祝!大谷翔平、104年ぶりの偉業達成!
何も言うことはありません!
今晩のスポーツニュースが楽しみです。
大谷選手、おめでとう~、
そしてありがとう~!!
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三原橋の面影
先日、トコトコ歩いた銀座三原通り。
何の変哲もない裏通りかと思いきや、かつてここに三十間堀川という川があったことを知って俄然興味が湧いてきました。
東京大空襲前の銀座の空撮写真(南方から)
「大江戸歴史散歩を楽しむ会」さんのブログに掲載されている写真をお借りしました。☟
南北(写真縦)に流れる三十間堀川と、その右(東)に並行して走る昭和通りが写っています。
写真中央を左右(東西)に横切るのが晴海通りで、川に架かる橋が三原橋です。
中央通りの交差点に和光時計台も写っています。
銀座駅の地下道をトコトコ
ーーーと言う訳で、今朝の通勤散歩は三原橋の面影を探して東銀座界隈を歩いてみました。
地下鉄銀座駅と東銀座駅を結ぶ通路に、昔の三十間堀川と三原橋の写真が展示されています。
在りし日の三十間堀川
江戸時代初期に銀座の東側の海を埋め立てた名残りの水路で、当時三十間(約50m)の幅があったことから三十間堀川と呼ばれ、「銀座の川」として水運に利用されていたそうです。☟
終戦後、GHQから東京大空襲による瓦礫捨場となっていた昭和通りの瓦礫を直ちに撤去するように命令された東京都は、至近の三十間堀川への瓦礫投棄と埋め立てを決定し、昭和23年~24年の1年で川の埋め立てが完了したそうです。☟
三原橋の変遷
三十間堀川に架けられた晴海通りの三原橋には、かつて都電も走っていたそうな。。。
1927年当時の姿
三原橋遠景(1923年当時)
右上には歌舞伎座も写っています。
川を埋め立てた際、三原橋の橋梁下は日本最初の地下商店街となり、その後地下映画館などに利用されていましたが、耐震性の問題により2013年に取り壊しが決定され、2020年に現在の姿になっています。
2013年迄営業していたと言う銀座シネマトス。
私の記憶にはありません、、、
(写真はWebより拝借しています)
円形状の広場に整備された現在の三原橋跡
今は、昭和通りと晴海通りの交差点に「三原橋」の名が残されています。
街路地図にも、川筋と三原橋の痕跡が伺えます。
円形広場近くに昭和のままの呑み屋の一画が残されています。
今も何軒かが営業を続けています!
路線価日本一の銀座四丁目交差点の直ぐ裏側に遺された異次元空間ですね~!
暑いので、今日はここまで、、、
三原通りの南半分は、後日改めて歩いて見ます。
今朝の日比谷公園の空
本日の首賭けイチョウ(少しアップで)
本日もご訪問頂きまして有り難う御座いました。
明日からお盆中の期間は不定期投稿となります。
皆様も、どうぞごゆるりとお盆をお迎え下さい。