プロパガンダ本として有名な1冊に「レイプ・オブ・ナンキン」がある。中身は「ネッシーはいた」とか「岸田政権は核ミサイルで中国を狙っている」という法螺レベルのアレだが、書いたのはアイリス・チャンという中国系アメリカ人の女性ジャーナリストだった。いわゆる「南京大虐殺」から60周年の1997年に出版された。
南京攻略戦にて日本軍はたった2ヶ月で7千人の中国人女性をレイプして、40万人の無辜の中国人を大量虐殺した、という、さりげなく30万人に10万人足して本を出したら、ニューヨークタイムスのベストセラーリストに10週連続でランクイン。アイゼンハワーの伝記を書いたスティーブン・アンブローズなども「最高の若手歴史家」と大絶賛していた。
調子に乗ったチャンは2003年、今度はアメリカの白人が中国人移民を差別、迫害したという内容の「ザ・チャイニーズ・イン・アメリカ」を書いた。当時からとっくに中の人がアレなニューヨークタイムスはまた喜んでいたが、普通のアメリカ人の反応はよろしくなく、歴史的証拠の裏付けがない、過度に空想小説的な旅行ガイド、など批判も多かった。
民族主義的な中国本土の教科書だ、という素晴らしい批判こそ「レイプ・オブ・ナンキン」に向けられるべきものだが、アメリカ白人の方々、なにか思うところもあったのか、悪者が日本人なら賛同もしたが、この本はなにか気まずかったのか、あまり評価もされなかった。
そんなアイリス・チャンは翌年の2004年、カリフォルニア州のサンタクララ群、17号線で自動車の中で「拳銃自殺」していた、と報じられた。4作目の作品として「バターン死の行進」について執筆している最中だったそうな。なんというか、恐ろしい世界だ。
いまではもう、少なくともネット世論の中では「南京大虐殺(笑)」みたいな扱いにあって久しいが、この記事にもあるように、未だに毎日新聞などは冒頭から<旧日本軍が多数の中国人を殺害した「南京事件」から87年となる13日>みたいに書く。社内にはまだ、アイリス・チャンをして「最高の若手歴史家」と信じ込んでいる記者もいるのかもしれない。
他の旧メディア同様、日本を腐すという使命に律儀で健気な毎日新聞だが、記事は「南京大虐殺記念館」で被害者の追悼式が行われたとして、中国国内や香港にある日本人学校の多くが休校になり、他もオンライン授業に切り替えたとか書いて心配している。在中国日本大使館も今月6日に「外出時は気をつけてください」とか物騒なことを在中国日本人に通達もしているとのことだ。
差別ではなく、あくまでも区別として、可能な限り近寄りたくない国ではあるが、それでも外務省の「海外安全ホームページ」を見てみるも、中国と思しき世界地図の箇所は真っ白。レベル1の「十分注意してください」すらアナウンスされていない。日本人旅行者も少なくないフィリピンやインドネシアでも「レベル1」なのに、日本大使館が「危ないから外出はちょっと」と注意喚起せねばならない国が「レベルゼロ」なのはもう、外務省の中の人が「その国の人」だと考える他ない。つまり、あくまでも「自国内」のことなんだろう。
ともあれ、この「南京大虐殺(笑)」について、今からひと昔前の2012年頃、名古屋市長だった河村氏が中国からの使節団に対し「日中友好のためにも、南京大虐殺というのはなかったんじゃないか」と発言して大騒ぎになったことがあった。
テレビのワイドショーでは「河村氏は勉強不足」とか「こんな認識だとは恥ずかしい」とか叩きまくっていたことも懐かしい話だが、もちろん、今も昔も勉強不足を言うならテレビコメンテーターのほうで、河村氏は衆院議員だった2006年には「いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書」を政府に提出している。翌2007年には加瀬英明氏や藤岡信勝氏らの「南京事件を検証する会」が主催し、国会内で行われた都合3度の勉強会に国会議員で唯一、全部に参加もしている。
つまり、勉強不足の真逆だった。だから使節団に向けて「なかったんじゃないか」を堂々と言った。その場の思い付きではなかった。
ネットの中ではよく「河村氏の政策はリベラルだから保守じゃない」という意見がある。反論はない。保守の定義なども議論するつもりもない。しかし、単なる事実として「南京大虐殺はなかったんじゃないか」には、しっかりした背骨があった、ということだ。
どこかの共同代表と比して、その場その場の思い付き、雰囲気で主義主張を述べる無責任者ではない、というのが私の評価である。ここも読んでいるらしい熱烈党員は許してくれ。攻撃しないでくれ。共に表現、言論の自由を謳歌しようじゃないか。嗚呼、やめて。怖い。
つまり、だ。「南京大虐殺はなかったんじゃないか」は保守だどうだの前に「普通に調べて判断したらそうなる」というだけのことであり、ある意味では客観的事実ですらある。ファンタジーやSFやで、は楽しいが、単なる客観的事実に「歴史認識」やら「主義主張」の入り込む余地はない。
「従軍慰安婦」などと同じく、よくある戦時中、あるいは戦後も含めた単純なプロパガンダであり、新聞やテレビの中にいる詐話師の作り話である。つまり、河村氏は常識がある、というだけのことであり、思想信条よりも前に、ンなこと言っとると、なかよぉできんがや、と言ったわけだ。
その根拠、裏付けは勉強して調べた、だけでもなく、河村氏の父親が終戦直後の8月16日に南京市に入り、翌年の1月まで南京市の中国人に「親切に対応されて温かいもてなしを受けた」という事実から導き出された疑問、疑念から生じた調査結果だった。
一次資料に基づいて議論するのは素晴らしい。本当はこうだったんじゃないか、いや、しかし、この資料ではこう解釈できないか、と資料を読み込み、情熱を持って、あくまでも公平に議論を戦わせるという「歴史認識の相違」は研究材料にもなるし、人類の財産にもなり得るが、イデオロギー丸出しの無茶を持ち出して「歴史」とする愚とはもう、いい加減、私を含む「巷の人々」は峻別しなければならない。とくに日本人。中高年層。職場にいる還暦過ぎの管理職にも多いタイプだ。人前で堂々と「社民党支持です」とか笑顔で言える素っ頓狂でもある。どっこいどっこいとか言いそうで怖い。
まあ、ところで、だ。
「日本」「保守」党の支持率が爆上がりしたとかSNSでみかける。良いことだが、その前に、減税日本の河村氏の市長時代の70%近い支持率は言うまでもなく、1993年からすべて連勝の選挙に強い人気者が「共同代表」である、という事実は押さえておいたほうがいい。
河村氏も金メダル齧ったり、金のしゃちほこを齧ったりして叩かれた。金メダルを噛んだ謝罪文を読んでも噛んで、呆れた様子のワイドショーコメンテーターから「反省していない」悪いと思っていない」と叩かれた。女子金メダリストに「恋愛禁止か」とかもセクハラじゃないかと叩かれてもいた。
河村氏は「SFやで」も言わず「キリトリや」も言わず、事あるごとに何度も謝っていたが、それでもなかなか世間は許してくれなく、2023年には干し柿を噛んで、一緒に撮影していた岐阜県美濃加茂市の藤井市長は「撮影時に食べ方を改めてお伝えしきれなかった私の落ち度です」とか謝ったりもした。
たしかに噛み過ぎだが、さすがに世間も「干し柿丸かじりはダメなのか」とか呆れてもいた。そろそろ笑点などでも「司会もメダルも噛んじゃダメ」とかネタにもされ始めた頃だ。河村氏本人もWBCの金メダルを持参したドラゴンズの高橋投手に「わしにメダルは近づけないほうがええで」とか自虐ネタにも昇華させていた。ちゃんとウケてもいた。
そしていまでも世間はこの愛嬌のあるポピュリスト、地元民から愛される「キャラ」を選んでいる。それは国政選挙に「アゲイン」とか言って打って出ても圧倒的に勝利させるほどの人気である。そして「河村市政を引き継ぐ」とした広沢氏も見事に当選した。与野党相乗りの候補も勝てなかった。どこかの共同代表とは似て非なり、この明白な差異に気づかないのが悲しすぎる。それでも支持してくれるのは「1割の〇〇」だけになる。攻撃は止めて。
多くの真面な日本の有権者が期待していたのは晴れて国政政党になって、国会で「南京大虐殺とか歴史の話ちゃいまっせ。こんなもんSFでっせ」と政府与党の認識を質す姿であった。
まあ、それなりに年も重ねた経験則から、愛知県民の我ら夫婦は「あそこ」に投票しなかったのでほっとしている。残念な先見の明ではある。