もう15年以上前になると思うが、ノープランで長崎県対馬に10日ほど一人旅をした。京都から新幹線で福岡に。それから中州で飲み歩いて一泊、翌日の飛行機で厳原に到着。夜はやっぱり飲み歩いたが、昼間はレンタカーで島をうろうろとしていた。立ち寄った店などでいろいろと話も聞いた。土産物も売っている雑貨屋のおばちゃんはやはり「韓国の人可哀そう」だった。知り合いにも在日の人がいると、良い人だということだった。
もちろん、困っている人もたくさんいた。対策を取っている、というスナックのママは「自衛隊の人の御用達」にしていた。料金トラブルだけではなく、なにかと普通にマナーが終わっているからだ。何十人も知り合いがいて、その上官からも「何かあれば連絡してください」とのことだった。韓国人観光客が何人か暴れても、怪我もさせずに「大人しくさせる」ことができる猛者たちが数分で駆けつけてくれると言う。警察じゃないから話も早い。
ホテルや民宿も何件か泊まったが、やはり、勝手にキムチを運び入れて部屋で宴会される、臭いが取れなくて困った、などの話はたくさん聞いた。「部屋はゴミだらけにされますか?」との質問には苦笑されていた。「まあ、掃除はできますから。それより壊されたり、盗まれたりしていなければ・・・」とのことだった。どこかの中国人よりはマシということか。
釣り場も酷かった。あの美しい対馬の海岸に貼り紙、注意書きの看板は多かった。すべてハングルで「ゴミを捨てないで」「海を汚さないで」「撒き餌は禁止されています」。
厳原空港のすぐ横には「ここは外国です。日本のルールを守りましょう」とハングルの大きな看板があった。書いたのは陸上自衛隊だ。唯一、日本語だけで書かれている注意書きは「置き引き・スリに気をつけて!」だった。つまり、そういうことだった。
しかしながら、それでも「豚足の美味い」店のバイトのおばちゃんは「在日の人、かわいそう」と嘆く。店の大将が在日で気を使っているのかと思ったが、対馬生まれの生粋の日本人だという。それならこの店だけ韓国人観光客は大人しいのか、まさか名物の「豚足」が日本人に対する蔑称、チョッパリの語源(とされているが誤り。語源は朝鮮語の双蹄から。どちらにしても日本を馬鹿にした言葉)であるから、なんとなく反日居酒屋だと認定されて御目こぼしされているのか、と思ったが、とくにそうでもないらしく、ちゃんと困るときは困っていた。大将も「来てくれるのはありがたいけど・・・」という普通の反応だ。
それならなぜに「韓国人、在日の人可哀そう」となるのか、といえば、ずいぶん昔にもここに書いていたと思うが、それが日本人的マインドだからだ。そしてその原因は対馬まで何十人でやってきて、厳原の町を「万引き朝鮮人は叩き出せ!ゴミはゴミ箱に朝鮮人は朝鮮半島に!」と差別丸出しの右翼団体がデモ活動を行うからだった。
私は「ナニを言うか、よりも、先ず、ダレが言うか」と書いた。要すれば差別丸出しのヘイトスピーチや粗野粗暴な文言を挙げてのデモ行進は、一般的な日本人に賛同してもらえない、ということだった。大声で死ねとか殺すは言っているほうは気持ち良いかもしれないが、聞かされたほうはびっくりする。
そして「怖い」と思う。距離を取るし、見もしないし、耳も塞ぐ。普通の防衛反応のことだが、それから「それはそうかもしれないが、そこまでやるのはやり過ぎだ」という評価がされる。そもそも日本人とは「孔叢子の刑論」で孔子様から「罪を憎んで人を憎まず」と言われるまでもなく、どんな大罪人も死んだら仏様だとする民族性は細胞レベルで染みついている。「悔い改めなさい。懺悔しなさい。あーめん」とかケチも言わない。
また「多勢に無勢」も嫌う民族である。風車の弥七も「タダの喧嘩かしらねーが、多勢に無勢とは卑怯なこった。勝手に助太刀させてもらうぜ」とか言って盗賊とかチンピラとかやっつけてしまう。ましてや、女子供が「襲われている」ならば問答無用で味方もするだろう。
私も大好きな大阪鶴橋で、屋台でチヂミを売っているだけのおばちゃんやらアルバイトの子に「竹島はどの国の領土だ!言ってみろ!」と怒声を持って凄み、相手が委縮して答えられないでいると「貴様!朝鮮人か!」としてガラの悪い「右のしばき隊」みたいなのが怒鳴りつけると、普通の日本人は「可哀そうに怖かったね」と反応する。当時もそれを咎めると「ヌルい」とか「口だけ保守」とか「本当はスパイ」などとしてネットに悪口を書かれる。
まあ、とくにそれで困ることもないわけだが、要すれば「そんなんじゃ目的を達せないでしょ?」ということに尽きた。保守系の政治家や企業の社長、影響力のあるタレントや学者先生らも堂々と賛同したり、応援したりできないでしょ、ということだった。
だから「ナニを言うか、よりも、先ず、ダレが言うか」と問題提起していたわけだ。怒鳴らなくても竹島は日本の領土だし、従軍慰安婦もいないし、南京大虐殺も出鱈目である。これだけのことを威嚇しながら、大勢で、怒声をあげて、野蛮な言葉でやると、ノンポリの日本人からも「韓国人差別とか本当にあるんだ」と思われてしまう。この逆効果は左巻きにも大いに利用されることからも、いったい、どっちがスパイなのか、と訝しむほどだった。
しかしながら、心の底では「仕方ない」と思うこともあった。それほど左巻きの勢力は圧倒的だった。大騒ぎして目立たないと1ミリも声が届かない、という懸念はある意味で本当でもあった。だから2009年、あの民主党が大量議席を獲得して政権与党になった。壮絶な悪夢だった。
日本人は本当に流されやすく、騙されやすく、雰囲気で行動した。3年と少しで安倍さんが「日本を取り戻す」と言って巻き返したが、その後、民主党の若手は「ポコピコハンマー」を持って選挙区などを回り、すいませんでした、と舌を出して「これでぽかっとやってください」とか、どこまでもふざけていた。名刺から民主党のロゴを隠し、仕舞には党名をロンダリングして誤魔化そうとしたがダメ、また名前を変えたり分裂して四散して弱体化した。反社の組織みたいだった。そして、今回の石破自民党にすら勝てない脆弱さは、前回の選挙にて全国比例の投票数が1党だけ伸びていない、ことからもわかる通り、もう、日本の有権者は「あの顔・顔・顔」に騙されなくなった。良いことだった。
そしてようやく、日本にも参政党や日本保守党など保守系の政党が出現した。多くの賛同者を集め、それなりの勢力になり、名のある政治家や評論家、学者先生なども堂々と賛同した。もう、ガラの悪い大声もいらない。イキり倒したチンピラも不要だ。それはもう、進歩的と言いながらぜんぜん進歩しない左巻きだけの特徴にすればいい。
それに日本人はもう騙されない。今回の名古屋市長選、その前の兵庫県知事選もそうだが、なにより先の総選挙、参政党も票を伸ばし、日本保守党は3名の国会議員を当選させて、全国比例得票率も2%を超えて国政政党になった。私はどちらの政党も支持しているわけではないが、それでも日本にとって良いことだという認識であった。
我が社の社員にも参政党支持者はいるし、日本保守党支持者も隠れる必要もなく、ある意味、堂々と私などにも政治談議、歴史談義を仕掛けてくるまでになった。社会は変化したし、それは雰囲気やブームだけでもなく、しっかりと勉強した形跡もあるし、間違っていないと思しき意見には感心することすらある。しかし、最近、若いのに元気がないのがいる。日本保守党の支持者、というか党員にもなっていた社員だ。原因は代表の舌禍である。
例の大騒ぎになった「SFやで」も世界中で報道されている。キリトリやら言う前に、それはもう、好きに解釈されて報じられていることだろう。日本の公党である日本保守党という「保守政治家」が発した言葉として報じられると、あの女性蔑視、人権無視の「SFやで」は従軍慰安婦やら南京大虐殺やらのホラ話に信憑性を持たせることにならないか。現在の日本の公党の代表が、あの一連の「SFやで」を発して許されているならば、戦前戦中、それくらいのことは平然と行う国民性であっただろうという「根拠」にされる恐れはないのか。
そしてその後の「謝罪した」「撤回した」も事務総長がいちいち反論することで火に油、これはもう、そういう団体なのだと認識されてしまっている。本人の謝罪らしき言葉を読んだり聞いたりしても、どうも批判している人らを小馬鹿にしたような、開き直りとも思えるような中途半端であり、一向に収まる気配もない。また、後日に配信された動画の中でも「男もアソコをね」とかやって、女性事務総長から「こら」みたいなオチャラケだった。信じ難い素っ頓狂さである。最近の支持率も0.3%とか、どっこい党を下回っている。
記事は石破に集中砲火みたいなことだが、夕刊フジは書きにくいかもしれない。ネット世論での集中砲火は百田氏も同様だ。あの挨拶は私も見たが、あの御仁のデリカシーの無さ、節操のなさ、見識の無さ、配慮の無さには辟易する他ない。島田洋一議員も同席していたとのことだったが、拍手していた聴衆らと同じく「心揺さぶられた」「涙が止まらなかった」という感想なのだろうか。事務総長が「自民公明立民の代表の方々は拍手されませんでした。百田代表や我々は石破総理や林官房長官のスピーチの後に拍手したのに」とか、だからなんだ、としか思えぬイチャモンをSNSで発信していたが、どこかの共産党政権のように「代表がなにか言えば拍手しなければならない」ような政党なのか。何様なのか。
もちろん、日本政府が体たらくで拉致被害者を取り戻せない、という意見に異論はないが、だから、多くの人がずっと難儀しているわけだ。左巻きに席巻された日本の中で、必死に訴え続けていた政治家を一人も知らんと言うのか。そしてそれを「初めて来ました」という人間が「47年間何をしていたのか」「本当に命がけでやっているとは思えない」と非難だけするのは卑怯の極みであり、謙虚さの欠片もない暴言の類である。
また、被害者家族のいるところで、元工作員の安明進が語った真偽不明の残酷なエピソードを聞かせるなど、理屈の前に、本当にもう、いい加減にしろとしか思えない。
「ナニを言うか、よりも、先ず、ダレが言うか」については、この政党の代表の場合、両方が当てはまる。どっこい政党より支持のない泡沫の中の泡沫ではあるが、作家として著名なこと、動画配信という手段で発信できること、そして舌禍があまりにも多すぎること、などから影響力という点では小さいとは言えない。そこらの特定野党の左巻き議員よりも発信力があるということも自明であり、日本国に与えるイメージダウンは甘く見ていられない。
心より、ただのおかしな「ユーチューバー」に一日も早くなってほしいと願うものである。