田舎主婦の日日是好日

今日も生きてることに感謝かな。

畑:作物収穫終了

2024年11月20日 | 家庭菜園

畑のお片づけがほぼ終了しました。

 

サツマイモは殆どが使いやすい大きさでした。

干して新聞紙に包み、

段ボールや発泡スチロール箱に収めました。

 

中玉トマトも片付けることに。

隣へ植えていたキュウリのツルがトマト側に入っていて、

最後のキュウリが採れました(先週)。

カボチャも先月収穫済みと言うのに、

こんな青いのまでなっていてウフフ。

 

支柱を片付けながら、

一度も倒れずに立て方も上手くなったな~と、

自分をほめて(笑)

ナスもピーマンも抜いてニンジンも全部掘りました。

 

大根もネギも抜いて残りは白菜のみ。

パセリはビニールで覆いたいな

 

で、

玉ねぎの植え付けはパスの予定でしたが、

余ったからと苗が届きましたので、

先日200本超植えましたよ。

 

ああ~

「田舎の婆様道まっしぐら」になってきたかな(笑) 

 

時にはオシャレで変身すればって言ってみても、

すでに土台がだめになってますからね(笑)

 

先日の着物でのお出かけ姿も、

綾小路きみまろさんの口調でいくと、

奥様お綺麗ですね~お着物が

って感じ。

 

でも、

こうして働ける身体なんだから感謝です。

少しやせ我慢で言ってますけれど(笑)

アチコチ痛くならず動ける体に本当に本当に有難うです。

 

 

 

 

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出家:光る君へ第44回

2024年11月18日 | 趣味・本・テレビ他

出家ってなんでしょう。

 

仏道に励み極楽往生を願うことのようですが、

明子の子息は若くして出家しましたし、

道長の父親の兼家も晩年に出家でしたね。

昨夜のドラマでは、

藤式部(紫式部)の父の為時も出家でした。

 

42回では、

藤式部(紫式部)が出家しようかしらなんて言ってましたし、

詮子(一条天皇の母)は円融法皇が崩御した後に出家。

定子は出家しながら内裏へ出入りしてました。

(実資の日記には批判が書かれてありましたよ)

彰子は万寿4年(1026年)39才で出家してますが、

母親の倫子は長歴3年(1039年)75才で出家と遅いのです。

 

以下の青文字は、

NHK「光る君へ」の冊子コラムからお借りいたしました。

 

平安時代中期になると、

貴族たちは極楽浄土へ行くことにこだわるようになっていました。

そのための方法の一つが出家です。

 

出家には、

極楽浄土にいる御仏に仕える身となって奉仕し、

少しでも極楽へ行けるようにという願いが込められているんですね。

 

なので晩年に自分の意志で出家する人もいましたし、

病気で倒れた方の死を覚悟し、

家族が当人の極楽往生を願って、

剃髪(ていはつ)を受け入れることもあったようです。

 

当時の貴族たちは「必ず極楽へ行きたい」という、

純粋な願いから出家をしていました。

 

若者の場合には寺で修行のようですが、

大人の場合は在家出家で、

出家しても政の相談にはのっていたようですし、

現世(現生)とキッパリ手を切ってということではないのですね。

 

昨夜放送でも藤式部の娘の賢子が、

出家をするという為時に、

家に居て会えるなら、

おじじさま、それでは何も変わらぬのではないですか。

などと言ってましたね。

 

良くわからない平安時代の出家ですが、

出家すると男性は剃髪(ていはつ)にしたようです。

このドラマでは、

道長の父の兼家・花山天皇・一条天皇・

三条天皇・藤式部の父の為時が剃髪でしたねぇ。

 

女性が出家の場合は直ぐに剃らず「尼削ぎ(あまそぎ)」という、

肩くらいの長さで切りそろえた状態にするのだそうです。

そして後に、

男性のように剃髪されることもあったらしいです。

 

出家してない女房たちの長い髪は大変だったでしょう。

髪の毛は御盆のような箱に入れて寝てますね。

(以前の放送)

 

男性にせよ女性にせよ、

髪を切るって神聖な行いなのですね。

 

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第44回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

昨夜も盛沢山。

 

三条天皇の姫皇子を道長の嫡男頼通(よりみち)の妻にと言う、

三条天皇からの申し出に頼通は、

そのようなことを私にお命じになられるなら、

私は隆姫を連れて都を出ます。

 

道長と藤式部(まひろ)もかってそういうことがありましたね。

ふたりで藤原の家を出て遠い国へ行こうと。

 

道長はそのような自分の若き日の苦悩を想いだしたのか、

婚姻を断るために頼通に病になれ怨霊のために重病だと噂を流し、

嫡男の頼通を守ります。

 

文句言うな隆姫を守るためじゃ。

大声で頼通に言うところにはちょっぴり胸を打たれました。

 

まひろ(藤式部)と父・為時。

わしは官人にはむいておらぬゆえ皆には苦労をかけたなぁ。

父上長らくご苦労様でございました。

 

月明かりの中の二人の対話は、

いつもしみじみとしていい感じですね。

 

暮のあいさつに参ったと藤式部の房を訪ねた道長。

 

道長さまの想いが頼通さまに伝わらなくも、

次の代その次の代と、

一人で成せなかったことも時を経れば成せるやも。

 

このドラマの伏線のような話をしましたね。

(私にはそう感じられたのですが)

この時の道長の顔つきは、

とても安堵しているような落ち着きが出てました。

でもそこへ倫子さま。

 

えっ?殿の物語を書いてほしい?

赤染衛門に頼むのではなく?

何だか嫌がらせのように見えましたけど、

彼女はみんなお見通しですものね。

 

場面が変わり、

闇だ・・・

闇でない時はあったかのう。

闇を共に歩いてくれて嬉しかったぞ・・・

三条天皇は無念であられたことでしょう。

 

敦明親王(あつあきらしんのう)も父である三条天皇に亡くなられ、

先行きに不安を覚え、

自ら申し出て東宮を降りることになり、

後一条天皇(道長の孫)の弟の敦良親王(道長の孫)が、

東宮の座に就いたのですね。

 

このことには棚ぼただったというような気持ちの、

道長だったことでしょう。

 

そして、

道長の娘の威子が後一条天皇の中宮になり、

それを祝う宴席。

彰子が太皇太后、妍子が皇太后、威子が中宮と3つある后の席が、

道長の娘。

 

道長の息子は後一条天皇の摂政ですから、

「全て満たされた」という想いはあったでしょうね。

 

かがり火のなかでの頼通と教通の兄弟の舞は良かったです。

雅楽は琴・太鼓・笙(しょう)でした。

二人の衣装も華やかでしたし、

盃を回すときの音楽が良かったですね~

美しい品のある旋律が印象的でした。

宴席より月に向かって歩いて行く道長が、

月を観ながら歌を詠むのですが、

このドラマでは若き頃、

廃邸でまひろ(藤式部)と見た月とも重なり合ってるのですね。

 

そして以前、

めずらしき光さしそう盃はもちながらこそ千代もめぐらめ

藤式部(紫式部)が若宮の祝宴で詠んだ歌に対して、

道長は、

よい歌だ。覚えておこうといっておりました。

 

ですので、

藤式部(紫式部)の歌に呼応する形で、

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば

と、

詠まれたのだとドラマではなってるのかな。

 

長くなるので、

この歌の部分は次回へ持ち越します。

 

ではまた来週。

 

 

 

 

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訪ねてくれるって嬉しいね

2024年11月16日 | 人間・社会

地区の友人知人。

時々チャイムを鳴らしてくれる。

家の横を通ったから顔をみていこうと思ってと。

 

そういう時にはお茶してということは殆どなく無く、

たいがい玄関でおしゃべりなので、

皆さん訪れるのにも気楽かな。

 

遠くの元学友も近々会いに来るというし、

遠くの親族も近日見えるそうです。

こういう時は上がって頂きますけど。

 

親戚や知り合いたちが訪れてくださるのは嬉しいですね。

 

人の出入りのある家は栄えるといいます。

栄えなくも細々長く続いていけばと思ってますけどね。

毎年律儀に咲いてくれるマユハケオモトの蕾。

かまいすぎないほうが元気でいます。

 

 

土日コメント欄閉じてます。

 

 

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本『聖の青春』

2024年11月13日 | 趣味・本

ブロ友さんの御紹介で『聖の青春』を読みました。

将棋の村山聖(むらやまさとし)さん

 

1969年(昭和44年)6月15日 - 1998年(平成10年)8月8日

日本の将棋棋士 九段(追贈)

森信雄七段門下 棋士番号は180

 

村山聖さんのお話はTVドラマになったり、

松山ケンイチさん主演の、

映画(2016)になったりしてましたが、

私はどれも見ずにきまして、

本を読んでいるのですが、

よくこのお身体で病気と闘いながら、

病院を脱走しながら将棋を戦えたな~と。

平凡な言葉でしか言い表せないけれど、

ただただ心が震えました。

 

師匠の森信雄さんは、

2017年に引退されてるそうですが、

ご両親や森さんはもちろんの事、著者の大崎善生さんを含め、

彼を取り巻く人間関係の温かさに胸を打たれました。

 

村山さんが、

小鳥を飼いたいウサギを飼いたいなどと言ったなんてところには、

クスっと笑わせて頂きましたが、

終盤には読むのが辛すぎて、

何度も本を閉じました。

 

ですが5才より発病の、

ネフローゼと死闘のような壮絶な戦いをしながら、

将棋と言う盤上でも「名人になる」という夢を持ち、

果敢に戦っていく姿は、

感動なんて言葉では言い表せないほどの衝撃でした。

 

村山聖さん享年29才。

合掌

 

VINさん御紹介有難うございました。

なお先の『将棋のわたなべ君』の本は、

2巻目を読み始めてます。

 

 

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古今和歌集:光る君へ第43回

2024年11月11日 | 趣味・本・テレビ他

平安時代の貴族は、

『古今和歌集』がお好きだったようです。

  

古今和歌集 平安時代(905年とも914年とも)

   日本最初の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)

   醍醐天皇(だいごてんのう)の命令で紀貫之(きのつらゆき)らが編集

(約1100首)

 

『古今和歌集』は二つの序文を持っていて、

仮名で書かれた仮名序。

やまとうたは、人のこころを種にして、

おおくのことばとなったものである・・・・

古今和歌集仮名序の画像

そして漢文で書かれた真名序とがあります。

古今和歌集真名序 - 書砦梁山泊 大阪店の画像

仮名にしろ漢文にしろ読めません。

 

平仮名は平安時代にできたため、

奈良時代までは日本語を表記する文字は、

漢字しかなかったようです。

 

なお

万葉仮名(まんようがな)というのは、

仮名と言っても漢字を、

本来の意味から離れ仮名的に用いた文字のことだそうで、

特に万葉集(現存する日本最古の歌集)に多く用いられているので、

この称があるとのことです。

 

古事記・日本書紀・懐風藻・万葉集・古今和歌集・風土記・

伊勢物語・大和物語・土佐日記・枕草子・源氏物語他。

 

奈良時代平安時代の書物。

こうして訳された本であっても読めるのは、

保存してくださった方々のお陰もありますね。

 

古今和歌集の紀貫之の歌

人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香(か)ににほひける

 

歌の意味合いから少しずれますが、

花でなくも、

1000年以上たっても香ってくるような昔の書物。

日本の宝です。

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第43回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

昨晩観終わって感じたのは人の成長・変化でした。

 

三条天皇は即位3年というのに身体に異変が起き、

譲位を迫られお気の毒でなりません。

敦康親王は母と慕った彰子に、

お変わりになられましたねと言っておられましたが、

彰子は本当に堂々としてこられました。

(この時の彰子の袿?は母親の倫子が着ていたものですね)

 

倫子は、

道長の長男頼通(よりみち)に子ができないことに、

覚悟をお決めなさい。

父上のようにもう1人の妻を持てばいいのです。

倫子も悩みぬいて己の歩む道に光を見出したのですねえ。

でもね~倫子さま。

私だって色いろ考えておりますのよ。

ですからたまには私のほうもご覧くださいませね。

おほほほほほ・・・

これはひとこともふたことも余計かな(笑)

夫君は貴女様を貴女様が思う以上に大事にされてたようですよ。

 

そして藤式部宅の乳母のいと

藤式部宅に出入りする双寿丸を見る目がきついものだったのに、

いつの間にか目が優しくなってたし。

(前回、双寿丸にお料理を誉められたせいかな)

 

大宰府へ行くという隆家が、

清少納言になにか佇まいが変わったなと言ったけれど、

清少納言も確かに噛みつくような物言いではなく、

以前より柔らかさが出てきてました。

 

人は良いにつけ悪いにつけ変化するものなのですね。

道長と実資の「政問答」は興味深かったです。

 

まひろ(藤式部・紫式部)伝授の、

政とは民が幸せになる世を作ることという道長。

 

実資

民の幸せとは?

左大臣殿に民の顔なぞ見えておられるのか!

幸せなどというあいまいなことを求めるのが我々の仕事ではない。

朝廷の仕事は何かことが起きた時、

まっとうな判断が出来るようにすること

 

道長

志を持つことで私は私を支えてきた

 

実資

志を持つものが力を持つと志そのものが変わっていく。

それが世の習いでございます。

 

何だか実資に軍配が上がりましたが、

また来週。

 

 

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四季を願って

2024年11月09日 | 人間・社会

(11月7日 裏山)

こちらは秋もたけなわです。

 

私の地域での季節分けは、

3・4・5月が春で、6・7・8月が夏。

9・10・11月が秋で12・1・2月が冬でした。

 

3月に花が咲きはじめ4月には春の入学♪

6月にはムシムシした梅雨に入り学校の夏休みは7~8月にかけて。

9月には虫の鳴き声が聞こえ稲刈りなどが始まって、

12月には雪が降ってきて学校の冬休み。

これって気象学的季節の分け方だったのですね。

(下の図参照)

 

(以下の青文字は国立天文台からお借りしてます)

 

一般的に季節と言うと春夏秋冬を思い浮かべると思います。

しかし、たとえば春がいつからいつまでなのかについては、

絶対的な定義は存在しません。

よく使われる分類には以下のようなものがあります。

 

分類
気象学的季節 3月~5月 6月~8月 9月~11月 12月~2月
天文学的季節 春分~夏至 夏至~秋分 秋分~冬至 冬至~春分
伝統的季節 暦月区切り 正月~三月 四月~六月 七月~九月 十月~十二月
節月区切り 立春~立夏 立夏~立秋 立秋~立冬 立冬~立春

 

季節変化は緯度によって大きく異なります。

北半球と南半球では寒暖の時期がさかさまです。

赤道付近では雨季と乾季に分けるのが適切です。

極付近では日が沈まなかったり(白夜)、

逆に登らなかったり(極夜)と極端に変化します。

海沿い、内陸、山岳地帯など、環境によっても異なります。

年によってもマチマチです。

 

ブロ友さん方と交流しておりますと、

同じ日本でも随分違います。

 

ですので

季節の捉え方も違って当然なんですね。

 

季節を分ける、

絶対的な定義は存在しませんとのことですし、

今はもう秋♪といっても地域によっては、

今はもう冬♪といってもいいのかも。

 

でも気候的な違いやずれがあっても、

どうか日本の四季が無くなりませんように。

 

バランスよく存在してほしいと思います。

 

願ったところで、

どうにかなるわけではありませんし、

たとえそれが人間の行いの故であったにしても、

どうか四季がある日本であってほしいです。

 

土日コメント欄閉じてます。

 

 

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秋のドライブ:温泉で

2024年11月07日 | 日日是好日

先日、

実家の家じまい墓じまいをした従妹との、

温泉ランチ。

 

今回行ったところにはレストランあり、

とってもゆったりと寛げたので、

来年もそこで会うことに決定。

 

ランチの後、

辺りを少し歩いたけれど、

私と歩くと娘と歩いているみたいと言う(笑)

 

従妹は色いろ気を病み老けたのか、

歩き方も遅くなっていたのです。

 

病は気からですね。

でも、

ランチも全部頂けるように回復しているのだから大丈夫。

やはり食べてないと元気は出てきませんね。

辺りは紅葉し始めていて冬へと向かう途中。

今日は立冬かな。

 

宇宙の真理は進化だと聞いているのですが、

太陽だって地球だって他の星だって、

気の遠くなるような年月を経て静かに変わっていくのです。

人間だけが例外であるはずがない。

 

若返るのは無理でも老化の速度を遅くして、

来年もまたそこでね。

 

 

 

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本:マンガ『将棋の渡辺くん」

2024年11月06日 | 趣味・本

ブロ友さんからの紹介の本。

『将棋の渡辺くん』

私は囲碁を少しやっているので、

机には囲碁盤を置いているのですが将棋の本なのです。

 

将棋棋士の渡辺明さん(9段)の奥様が、

御主人のことを書いているのですよ。

(写真は棋士データベースよりお借りいたしました)

 

渡辺明さんは今年の「秋の褒章」において紫綬褒章を受章しました。

将棋界では最年少(40才)の受賞だそうです。

おめでとうございます。

 

著者である奥様の伊奈めぐみさんも将棋は初段だそうで、

奥様の実のお兄さんも将棋の棋士で兄嫁さんは囲碁の棋士だそうです。

 

マンガ『将棋の渡辺くん』は2015年に初版が出て、

現在7巻まであるようですが楽しく読めます。

 

将棋と言えば最近では、

藤井聡太君(22)や伊藤 匠(いとう たくみ)君(22)ですが、

渡辺さん(40)や羽生善治さん(54)や谷川浩司さん(62)など、

お年上の方々にも、

キラキラするような魅力があります。

と言っても私は将棋はわからないのですけど。

 

ぬいぐるみが好きだという渡辺さん。

何だか渡辺さんのファンになりそうですよ。

 

久美さん御紹介有難うございました。

 

VINさんお勧めの、

亡き将棋棋士の村山聖さんの本も後日紹介いたします。

 

 

 

 

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有職故実:光る君へ第42回

2024年11月04日 | 趣味・本・テレビ他

いつも有職故実(ゆうそくこじつ)に詳しい、

藤原実資(ふじわらのさねすけ)書いているのですが、

昨晩の放送でも「立后(りっこう)の儀式」を、

三条天皇に頼まれてましたね。

 

実資は天徳元年~長徳元年まで生き(957~1046)、

90歳という長命でした。

 

有職故実って「有職」と「故実」を組み合わせた語で、

(ゆうそく)は、

本来は有(ゆうしき)と表記するそうです。

 

以下青文字はNHK大河ハンドブックより抜粋です。

 

有職とは、

知識を持つ人の意味である。

 

ただし、

その知識は故実の知識であり故実の知識を多く持つ、

あるいは多く持つ人が有識である。

 

一方、故実は行動の規範、

つまり現代で言えばマニュアルに相当する。

 

この有職故実は、

公家故実(くげこじつ)と武家故実(ぶけこじつ)に大別でき、

公家故実は摂関時代に成立し、

武家故実は鎌倉時代に成立した。

 

有職公卿(ゆうそくくぎょう)と言われる藤原実資は、

村上天皇冷泉天皇

円融花山一条三条天皇に仕え、

以後も後一条後朱雀後冷泉天皇と仕えます。

 

『小右記』には88才の時、

致仕(ちし)を請うも聴されず(ゆるされず)とありますが、

(致仕とは禄位を返上するの意味)

実資は最後の最後まで有能な有職公卿だったのです。

 

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第42回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

明子の息子:顕信(あきのぶ)が出家をしたのは、

明子にとっては子供を殺されたのも同然だったのでしょうね。

 

明子の兄の源俊賢は妹を慰めました。

顕信は残念なことであったが内裏の権力争いから逃れて、

心穏やかになったのではないか

それも一理あると思います。

四納言としてブレずに道長を支えてます。

 

実資は最初に書いたように立后の儀を、

三条天皇に頼まれ止む無く引き受けるしかなかったのですが、

天皇側にも道長にも媚びているのではありません。

お困りの天皇に忠義を尽くしただけなのです。

 

ですので、

天皇にお褒めに与ったと喜んでいる息子に、

浮かれるなと一喝。

なんとも小気味よい場面でした。

娘?孫?をあやす実資はなんともユーモラスでしたね。

 

かたや道長は心労が重なり辞表を出し伏してしまいます。

 

左大臣様のお命は長くはもちますまいという清少納言。

憎々し気な怖いお顔でした。

彰子は父親の道長が倒れたのは自分のせいではないかと、

心を痛めるのですが祖母にこういわれるのです。

信じた道をおいきなさいませ。

父上は皇太后さま(彰子)を誇りに思っておいでですよ

この言葉も胸に響きました。

 

祖母役の石野真子さんいいですね~

宇治で療養の道長のもとへ、

百舌彦(もずひこ)に頼まれて藤式部(紫式部)がやってきます。

宇治川ですか?別の川での撮影ですか?

情緒あふれる光景でした。

 

もうよろしいのです。

私との約束はお忘れくださいませ

お前との約束を忘れれば俺の命も終わる

ならば私も一緒に参ります

たわむれをもうすな

この世に私の役目は終わりました

この時の藤式部の表情は良かったですね。

 

お前は俺より先に死ぬな 死ぬな

ならば道長さまも生きてくださいませ

道長さまが生きていてくだされば私も生きられます

 

その言葉に泣く道長。

散楽の直秀を葬ったときも、

まひろ(紫式部)の前で泣きましたよね。

 

そして『宇治十帖』が始まりました。

『源氏物語』も終わりに近づいてきています。

 

ではまた来週。

 

 

 

 

 

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農地:国土を守る

2024年11月02日 | 人間・社会

わが家の柿も採れ出しました。

摘果が必要だったのか小さいのです。

サツマイモ(紅あづま)も作ってあるので少しづつ掘って保存です。

大和イモもね。

来月は大根や白菜・ネギの収穫もあり、

既にカボチャもジャガイモも保存してありますので、

今年も『アリとキリギリス』の働いて食料を貯めるアリ生活でした。

 

でもね。

私は管理機(耕運機)や草刈り機があるから、

家庭菜園が出来るのです

 

以下青文字ネットより

 

日本の食料自給率は38%、

カナダ266%、オーストラリア200%、アメリカ132%、

フランス125%、ドイツ86%、イギリス65%、

イタリア60%、スイス51% となっており、

我が国の食料自給率(カロリーベース)は、

先進国の中で最低の水準となっています。

 

我が国の自給率が38%では少なく、

せめて何か事が起きた時には、

皆で半分分けにして食せるくらいまで自給率を、

あげないといけないのではないでしょうか。

 

先日行った方面では、

荒れている農地が見当たりませんでした。

 

どうやら若い人たちが空いてる農地を耕し、

農業に関わっておられるようなのです。

 

何十ヘクタールにもなるような耕作地は、

大きな機械で耕したり植えたりなのでしょう。

 

それでも手作業もあるでしょうし、

農業収入で生活をなりたたせていくのですから、

ご苦労も多いことでしょう。

 

自分が僅かでも畑をやってみると、

作物を作る大変さがわかります。

 

手広く耕作し国土を守ってくれる若者たちの気概に、

深く頭が下がりました。

そして、

身体を壊さないようにと祈らずにはおれません。

 

 

土日コメント欄閉じてます。

 

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