自ら望んで教諭に降格(希望降任という)した校長や副校長・教頭、主幹教諭ら管理職が、全国の公立小中高校で平成22年度は211人に上った。「校長から教諭」が7人、「副校長・教頭から教諭」が86人。「主幹教諭から一般教諭」が103人。健康を損なった、多忙、重責など、それぞれ理由や事情はあるのだろうが、教育現場の自信喪失を反映しているようにも思える。
同じ希望降任でも、まるで志の違う教師が熊本県八代市にいた。徳永康起(やすき)さん(1912~79)という。
熊本師範学校を出て昭和22(1947)年、35歳で小学校長に抜擢されるが、5年後、「教え子多数を戦場でなくした償いと供養のため」に自ら願い出て一教師になった。
八代市立太田郷小学校で5年生51人を受け待った徳永さんは、卒業までの2年間、子供たち全員に日記を書かせ、その日記帳すべてに赤ペンでコメントを添えて返した。思わぬ抗議や悲しみの訴え、家庭の悩み、友達とのいさかいの相談など、感想だけではすまない内容もあり、毎日が真剣勝負。下校時までに書き終えるため休む暇もなく、徳永さんの手はいつもインクで真っ赤だった。
学期末の通信簿には、生活態度などから見つけ出した子供たちの美点や長所をびっしりと書き込んだ紙が2、3枚ずつ張り付けられ、読んだ親はわが子への愛情あふれる記述に涙したという。
卒業後も励ましの便りを欠かさず、10年後には、さらにすぱらしい贈り物をした。卒業式が近づく頃、保護者に呼びかけて書いてもらい保管していた「わが子への語りかけ」31通を掲載した『命の呼応限りなきかな』という冊子を作り、22歳になった教え子たちに届けたのだ。
真心込めた親の祈りがぎっしりと詰め込まれた文集。「社会に出た子いとき、励ましになるものは何だろうか」と10年先を見通した見事な計らいだ。教師の資質がが問題となる今、徳永さんは改めて語るべき人ではないかと思う。(教育ジャーナリスト)平成23年11月29日火曜日
同じ希望降任でも、まるで志の違う教師が熊本県八代市にいた。徳永康起(やすき)さん(1912~79)という。
熊本師範学校を出て昭和22(1947)年、35歳で小学校長に抜擢されるが、5年後、「教え子多数を戦場でなくした償いと供養のため」に自ら願い出て一教師になった。
八代市立太田郷小学校で5年生51人を受け待った徳永さんは、卒業までの2年間、子供たち全員に日記を書かせ、その日記帳すべてに赤ペンでコメントを添えて返した。思わぬ抗議や悲しみの訴え、家庭の悩み、友達とのいさかいの相談など、感想だけではすまない内容もあり、毎日が真剣勝負。下校時までに書き終えるため休む暇もなく、徳永さんの手はいつもインクで真っ赤だった。
学期末の通信簿には、生活態度などから見つけ出した子供たちの美点や長所をびっしりと書き込んだ紙が2、3枚ずつ張り付けられ、読んだ親はわが子への愛情あふれる記述に涙したという。
卒業後も励ましの便りを欠かさず、10年後には、さらにすぱらしい贈り物をした。卒業式が近づく頃、保護者に呼びかけて書いてもらい保管していた「わが子への語りかけ」31通を掲載した『命の呼応限りなきかな』という冊子を作り、22歳になった教え子たちに届けたのだ。
真心込めた親の祈りがぎっしりと詰め込まれた文集。「社会に出た子いとき、励ましになるものは何だろうか」と10年先を見通した見事な計らいだ。教師の資質がが問題となる今、徳永さんは改めて語るべき人ではないかと思う。(教育ジャーナリスト)平成23年11月29日火曜日