朝ドラ見ている夫婦です。
もう何十年も、毎朝の習慣になっています。
今朝の NHK朝ドラ「おむすび」を見て、
結婚の思い出に関する胸の痛みを感じていました。
結婚って、
これはあったけれど、
あれは無かったな・・・
そんなことが湧き上がってくるものかも・・・
無かったもの、
無いものにフォーカスがあたってしまうのです
例えば、
両家の付き合いは全く無し
だから親族の写真は全く無し
でも、結婚式は上げています。
朝ドラ「おむすび」では
結婚式や婚約指輪は無しだけれど
親族同士の写真があり、
笑顔があり、
そこの場面で胸がきゅっと痛んだのでした
痛いなあ・・・という気持ちをごまかしていました。
でも、どんなにごまかしても
ふいに、こんなドラマの場面が出てきたとき、
その痛みがよみがえってきてしまいます。
ちゃんと 痛みを感じていないからだなと
おばあさんは思いました。
お互いに実家は離れているし、
転勤族だし、
親戚づきあいや両家の付き合いをあれこれやろうとしたら
それはそれは大変な事になるし、
じゃあ、どの程度の距離までが付き合いの範囲になるのか?なんて
誰も決められないし。
寂しさだな・・・とおばあさんは感じました。
おじいさんは、寂しさっていうのをあまり感じないのです。
このブログでも 何度も書いているように
おばあさんは「寂しさ」をこころの奥に隠してしまいます。
「寂しさ」が顔を出すと、
それを見ないために、押し込めるために
気分転換に走ってしまうのです。
気分転換なんて、今の世の中、いくらでもできてしまうから。
物や娯楽があちこちに溢れているので、
あっという間に、別のことに気持ちが移っていけるのです。
特に「寂しさ」っていうのは
身体の痛みや貧困に比べたら、
気を紛らわせるのはわりに容易です。
痛いな・・・
心臓にチクっと刺さったな・・・
これ ちゃんと見ないとな・・・
ちゃんと見てみると
寂しさだけじゃなくて
怒りもあるし、「どういうつもり?!」
不信感も出てくるし、「なにか恐ろしいことを隠しているんじゃないだろうか?」
罪悪感も出てくるし、「わたしが酷いことをしたから言ったからこうなったんだ」
あとからあとから いろんな感情が出てきました。
おわり無く出てくるのです!
起きたことは最善
と、よくヨガの師匠は言っていました
今現在は、何の問題も無いし、
平安だし、
平和だし・・・
今朝は、朝ドラを見て、
過去と向き合うことができました。
そして
過去はどこにも存在しません。
猫ちゃんたちの日向ぼっこ姿は
この上なく
幸せな気分になります♪