忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「善意の代償」

2008年10月14日 | 過去記事
■2008/08/28 (木) ガチコメ的「善意の代償」1

倅にせがまれて京都大学に行く。

断っておくが、この「せがれにせがまれる」という部分において駄洒落の意図はない。私はダジャレが嫌いだ。妻は倅の作った「ダジャレ集」で爆笑するが、私には永遠に理解できないと思われる。

ともかく「敵を知る」ということらしい。その門の前で宣戦布告を行うというから、クーラーの効いた天国から、クソ暑い野外に出ることとなった。ああちくしょう。

倅に言わせると「ライバルであるお母さん」が高校生のころ、「合格可能!」と太鼓判を押された京大に受かることで、お母さんを越えようという魂胆らしい。しかし、なぜにお母さんを越えようとするのか。普通、男の子だったらお父さんを越えようとすればいいぢゃないか。

・・・はっ!・・・・もしかすると、もう「越せた」という判断ではあるまいな?未だに「指一本」で腕相撲に負ける貧弱ぅな子倅が、なにをクソ生意気に「お父さん越え」を果たしたつもりなのか。陰毛も生え揃わん餓鬼のくせに、なにを偉そうに抜かしてけつかるのか。許さん!勝負しろ!男と男の勝負だ!ファミコンもってこいぃぃ!!・・・・ということで、京大の前に着いた。得得うどん美味かった。

門の横。ひょっと見るとウトロのようになっている。青や赤のでかい看板。アカ臭い&阿呆臭い。大丈夫なのか。このがっこは。

「辺野古新基地は白紙撤回するべきだし、民間人を海自軍艦で脅すな!」
「キリギリスのように楽しく働きたい!時間給は2000円に!」
「5年で使い捨てはいや!でも餓死はいや!」

ノ ヽ``┼┐!〆(;ω;。)

「するべきだし」ww

合格の暁には倅に「ソッコーで家に帰れ」と言わざるを得ない。誰とも話さず、誰とも目を合わさず、ダッシュで帰れと(笑)。おるぐおるぐ・・・あわわ・・・

「2」へ

■2008/08/28 (木) ガチコメ的「善意の代償」2

-

さて―――――

日本の大学で「時間給2000円にしろ!きりぎりす!」とクソ甘えたことを言っとる餓鬼がいれば、遠く異国の地で「子供たちに清潔な水を・・」と言いながら果てた英雄もいる。

http://sankei.jp.msn.com/world/asia/080828/asi0808280831000-n1.htm
<【アフガン邦人男性拉致】「得難い青年」と中村医師 伊藤さんの遺体帰国へ>

「アフガンで土になってもいい」と決意した息子さんは無言で帰国することになった。御両親の心痛はいかばかりか。なんとも悲惨な事件である。

「安全への配慮」と言ってしまえばそれだけなのだが、なんとも世の中とは不条理であると思い知らされる。薄ら甘い平和主義など「限られた空間の中での夢想」に過ぎないと現実を突きつけられる。溢れる善意と尊敬する行動力も「通じない相手」はいる。平和的なボランティア精神であっても、非武装で無抵抗であっても「危険」は襲いかかってくる。

「暴力から身を護るには暴力しかない」ということだ。

悲しい話だが、それが現実である。

<また「アフガンは危機的な状況で、全土が無政府状態化している」と指摘。治安に対する認識が甘かったと省みた。>

遅すぎる認識だし、「危険」であることは既知であったはずだ。この「ペシャワールの会」が挙げている『誰もが行きたがらない所に行き、誰もがやりたがらないことをする』がそれを示している。農業を教え井戸を掘る。地元の住民からも慕われていたそうだ。根付いていたわけだ。善行であり、崇高な精神である。だが、やはり、「危険」なのだ。

「3」へ

■2008/08/28 (木) ガチコメ的「善意の代償」3

「危険な地域だからこそ支援が必要」だという理屈は正論である。まさにその通り。そして、その場所に「死ぬ覚悟」で支援しに行く人は素晴らしいと思う。そしてやはり「殺される」のだと証明することになろう。そこに善意も悪意もない。ただ「殺される」という現実がごろりと転がっている。当たり前に「丸ごしの善意」はターゲットにされる。

NGOとはいえ民間では限界がある。アフガニスタンのために・・という純粋な気持ち、子供たちには何の関係もない・・という善意の心も通じない連中は確実にいる。人道的支援はあっさりと非道的攻撃に屈する。私は「覚悟」を否定するものではないが、やはり、無茶だと思う。無謀であると思う。「救えないこと」はある。

http://sankei.jp.msn.com/world/asia/080828/asi0808281036002-n1.htm
<【アフガン邦人男性拉致】「外国人追い出すため」と実行犯が供述>

身代金の要求すらされなかった。善意のみで働く人を「見せしめ」的な意味合いだけで殺したのである。そこには「交渉」もなく、ただ目的は殺害だけであった。退避勧告を出していた日本政府も「強い憤りを覚える」としてはいるが、その前に退避命令、更にはアフガニスタンへの入国禁止という措置をとるべきではなかったか。いや、もっと言えば、支那から留学生を招き入れる金でアフガンの難民を引き受ければどうなのか。そしていつの日かアフガニスタンの情勢が安定するならば、そのときに送り返し、更なる人道的支援を行えばどうか。各ボランティア団体も日本国内で奉仕活動にあたればいい。

-

大国のエゴですり潰される国がある。今日の糧さえ得られない民がいる。抗うテロルは止むこともなく、怨嗟と絶望を吐き続ける。命をかけて救いに行く「真の平和主義者」の犠牲は何を残すのか。暴力の中であり続ける善意とは可能なのか。もし、この男性が私の身内ならば「タリバンの連中を皆殺しにしたい」という報復感情だけは確実なことだが。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。