その昔の話
まだまだヨチヨチの頃から
定期検診や幼稚園入園前などに
「言葉が遅いですね」とか
「吃音が観られます(どもり)」などとして
一部の幼児らの親御さんへ
その際医師から指摘されていた子供たちが
単にそのまま放置され
大人になった
それだけの事だと思うのです。
その指摘というのも、昔にさかのぼる程
時代背景は違いますから
今の精神医学で医師が踏み込める範囲
立場にしても一定の線引きがある様に
過去の時代にはその時代の暗黙のルールがあっただろう。
今の大人にある日突然発達障害が起きる。何て現象は
物理的というか時系列的に問題の起源が
見え辛くなる。
今の社会事情は、人の性格によって
耐えうるに難しいと言い出せば
まるで社会が悪いから大人の発達障害が散見されると
受け止めそうになりはしないか?
自閉症の子供がいて、それを観測しやすい立場にあるのは
親兄弟といった物理的に近い関係の人ではなく、
〇歳児検診などの際にそれらを観察できる医者が
今以上に積極介入できるような仕組みを導入する事。ではないか?
非常にデリケートな部分では有るものの
大局的に、子供の成長期に適切な介入がある方が
その子供にとって有意義なのではないかと思う。
大人になってから「発達障害です」と言われても
自分の親を恨みかねない。
「何で気付いてくれなかったのか?」とする
今更的な後悔を親は覚悟しなければならない。
医者は「全部言わせるな」という立場だろうか?
或いは「全部言わせてくれ!」なのだろうか?
その部分の統一見解を集約して
出来る事なら積極介入の権利を付与してあげて欲しいと
私は思うのだが。
医者が「そんなのまっぴら御免だ!」というなら兎も角。