忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

天皇弥栄(すめらみこといやさか)

2010年01月03日 | 過去記事

今年の正月も2日目が過ぎた。我が家は今年「例年通り」というわけではなく、20年ぶりに元旦は私が家にいる。去年までは、大晦日に急いで帰宅して初詣に出掛けていた。それからようやく家で「年越し蕎麦」を啜る。とっくに新年は過ぎているし、そのまま寝ないで出勤という憂き目にも慣れていた。

しかし、今年の正月は家にいるのである!!


だから元日の昼も、ここぞとばかり妻に引っ張り回される。どこの店も正月くらい休めばいいのに、これまた、ここぞとばかり「福袋」とかを売り出すから妻は目の色を変える。靴やら服やら福袋やら、元旦から両手いっぱいで家に戻ると、また、テレビを見ながら一杯飲る。

妻は喜んでくれているのだが、困っているのは妻の友人のようだ。妻も恐る恐る(笑)「4日は店の人と買い物に行ってきてもいい?」と聞いてきた。なるほど。例年、正月にいるはずもない私がいるわけだから、妻の周囲の人からすれば勝手が違う、つまり「御主人がいてはる」わけだ。おいそれと我が妻を遊びに誘うわけにもいかなかったようだ。

ま、いずれにせよ、「いつもと同じ」は安心を意味することもある。とくに正月などに贅沢をすれば「来年の正月も、こんな正月を迎えられますように」と願ったりもしてしまう。

そもそも、日本人には「毎年同じ」に「ありがたい正月」がある。それは年賀状やお年玉、昼間から飲める酒や腹いっぱいに喰える御馳走だけではなく、元旦、新春を迎えると、天皇陛下が御感想を述べられることだ。翌日には皇居にて恒例の一般参賀もある。

一年間、日本国民の繁栄と世界の平和を祈り続けてくださる天皇陛下が、昨年の御感想を国民に述べられる。いつ、いかなるときでも日本国民を励まし、労い、理解してくださり、そしてまた、今年の一年間も祈り続けますと述べられる。普段、我々は水や空気、大地や太陽に感謝することを失念するが、それと同じく、御皇室に対する感謝も忘れがちだ。だから、正月のひとときくらいは厳粛な気持ちになり、震えるほどの感謝を覚えてもいい。

また、小沢は知らないだろうが、今年も2日に行われた「恒例」の一般参賀というのは、公的行為でも国事行為でもない。天皇陛下のご厚意によるものである。天皇陛下のお気持ちで行う一般参賀には、毎年、何万人もの人々が何時間も列に並び、天皇陛下と一緒に新年を祝いたいと集まってくるが、世田谷の「小沢邸」にて行われた新年会では「行かないと何されるかわからない」と怯えた民主党員が集まったようだ。並べて論ずるつもりは毛頭ないが、いわゆる、これが「権威と権力の差異」であることは言うまでもない。


http://www.asahi.com/politics/update/0101/TKY201001010103.html
<小沢幹事長、自宅で新年会 閣僚・議員166人参集>

ヤクザの事務所に「お年玉をもらいに走った人」が1200人というから、来年からはチルドレンにも“子供手当”を渡したほうがよいだろう。それにしても、正月早々、地元回りもそこそこに、支援者も放り出して、必死で東京に舞い戻るチルドレンも哀れではあるが、それも民主党でバッジをつけていたいという「偽らざる心情」なのだろう。

ところで、この新年会の周りで「売国奴は日本から出ていけ」とやったデモがあったそうだが、朝日新聞が書くのを忘れているようなので産経新聞から拾っておく。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100101/stt1001011655002-n1.htm
<厳戒の中での小沢邸新年会 周辺道路には蛇腹式バリケードも>

蛇腹式だと大型のバリケードガードだと思うのだが、朝日の記者は酒でも飲んでたのか、目には入らなかったようだ。正月ボケも結構だが、もう少しちゃんと仕事した方がいい。

<小沢邸の周囲を警護官や制服姿の警察官が取り巻いき、近くの道路には蛇腹式のバリケードも置かれた。バリケードの外では、小沢氏が推進する永住外国人への地方参政権付与などに反対する人たち約40人が集まり、小沢氏や出入りする議員らに対して「売国議員は日本から出ていけ」などのシュプレヒコールをあげた。普段、閑静な住宅街は騒々しい新年となった>

なんともまあ、正月から「リアル世界」で戦う庶民を見て「出入りする議員ら」はどう思ったことだろう。名前はともかく、少なくとも「顔」を出して正月からモノ申す人達から浴びせられる「売国」の言葉は心に響いたのだろうか。

正月、新年会からもう、公費でガードをつけねばならない政党の幹事長にくっついていることが「有権者への答え」なのだろうか。その抗議デモが訴える「中身」は、己の政治信条とは異なる内容だったのだろうか。ともあれ、チルドレンの方々には新年早々、ワンマン社長の自画自賛を聞かされるとは、まったく同情を禁じ得ない。




ところで――――

初詣で「願い事をする」というのはいつからだろう。

初詣とはやはり「参拝」することに他ならんわけだから、本来、「何かお願いする」というのもおかしな話である。いわゆる「御利益がある」とかだ。倅も「合格祈願」みたいなことを口走っていたが、伏見稲荷大社の主祭神は「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」で「穀物」の神様だ。専門外である(笑)。

笹の葉や流れ星じゃないんだから「願い事」は関係ない。昔、余所の家の短冊に「なんとかして」と、漠然が過ぎる「願い事」が書いてあって笑ったことがあるが、ま、基本、自分で出来ることは神様に頼らずやりたいものだ。神はネコ型ロボットではない。

初詣。ちなみに、私は毎年、手を合わせて「昨年はありがとうございました。今年もよろしくお願いします」と心に想うことにしている。年賀状みたいなもんだ。


まあ、しかし、いろんな言い方がある。

「願う」「祈る」「祈念する」「念願する」「思う」「希望する」・・・


天皇陛下の御感想。即位された平成2年から思い起こせば(宮内庁HP)、ご感想の結びが一貫していないことに気づく。陛下はその年によって、願われたり、祈られたりされている。何度か読み返していると、畏れ多くも「それらの意味」が伝わってくるような気がする。それは強弱ではなく、濃淡でもなく、ただただ、それは陛下の想いなのだと気づく。




平成22年新春。

我々は何を願い、何を祈るのか。

家内安全、家庭円満、商売繁盛、無病息災・・・これらも大切だが、正月くらい「天皇弥栄(すめらみこといやさか)」を祈り、願いたい。

1 コメント

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Unknown (ちょん)
2010-01-04 18:14:16
おべんと温めてくらはい。男は家族にうまいもん喰わせてなんぼです。さるさるでのお前の日記読み返して本年初の大爆笑。

ありがとー!!
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