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伝説の覆面作家の怪作「ワイオミングの惨劇」で読了Xserve

2004-09-06 | ヌルヌルアーカイブ
伝説の覆面作家トレヴェニアンの新作「ワイオミングの惨劇」を“読了”。――ああ、これ、いっぺん言ってみたかったんだ……「読了」ってなんか、よくない? よくなくなくない? 年に、ほんの数冊しか本を読まない俺が、こんな――決してメジャーとはいえない――ナゾ小説を手に取ったのは、ゴールデン街の「深夜+1」で内藤陳会長や、カウンターボーイのユウスケくんに強力に勧められたからだった。

正直、タイトルがイケてねーな、と思った。「ワイオミングの惨劇」って……。原題の「Incident at Twenty-Mile」もどうかと思うけど。……そもそも、タイトルから受ける印象と中身が違いすぎるんだ。これは、この事実は……この作品にとって、まさに“惨劇”だ。しょうがないから、俺がもっとましな邦題を考えてみた(←余計なお世話)。

・どすこい西部劇
・ヅラ野朗を探せ!
・妖艶! 七枚のヴェールの踊り
・俺の特大ショットガンを喰らえ!
・“リーダーが悪者だからって、名字が「リーダー」という設定はどうかと思う”伝
・萌え萌え漂流記 with RK(リンゴ・キッド)

……だめだ。本気でむずいそ、邦題つけるのって。しかも、本を読んだ人じゃないと分からないネタをはさむなんて……最低だ……最低だよ。しかも、多分ネタが分かる人が見ても、おそらく、あまり面白くないであろうデキだ。

…………。

俺は、自分の「もうひとつの場所」に逃避する。そこは――すべての現実、すべての心配ごと、すべての悩みの種、その他もろもろの驚異の一切が、五感で捉えられる情報感覚と切り離される……いわば、別次元(マクー空間)。しかし、まるで第六感で感じとっているかのようなおぼろげな状況判断はできる(マクー空間)。……その結果、通常の状態では処理できようもない難しい事態を、いとも簡単に処理でき得る(……蒸着!)。

――という主人公の設定が、この物語ではひとつのキーになっていて、一見完璧に見える主人公の人間像に次第に深い影を落としていく……そう、根底にあるのは、実は「人間ドラマ」なんだ。
また、「もうひとつの場所」をはじめとした細やかな心理描写、ゴールドラッシュの残り香が漂うアンチ・マカロニウェスタンな情景描写、品を落としすぎずに外見や性癖をブチまけつつ、セリフでまくし立てる人物描写などが――ちなみにそのどれもがまぶたの裏に映像を映し出すほど“映画的”だ――三位一体となって、物語の外堀を埋めていく。

いや~、面白かった。いわゆる派手なオモシロさではなく、胸に染み入り、そこから血肉となって全身に運ばれ、最後に脳の海馬に――まるで自分が実際に経験したかのような記憶となって――蓄積されていくような……そんな面白さ。

その一番の理由は、本編のあとに作者自身が綴る後日談と、今作ができあがるまでのセルフモノローグだ。本来作品を補完するのみの役割しか与えられないはずのそれらの要素が、まるで作品の一部であるかのごとく有機的に本編と結びついていて、得もいわれぬ読了感の演出に成功している。

いやー、すげーぜ。トレヴェニアン。もしかして……これがゴールデン街クオリティー……?
同じトレヴェニアンの、「夢果つる街」と「シブミ」も読んでみようと思った。

さて、俺も「もうひとつの場所」に逃げ込んでいる場合じゃない――今週は、めちゃくちゃ忙しそうだから。
惨劇は、「南房総の惨劇」だけで、もうたくさんっスよ。