父はコックをしてきて。
名古屋のホテルにきたら、アメリカに、いた頃のお給料は貰えず。
次に勤めたのは、喫茶店などに卸すカレーを作る会社でした。
こちらでは、工場勤務ではなかったようです。
また、コックをしていた頃に、その会社に声を掛けられたんだそうです。
そこは5年くらい勤めていたんじゃないかな?
どうも、味とかのコンサルタント的なのをしていたみたい。
ここで、どうやら起業の構想を固めたようです。
祖父母、母を前に『会社を設立したい。経営者になる!』と、豪語したそうです。
堅実が第一の田舎です。
祖父母、母も大反対です。
手元のお金はいざ知らず、借金しなくちゃいけないからです。
当時は、担保に土地を入れなくてはならない時代で。
ま、要するに実家にある土地を担保に入れさせてほしいと言うのが、祖父母、母の反対どころです。
先程も書きましたが、堅実が第一の田舎です。数百万、数千万円の借金なんて、他人ごとです。
ということで、父以外はもちろん全員反対。
これからも父対家族の話し合いが続きます。
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