別にケチなわけでは無いと思うのですが、
いや、ケチなのでしょう・・・
お年玉
入学祝
卒業祝
お餞別
引っ越し祝
これから あらゆるご祝儀が待っています。
いや、誰も待っていないのですが、
おばあさんだけは、待っていると思っています。
親戚づきあいは、お金を利用してはいるけれど、
本当は、付き合いを途切れさせないための方便なんだと割り切れば
いいのですが・・・
すっきりなんてしないのです。
例えば、比較が生まれてしまうし
(だから、父方は跡取りさんがいっせいに兄弟にれんらくして
物品、金額を指定して、みんな同額のご祝儀を用意します)
あげたあげなかった、もらったもらわなかったと
そのことで恨みつらみが起きたり、
(だから、きちんと記録しておくのです、ノートに。
だれそれから、なにをもらい、いくらもらったかを)
ああ、気が重い・・・と感じたのでした。
目の前の親戚の子供たちにたいして、
「おめでとう!」っていう気持ちはホントにあるのです。
だけれど、同時に、「お祝いどうしよう」って浮かんでくるのです。
親族は、寂しさから解放してくれるありがたい存在です。
だけれども、それだけではない存在でもあります。
こころから喜び、こころから祝福したいと
ひしひしと感じたのでした。
猫ちゃんたちへのご祝儀は
シメエサ(湿った餌、スープとかまぐろとか、カリカリの餌以外)です。