とうとうお別れの日が来てしまいました。
最後の日 私はお別れが悲しかったのか、苦しかったのか、朝からずーっと鳴いてました。だんだん声も枯れて出なくなりました。お父さんとお母さんが、かわりばんこに声をかけたり、撫でてくれました。お礼に私は最後の瞬間を鳴かずに静かに逝きました。
皆様 たくさん たくさん ありがとうございました。
最後の日 私はお別れが悲しかったのか、苦しかったのか、朝からずーっと鳴いてました。だんだん声も枯れて出なくなりました。お父さんとお母さんが、かわりばんこに声をかけたり、撫でてくれました。お礼に私は最後の瞬間を鳴かずに静かに逝きました。
皆様 たくさん たくさん ありがとうございました。
生き物は私を含め、皆、土に却って行くのでしょうね。
ガルは私たちに癒しと安らぎをくれました。
長い間ご無沙汰していて・・・今、伺い記事を拝見しました。
可愛いわが子を旅立たせて寂しくなりましたね。
お二人のことをずっと見守ってくれていると思います。
言葉が見つからないのでお悔やみを申し上げて帰ります。
ガルの死と共に「ペットのきもち」を閉じさせて頂きます。
新規のブログを開設しました。
「いつでも一緒だよ」
http://blog.goo.ne.jp/garubaibai
どうぞお越しください。
ガルの死は思いがけない方を運んで来てくれました。
長い間、ブログを見て下さってありがとうございました。
よくがんばりました。
18年の間、幸せだったでしょうね。
これからは、パパさん、ママさんのこと
ガルちゃんが見守ってあげてください。
どうか、安らかに眠ってください。
コメントを読み、あの日のことが、鮮明に蘇ります。
>最期の日のあの声は、ご家族への感謝に聞こえます。
だと良いのですが、私には苦しいよ~、苦しいよ~と訴えているように聞こえましたが、そうじゃなかったのかも知れませんね。
我家は、ガルにたくさんたくさん癒してもらいました。
ガルちゃん、最期の日のあの声は、ご家族への感謝に聞こえます。
「パパとママに出会えて幸せだったよ」と。
ガルちゃんはたっぷりの愛情を受けて、幸せな犬生を送り、天寿を全うされました。
ガルちゃん、私もお礼を言います。
偶然に見つけた愛らしくて柔らかな表情が大好きでした。
癒してくれて本当に有難う。どうか安らかに。
我が家でも、未だに楽しかった思い出と悲しみが交差しております。
最期の声も今でも耳の奥に張り付いて離れません。
亡くなった後の数カ月は、寝床となっていた場所に
つい目がいってしまうのです、何度も。。。
日ごと寂しく感じるでしょうが、ご家族の心の中に大切な存在として生き続けて、ガルちゃんはずーっと幸せです。
ほんとうにめぐりあいは不思議です。
私たちもガルに巡り合えて良かったと思っております。
こんな思い出を与えてくれて飼い主冥利に尽きます。
>思い出してあげる事が供養になると 住職であった義父が申しました。
その通りですね。日増しにガルのいない寂しさが募ってきます。
お掛けする 言葉がありません・・・・・・
めぐりあい
それは
不思議なもの
有難いもの
涙の流れるほど
手を合わさずにおられないほど
私を励まし
私を生かしてゆく
命であり
光であり
杖であり
つなである
坂村 真民 詩集より
そして去って行ったガルちゃん 思い出してあげる事が供養になると 住職であった義父が申しました。
いっぱいの思い出で送ってあげて下さい。
実は、この動画をUPするか迷いました。見ていて苦しいだけなのですから……。
夫も「載せない方が良いのでは」と言ってましたが、やっぱりガルの最後をみなさんに見て頂きたく、極力音声もガルの声だけにし、短くして載せました。
このような動画を流すのも賛否両論だと思います。
ガルは皆様に愛されて幸せです。
お部屋に飾ってある写真は大きな目玉でいつも夫と私を見ております。
この日が来ることはわかっていましたが、とうとう来てしまった・・・という思いです。
ガルちゃんは読者の私をも癒してくれていました。
ブログを見て、ある時はクスクス笑ったり、ある時は心配したり、たっぷりかわいがってもらっている様子をみて自分はペットにどこまでやれたのか反省もしたり
最期の日の動画をアップしてくださってありがとうございました。
鳴いているガルちゃんを見ていると、ガルママ・ガルパパさんにお礼を言っているようにさえ思えます。
臨終に立ち会わせてもらえた気持ちになりました。
ほんと、ガルの小さい頃を知っている人は、貴女ぐらいです。
会ったら覚えていたかしらねぇ。T市の家で会った時は、分かってたけど。
最後まで可愛かったで~すよ。(親ばかです)
でも一目会いたかったなぁ。。。
このまま何日も続くようなら、ガルのためにも安楽死を考えたと思います。
しっかり天寿を全う出来て、ガルも納得してあの世に逝ったと思ってます。
昨日お骨にして、今は家で静かに眠ってます。
何故か毎日ゆっくり寝坊してしまいます。
ガルが生きていた時は寝ていても気になっていたのだなぁ……。
春の桜を観られたらとか簡単には言えませんでしたけど・・
何かの節目に「桜を観てから」とか「桜には間に合わなかった」とか何度か川向うへ旅立たれた人の思い出に出てくる言葉ですが、桜の頃までは遠い願いだったのですね。
昨夜、偶然TVの「志村××」で最後を家族と過ごすワンちゃんの放映を見たばかりでした。
愛されているだけに送る方の気持ちが痛いなぁと見たのです。
きちんと名残をして召されて行ったガルちゃんは最後までいい子でしたね。
思い出と残った最後の手の感触、4,5Kは我が家のオス’ニャンが病院の体重計に残した体重と同じです。
つらかったでしょうね、ママさん、お疲れ様でした。
きっとガルちゃんが感謝の心を返してくれると思います、それまで元気で長生きしなくてはネ。
18年間 ガルは我家のアイドルでした。子供たちが巣立ち、愛情の対照が全てガルに注がれたと思っております。人は他者に愛を注ぎたいいきものなのでしょう。
でも死はやはり悲しいです。
さくらお姉ちゃんと会えますように!
そうなんですか、新聞でも「自然死を考える時期に来ているのでは?」と云う記事をみました。
ガルは殆ど食べないで一カ月持ちました。最高で11Kgあった事がありますが、普通は9kg位ですが、最後に計ったら4.5kgでした。
本当に骨と皮だけで生きていました。
あんまり軽いので吃驚しました。
今日も雪がたくさん降ってます。
>見ていて最後の最後まで幸せだったのだと感じました。
私たちもガルにどれだけ癒されたことでしょう。
昨日、今日と、ぐっすり寝坊をしてしまってます。
ガルの部屋から物音がしないせいでしょうね。
これからお骨にしてきます。
いい顔していますね。
本当にお母さん、お父さんお疲れ様でした。