧暦で、西暦で言えば1月末だとか、、、
色々な「そもそも」は忘れて、討ち入り直前の大石内蔵助の心中に思いを馳せました。。。
坂の上を少し戻って氷川坂(↘)を下ります。
坂の途中に赤坂氷川神社の参道があります。
赤坂氷川神社
東京十社のひとつにして、江戸七氷川の筆頭。
瑶泉院の実家でもある三次藩浅野土佐守下屋敷は、この場所にあったのだとか。。。
境内の大銀杏
落ち葉を集めるのはさぞ大変だったでしょう。
花手水
無闇に切り花を浮かべたものより趣があります。
しっかりお参りをして、会社に向かいました。
令和の世の中に響くかどうかは???、ですが、、、やはり忠臣蔵は良いですね。
(おまけ)
吉良方の清水一学役が松重豊さんで、カムカムの虚無蔵さんと同じ二刀流だったのには驚きました!
(おまけ- 2)
途中で見掛けたデンマークカクタスに、思わず岐阜のやまんばさんを思い浮かべました。😊
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