礼拝所不敬罪は刑法第188条に定められていて法定刑6月以下の懲役、または禁錮、もしくは10万円以下の罰金。器物損壊は同じく3年以下の懲役、もしくは30万円以下の罰金。この捕まった阿呆の中国人は二つの罪を合わせて求刑1年とのことだが、女子中学生を連続でレイプしても、交差点で母親と子供を轢き殺して逃げても、相手が外国人様なら起訴猶予、不起訴、無罪になる外国人様には優しい国・日本。たぶん、執行猶予でお仕舞いになる。
ちなみに、いわゆる「不敬罪」は漢時代の中国にもあって、ちゃんと律令制度の「律」における犯罪として「大不敬」があった。中身は想像通り、皇帝に意見したとか、臣下が怠慢だったとかでやられる。刑罰は一律で「棄市(きし)」。つまり、斬首して晒し首にする。司馬遷も皇帝の裁断に意見して、贖罪により死罪は免れたが腐刑(去勢される罰)にされている。
日本に伝わるのは「唐」まで待たねばならないが、いまから1400年ほど前の日本も「大不敬」として取り入れた。不敬は犯罪になった。対象は主に皇室になるが、その中には「大社を毀す」もしっかりと入れられている。つまり、神社なんかを汚したり、壊したりすれば「大不敬」の罪で咎められた。
それでも漢とは違い「殺人」よりは刑が軽く、基本的に死罪はないが、日本らしいのは十悪・八虐に含まれる「大不敬」に際しては「身分による隔たりがない」ということだ。身分が高くても低くても「不敬」に対しては特権も恩赦もない。誰がやってもダメなことはダメ、という、実に得心がいく対応だったわけだが、いまの日本における「犯罪」に対する刑罰の重さ、あるいは犯罪用件の成立には得心がいかないことが多い。
例えば窃盗罪は2006年に罰金刑が加えられている。この改正によって軽微な窃盗でも刑に処する可能性が増した。金額の多寡はともかく、10年以下の懲役、もしくは50万円以下の罰金となれば、コンビニでアイス盗んで懲役刑にするのは気が引けるが、罰金なら気を揉む必要もない。例えば、これはSFだが「50万円以下の」とか曖昧なことをしないで、交通違反みたいに「一律」にして、金額も500万とかにすれば、スーパーで万引きする阿呆も躊躇いが生じるかもしれない。
個人的な意見としては、私は殺人以外の量刑は重くすべき、と考える。ちなみに殺人は極刑で等価交換だと思われがちだが、その実、10人殺しても犯人1人しか死刑にできないなら「等価」ではない。また、北九州のマクドナルドで中学生を刺し殺すようなキ印なんぞ、終身刑だろうが死刑だろうが石打の刑だろうがヤルときはヤル。人権派弁護士が「被告は心神耗弱であり、正常な判断ができなかった」とかで無罪、減刑を主張するのは仕事だが、よく考えるまでもなく、心神耗弱でもなければ見知らぬ中学生を刺し殺したりもしない。
闇バイトに手を出して人生棒に振る20代とか、スリルを味わいたかったで万引きする主婦とか、ある意味で全員が心神耗弱ではある。真面な頭なら、そんな割に合わないこと、リスクしかないような悪事に手を出すはずもない。要するに心神も頭脳も耗弱なのである。
こういうアレな人間にもすっと伝わるのが「刑を重くする」である。よく知らない、わからない、もしかすると初犯だから執行猶予かもしれない、不起訴になるかもしれない、というか、そもそも捕まらないかもしれない、と阿呆丸出しで人様に迷惑かけるような連中に「思い止まらせる」には刑を重くすればいい。
それは飲酒運転が厳罰化されてどうなったかをみれば一目瞭然である。2000年の飲酒運転による死亡事故は1276件だったが、2021年には152件になっている。別に飲酒運転したら死刑にしたわけでもなく、先ずはシンプルに罰金を引き上げ、飲酒検問での検査を拒否したら罰則、引っかかるアルコール濃度を引き下げ、免許欠格期間を5年から10年に延ばし、危険運転致死傷罪を設けた、それだけだ。
よく書店などにも「万引きは犯罪です」とか当たり前のことが貼り出されているが、あそこに「万引きは窃盗罪で逮捕されます。現行犯は一律50年の懲役で執行猶予はありません。当店は発見次第、必ず警察に通報して引き渡します。それでもヤルなら人生終わらせるつもりでどうぞ」とか書いてあれば、文字が読める阿呆はかなり躊躇う。
それでもヤルなら心神耗弱だ。つまり、殺人事件を起こす可能性があるから、やはり、50年くらい外に出さないほうがいい。もちろん、犯罪者の人権も守らねばならないから、ちゃんと3食出して、段ボールベッドを並べた体育館みたいなところに100人くらい、ひとまとめに入れておけば寂しくもない。なかなかスリリングな退屈しない日常も味わえる。
特殊詐欺とかも法定刑で10年以下、とかヌルイことをするから、単純に「楽して儲けたい」みたいな浅薄な阿呆が後を絶たない。こんな連中は一律、無期懲役でよろしい。嫌ならやらねばいい。レイプ犯は腐刑にすればいい。もう二度と被害者は出ない。窃盗も50年入れるのはちょっと、と水洗便所みたいなキレイごとを言うなら両手首を切り落とすとか、いろいろと方法はある。いずれにせよ、理屈としては、嫌ならやらねばいい、というだけのことだ。
世の中、どんなに苦しくても、どんなに貧乏しても、人様に迷惑かけずに真面目に生きている人で成り立っている。殺人以外の犯罪における厳罰化は自分さえよければいい、自分さえ金が入れば相手なんぞ死のうが生きようが関係ない、世の中、騙されるほうが悪いとかで安易に行動する阿呆に「やったら捕まるかな、捕まったらお仕舞いだな」と犯行を逡巡させる効果はある。それでもヤルなら、以下略である。それなら飲酒運転と同じく、必ず、減少傾向になって被害者は相対的に減る。良いことじゃないか。
この「海を守りたかった」とか阿呆抜かす中国人もそうだ。狂信的右翼の日本の若者が「尖閣を守りたかった」という理由で天安門にある国家記念博物館の入り口に「厠」と落書きすれば、懲役1年の求刑などで済むかどうか。
やれば媚中派は真っ青だ。いまなら岩屋とか土下座するかもしれない。ちょっとみたい。