以前から、朝は「生ジュース」を作っていた。バナナが多い。妻が好きだからだ。ミキサーにバナナ一本、シュガーシロップ、牛乳、氷少々を入れてミキサーにかけると、青い悪魔(スティッチ)が描かれた大きめのマグカップに一杯の「特製バナナジュース」ができる。妻曰く、コレを朝飲むから昼になればお腹がすく、のだという。よくわからんが。
昨夜は「オムライス」をつくった。職場の上司から教えてもらったのだ。なんでも、フライパンをこう、斜めに持ちながら、お皿で「V」を描くように受けて・・・この時のポイントはフライパンを持つ手が下手(逆手)になるように・・・とすれば、私の如き不器用な不惑であれ、こんなに美しいフォルムのオムライスが完成する。数分前には卵だったとは思えない。これにクリームソースをかけると妻が大喜ぶ。ちゃんと真面目に食べる。
その前は「ホイコーロー」だ。キャベツはひと玉全部使った。食べ盛りを過ぎた倅も、バイト帰りにがつがつ喰っていた。妻には「餃子スープ」もつける。犬には「ちくわの炒め物」だ。味付けはなしだが、焦げた風味がたまらない、と「りーちゃん」が目で訴えていた。「むーちゃん」は、オイラ、生のほうがいいかも、と仕草で訴えていた。
風呂上がりにビール片手に台所に立つ。最近、ふと気付けば「料理本」などにも目を通している。心なしか、鍋を振るう、あるいは包丁を持つ手も板についてきた(ように感じる)。それに私は巷のクッキングパパと違い、後片付けも大好きなタイプだったりする。ま、これでも飲食店の店長をやっていたし、短い間だがBARもやったから、水仕事に抵抗もなければ、どちらかというと嫌いではなかったりする。「男子厨房に入らず」は、その中身の意味だけ知っていればいい。何もできない男の言い分けのためにあるのではない。
今の仕事をし始めた御蔭で、洗濯物をたたむのも早く、上手くなった。大量の洗濯物を仕分けしてたたんで整理する仕事があるからだ。私のような引っ込み思案の初老からすれば、当初、洗濯ものを干すだけで大変だった。綺麗に干せないから、どうしても適当にぶら下げてしまう。いつも物干しに不気味なオブジェを作るから笑われた。しかし、心優しいオバサン職員らは、もう!これやからオッサンは!などと言いたいのをぐっと堪え、あらら、と教えてくれたりもした。御蔭様で巨大なシーツからハンカチのたたみ方、効率的にスペースを使いながらキチンと洗濯物を干す匠の技まで、今ではばっちりである。
先日、施設で運動会があった。運動会とは言っても、正々堂々と戦います、と宣誓した選手代表は96歳だ。副代表は、七夕の短冊に「長生きしたい」と書いた103歳の凄腕である。もちろん、通常の運動会のように棒倒しやら騎馬戦、100メートル走などを行えば、次の日から当施設は空き部屋だらけになる。走り回って汗を流すのは救急隊員だ。合わせて、もうすぐ年の瀬だというのに葬儀屋が忙しくなる。「借り物競走」などすれば、当施設の参加選手は何を借りてくるのか想像もつかない。それに確実に戻って来ない選手もいる。新聞に載る。「綱引き」もできない。それに、当施設の参加選手は常日頃から「命の綱引き」をしている。いきなり死にかけたり、と思えば、戻って来てヤクルトを飲んでいたりする。
そんなジジババが70名ほど、紅組と白組に分かれて「ボール運び」などの地味な種目で雌雄を決した。結果は、私がいた「白組」が16万800点を記録して勝利した。敗した「紅組」は750点だった(最終種目の得点が16万点)。「玉入れ」の玉を、過半の参加選手が「喰うのか?」と勘違いしていたのが大きな敗因だ。運営側の説明が足りなかったと猛省すべきである。赤いから「とまと」だと思った可能性もあるが、それよりも紅組だ。30名ほどのジジババが全員、赤い鉢巻きをして真面目な顔で座っているのがシュール過ぎてアレだった。場所が場所なら完全に「高齢者の座り込み」である。私は思わず、周囲に「介護報酬をあげろ」とか「野田総理はオムツとオツムを換えてください」とか「米軍基地は日本の呆け老人を受け入れろ」などという幟がないか探してしまった。
また、なにが嬉しいのか、職員のテンションも上がり、一応、大盛況で終わった運動会であったが、そのあと、70本ほどの紅白の鉢巻きが残った。コレを洗濯してアイロンをかけるのである。もちろん、通常ならこの類の仕事は私に回って来ない。この仕事を私以外の誰か、に頼まねばならないだけであるのだが、周囲を見ればヒマそうなのは私だけでもあった。だから、なんとなくやってみた。すると、である。
「アイロン、したことある?」
ときた。オバサン職員である。何を失礼な、そんなものは、やったときない、と開き直ると、水は入れているのか?などと基本的なことまで心配されはじめた。私が冷静沈着、水とは何だ?水なら飲んだ、と述べると、半ば呆れた表情のオバサンは手とり足とり、アイロンの先っちょはなんで尖っているか、あんたのもちょんがっているのか、などのちょっとしたエロチズムを交えながら、私に教えてくれるのだった。なるほど、である。
わかった、わかった、わかりましたから一度ヤラせてください、と頼んだ私は、見よう見真似でやってみた。するとどうだ、先ほどまでとは鉢巻の伸び具合が違う。私は先ほどまで、この鉢巻は老人のエキスを吸って腐っているのかと思っていたが、それがどうだ、いまではしゃきっと、ばりっと伸び切っているではないか。それに半分を過ぎた頃から、私の手の動きは板についてきていた。実にスムーズ、これはもはやクリーニング屋の娘婿、先っちょを這わせてから、向こう側にスッと伸ばしていく・・・そうそう、この感じである。
~♪と機嫌良くアイロンを操る私に、齢72となる「女性職員」が近づいてきた。この人は毎年夏になれば、グアム・サイパン、沖縄などに泳ぎに行くほどのシュノーケル高齢者なのであるが、自分が介助する利用者が「年下」だったりすることを、若干、ハズかし自慢としている。ちなみに、私はこの72歳職員さんの仕事をフォローすることを「介助」と言ったら叱られた。散歩に出たときも、ある意味「お約束通り」に、この職員さんの手を引くと、だからわたしはまだちがう!ひとりであるける!!とも叱られたのである。
その72歳の職員さんが「手慣れてるやん、家でもやってるの?」と褒めてくれた。私は大威張りで、そんなもの、やったときない、と言ったら、もっと褒めてくれた。この人は以前、私の前職などをどこかで聞いたらしく、私にいろいろと心配してくれたこともあった。
先ずは収入だった。だいじょうぶなの?ということだった。たしかに薄給であるこの仕事からすれば、以前、私が得ていた収入は高額なものだ。実質80%程度削減となる。年収で言えば更に削減、仕分け人もびっくりの削減ぶりだ。正直、今現在の給与くらい、私は平然と一晩で使うこともあった。
それに「立場」もそうだ。以前は事務所で威張っていてもよかった。女の子にコーヒーを入れさせ、偉そうに新聞を読んでいてもよかった。しかしながら、いまは自分の娘くらいの年齢の女の子にダメ出しもせず、敬語を崩さず、朝は自分から、もしくは自分だけ、おはようございます、と挨拶をする。夜も自分からおつかれさまでした、本日も一日、ありがとうございました、と頭を下げる。
当時は基本的に出勤時間も自由、休みも自由、社の経費も自由、実質、オーナーよりも好き放題、カジノで86億円は使えないが、ある意味、自由業だった。しかしながら、いまはシフト管理されている。休みは少なくないが、ツレと飲みに行くのも「シフト」を確認せねばならない。旅行などの予定も組まねばならない。以前のように、思い付きで何日も遊んで帰る、などということは許されない。たしかにそうだ、以前と比すれば雲泥の差、天地が逆さま、見事な落ちぶれっぷりである。ぶれっぷり。
妻の友人も口を揃える、という。会社が倒産したり、リストラに遭ったりして、以前の職位や収入から大幅ダウン、今更ながら厳しい市場に放り出されて、なんでオレがあんな無能な奴らに、なんであそこまで行った私がこんな馬鹿らしいことを、と腐ってしまう御仁は巷に、ハローワークにたくさんいるのだというが、なんで、あんたの旦那は「今まで毎日、家に帰れなったからごめんね」と自宅で夕食まで作り、他人の下の世話まで安月給でやりながら、どこをどうすれば「楽しい・ありがたい」と言いつつ生きていけるのか――あんたの亭主は馬鹿なんじゃないか―――
私が72歳の職員さんと楽しく話しながらアイロンをしていると、物珍しげに他の職員も来た。手が開いたなら代わって欲しいのだが、残る鉢巻もあとわずか、コレはもうやり切るしかあるまい。私はさらになめらかにアイロンを滑らせる。
別の女性職員が珍しい動物を見つけたように笑った。
「楽しそうww」
72歳の職員さんが代弁してくれる。「楽しいねんて。な?ちよたろさん?」
はい、楽しいですよ。
若い・・・といっても30代半ばの女性職員だが、彼女も面白がって問うてくる。
「ちよたろさんって、前の仕事、パチンコ屋さんのとき、給料たくさんあったんでしょ?」
はい、いまの5倍以上。
「聞いて・・・・いいですか?」
はい、どうぞ。
「バカらしくないですか?いまの仕事、とか給料とか・・」
バカらしくないですよ。
「あ、そうなんですか・・・でも、なんで・・・?」
72歳の職員さんは笑っている。私はこの大先輩の肩を叩いて、こういう人が褒めてくれるからですよ、と言った。72歳は、ちょっと照れて、私の背中を叩いた。いわゆる「いちゃいちゃ状態」であった。おかしゃん、ごめん。
しかし、若い女性職員は腑に落ちないようだった。
最近――――大手企業の醜聞が喧しい。歴史ある立派な企業が姑息な手段で市場を欺いたり、くだらぬ見栄と自尊心で世間を学ばず、カモられ騙され、好き放題して訴えられる馬鹿がメディアを騒がしている。メディアの妖怪と化した老害もお家騒動で恥を晒せば、政治家は相変わらずの不見識を晒す。どれも社会的地位、金や名声は得たはずの立派な御仁のはずだが、不思議と誰からも羨望されない。その理由も簡単だ。
それは「同じところにいる」からだ。
ところで、私は先ほど述べたように、以前、10年間ほどパチンコ屋で働いていた。その際、後半の7年ほどを一緒に働いた親愛なるメンターが、あるときに発した「言葉」は私の全ての疑問を晴らしてくれるほどの助言だった。私の中で芽生えた疑念、疑惑が見事に溶解していく「言葉」だ。これは今でも、どの場面においても適用される。すべて片付く。
非常にもったいないが――――
こんな拙ブログを覗いてくれる読者諸賢にだけ、特別に紹介しよう。特別だぞ。
「みんなさみしいんですわ」
である。まさしく至言、名言だ。これほど奥に深く、広がりを見せる言葉を私は知らない。
なんであいつはこんなことを言うのか、なんで彼は彼女はこんなことをしたのか――どうだ、すべての「動機」がそこにある。みんなさみしいのである。ここから非常に大切なことがわかる。真っ当に生きる知恵が隠されている。チェックポイントがわかる。つまり、
さみしいかどうか
である。「金もある、地位もある、でもさみしい」は危険だということだ。「金もない、何もないけど、とくにさみしくない」はセーフだ。すなわち、人生の歩き方とは「さみしくない」を維持することだとわかる。
妻も子もいる、でも、さみしい。仕事もある、重宝されてもいる、でも、さみしい。毎日忙しい、でも、さみしい。毎日ヒマですることがない、でも、さみしい―――ま、いろいろある。そして、どのケースにも当てはまる。
せっかくの機会だ。もう少しだけ掘り下げておこう。
「さみしい」とは「さびしい」とも言う。漢字で書けば「寂しい・淋しい」となる。「さびしい」は万葉集の「さぶし」が平安時代に「さびし」となり、それから「さみしい・さびしい」と広がる。私の個人的主観から使い分けると、例えば「ふところが」は「さびしい」となる。もっと単純に言えば、もうすぐクリスマスだが、クリスマスツリーがないのは「さびしい」が、一緒にチキンを喰う相手がいないのは「さみしい」となるわけだ。この辺り、御理解いただけると思う。
「何かが物足りない」は「さびしい」となる。晩酌で「もう一品欲しい」というようなときだ。日本酒を注ぎながら「なんや、今日は、えらいさびしいがな」と言ってもよい。しかし、メンターの彼が言ったのは「さみしい」である。ここが彼の凄いところだ。
「さみしい」というのは「満たされているかどうか」を問わない。また、恐ろしいのは「あっても足りない」という欲に塗れた喪失感だけではない。換言すれば「あるかどうか」すら問わない。状況や環境も問わない。問われるのは「こころ」なのである。コレが怖い。
先ほど、アイロンをかける私に「バカらしくない?」と問うてきた30代の女性職員はつまり、私に「さみしくないの?」と問うているのだとわかる。以前からすれば、いろいろと「足りなくなった」はずなのに、つまり、「さびしくなった」はずなのに、あんたは、そのような「誰にでも出来る仕事」をさせられて「さみしく」もないのか?と問うているのだ。
考え方はいろいろある。「晩酌にもう一品欲しい」は「さびしい」わけだが、ここで「仕事が終わって晩酌できること」自体に価値観を置けば「さみしくない」ことを意味する。先日、また職場の人と飲みに行ったが、連中から皮肉交じりに「すいませんね、安い居酒屋で」と言われる。これは「以前の私の状況、環境」をある程度知り得た彼らが「ちよたろさんは、さびしいはずだ」と決め付けた結果、安モンのニヒリズムからおちょくっているのである。たしかに私は「某・白木屋」で集まって飲むことに消極的だった。ちょっと小馬鹿にして笑った。露骨に「えぇ~~」という表情も浮かべた。しかし、その理由として「某・白木屋」がチンピラの吹き溜まる安居酒屋だからではなく、同チェーン店舗を運営する株式会社モンテローザが、某宗教団体の大作の妻の親戚、公明党の白木義一郎(故人)の財閥の会社だから、とか言わないのである。それに、私を知る人らは、私がどれほど「安酒場」が好きなのか知っている。コレも情報不足による決めつけ、自分の足りない物差しで測った安易な「さびしい」はずだ、の結果である。実に浅薄である。
七夕の短冊に「長生きしたい」と鉄板ネタを書いた103歳のお婆さんが、オムツ交換を終えた私を拝む。手を合わせて「あしゅぃかとぉ(ありがとう)」と言われる。私は恐縮して、勘弁してください、もったいない、許して下さい、とお願いする。別の職員は違う。「ありがとうは?」と面白がって催促する。子供に言わせるソレのように、食事介助をしても「ありがとうは?」とやる。昭和6年生まれの認知症のお爺さんに「(食事を)ください」と言わせていた職員もいた。心の底から見下げ果て、半ば呆れて理由を問うと冗談交じりに「しつけ」だと堂々と言った。「躾」が必要なのは貴様のほうだが、要するにこの馬鹿も道徳観念が腐っている。つまるところ「(何かと)さみしい」のだとわかる。ずっとこの先、未来永劫、満たされることはないとわかる。不満と愚痴、文句と悪罵で綴られる人生を送るのだとわかる。
「真善美」という言葉がある。「真」は学ぶことができる。本を読んだり旅に出たりすればいい。「善」も学校で事足りる。文科省の仕事の範疇だ。これらがわからなければ、警察に捕まったり、社会から放り出されてしまうかもしれない。しかし「美」は追求せねばならない。自分の「美学」というものを創り続ける「こころ」を養わねばならない。これは無くとも生きて行くことはできるが、往々にして「さみしい」からは逃れられない。たかが「人生の浮き沈み」如きで惑わされることなく、一貫した価値観を見いだす「こころ」は自らが育まなければならない。ある程度、これがわかれば人生は「さみしくない」のかもしれない。だからこれは難しいし、最後に書いてあるのかもしれない。
30代の女性職員はまだ納得できない様子だ。アイロンが終わった鉢巻を箱に入れながら、まだ、自分だったらバカらしくてやってられないと思うけど、とぶつくさやっている。
―――いいこと、教えましょうか?
「いいこと??はい・・」
この鉢巻にアイロンをあてる・・・・洗濯物を上手にたたむ・・・上達する、学ぶ、ということを楽しいと感じる限り、まだまだ、その人は腐っていない、ということです。私がこのアイロンをバカにすれば、私はその時点で腐ってしまっているんです。つまり、私がここで働いている限り、同時にアイロンが楽しい、アイロンってすごい、と思う限り、なるかどうかは別の問題ですが、私はどの組織であれトップになる可能性があります。
こんなことくだらない、こんな仕事情けない、と言い出す連中がいれば、それはその連中がくだらなく、そして情けない人間なんです。世の中にくだらない、あるいは、情けない仕事などというモノはありませんからね。あ、犯罪は別ですがね。
ンで、申し訳ないですが、給料が安い、仕事が面白くない、社会が悪い、親が悪い、施設が悪い、政治が悪い、毎日がつまらない、人間関係が、などと文句ばかりの連中、そこらの“ひと山ナンボ”の連中が束になっても、こういう状態の人間、例えば、今現在の私のような人間には絶対に勝てません。これは予想ではありません。自慢でもなければ虚勢でもなく、人間の恣意的な解釈に依らない普遍的な法則、つまり、物理学です。物事はそうなっていますし、そう決まってるんです。簡単でしょ?だから、みんなにもお勧めします。文句言う前に、先ず、楽しくやってみる。今あるモノを数えて感謝する。これですよ。
私はもう一度、72歳の肩を叩いた。
こういう「生きた証拠」がいるじゃないですか。毎日、楽しくて仕方がないでしょう?
72歳は照れながらも、楽しい、と言った。「人生の達人」はそのあと、我々を見ながらけらけらと笑った。瞬間、私は自分の未熟を知り、ちょっと悔しくなった。まだ、甘い。国会中継なんぞを見て腹を立てている場合ではない。修行が足らん。嗚呼、私もいつか、あのように高齢者の特権、つまり「世の中なんかどーでもいい。勝手にしろ馬鹿どもww」と心底思えるほどの楽観を手に入れたい。そして、妻と二人でバナナジュースを飲みたい。あの偉大なメンターのように、貯金を切り崩しながらも年末には「銀鮭」を焼いて、吟醸酒をちびりと飲りたい。いやいやほんま、いや、ほんま。
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