おもい出し日記

思い出の建築7 高橋是清邸

江戸東京たてもの園に自邸が移築され、現在も見学することができます。





大きな家で2階に書斎と寝室がある二間続きの部屋があります。
(肝心の写真がありません)

東・南側には大きな開口部があり、庭が一望できます。

朝ここで真っ先に英字新聞に目を通して情報を早くつかんでいたようです。

2階にあるこの部屋へは隠し階段がもう一つあり、「もしも」の場合を想定していたようですが…。



仙台藩士出身の方で第20代内閣総理大臣を務めました。

この建物の入り口に年譜が書いてあり、それを読むまで仙台藩士の方とは知りませんでした…。


父親は徳川家の絵師をやっておられた方で、そこに行儀見習いに来ていた女性とにできた子供です。

事情が事情で生後間もなく仙台藩士の高橋家の養子となったようです。

その後成長し、藩命により勝海舟の息子と海外留学をしますが…。

学費や渡航費を着服され、さらに年季奉公の契約にサインをさせられ、奴隷同然となったようです。

そこからやっとのおもいで脱出し、たくさんの苦労を重ね日本に戻ってくることができました。

英語はその時に覚えました。
命がかかっていますので必死になって読み書きをし、覚えたのでしょう。

帰国後、英語教師で教壇に立ったり、現開成中・高の初代校長を一時期務めます。

その後、日本銀行に勤め、日露戦争時には日銀副総裁として活躍しています。

2・26事件では自宅二階寝室で青年将校らに胸を6発撃たれ、暗殺されてしまいました…。
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