今は幸せ!でも・・・?

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日本での生活スタート

2020-04-23 08:57:28 | 日記
毎日、毎日コロナウィルス感染者数を見てると気が滅入るので、他のことして気を紛らわせてます。

どうか皆さん、命を守りましょう。
医療機関の最前線で、頑張っている方々に敬意を。

さて、父、母、ワタシが母の実家に帰ります。父は以前にも書きましたが、養子さんなので、帰るところは母の実家。

当時は、実家のそばとかで、賃貸借りるとかしなかったのかなぁ?
まぁ、田舎の家なので、寝るところはたくさんあるから、家にいたほうが、お金もかからないか。

父や、母は当たり前だけど、日本の生活には慣れています。

が。
ワタシは初めての日本での生活です。
何もかもが分からない←3歳だから仕方ないと言えば仕方ない。

グアムにいるときは、キンダーガーデンや、スイミングスクールでは、ワタシは英語。
家の中で父母との会話は日本語だったようです。

で、帰ってくる。
当然、日本語でのやり取りなんですが、祖父母と初めて会うから、話さない。
話しても、英語だったようで、しばらく祖父母との会話は、母が翻訳して過ごしていたそうです。

あと、習慣も違う。
土足で、家にあがったら『玄関で靴を脱ぐのよ』と言われたワタシは、なんと門で靴を脱いで、靴下でとことこ玄関まできたら母が『あれっ、靴は?』ワタシ、門を指差します。

門に確認に行くとそこには、靴がちょこんと置いてあったそうです(笑)

母は『あれは、ビックリしたわ〜説明が難しかったし、いつになったら、この子は日本で馴染んでくれるのか、ちょっと不安になったわ』と、ワタシが大きくなってから、教えてくれました。


日本へ、実家へ

2020-04-21 18:46:34 | 日記
私が3歳になろうとした時に、グアムから、日本へ、実家へ帰りました。

日本円で500万は貯める事は達成。

常日頃から祖母が『早く帰ってきて!跡取りがいつまで、留守にしてるの!』

まあ、父母も目標達成したし、もういい加減帰らないとな〜とは思っていたと思います。

そうじゃなければ、そのままズルズルとアメリカにいたかも。

私はそれでも良かったんだけど。



『何やってんの!!』母、怒る

2020-04-16 13:25:04 | 日記
グアムに父母がいる間に、母のすぐ下の妹←ワタシからみたら、叔母が、叔母の友人とグアムに遊びに来たそうです。

泊まるところはあるし、初めての海外旅行だし。

叔母たちも浮かれてて、楽しむぞ!の塊だっそう。分かる〜。

先ずマクドナルドにビックリしたそうな。
たしか、マクドナルドが日本に上陸したのは1973年だったかな?

名古屋にはなかったのかな?

とにかく、叔母たちは、その美味しさとボリューム感にビックリしたそうです。

かと言って、母も仕事もあるから、ある日叔母達をビーチに連れてって『私の仕事が終わったら、迎えにくるから』と、お小遣いまで渡して、母は仕事へ。

最初は、叔母達も海を満喫して遊んでいたそうですが、二人だけだから、飽きてくる。英語も出来ないし。
食べて、飲むくらい。

そうしたら、ビーチバレーを楽しんでいた白人男性達に声を掛けられます。
『一緒に遊ばない?』的な。

当時は海外旅行初めてで、基本日本人は人を信じちゃうから、『わ〜、いいんですか〜』と、参加。
私からすると、警戒心無さすぎ!(笑)

ひと通り遊んだら『じゃーね〜』と別れたそうです。

そのうち母が、ピックアップしに、ビーチに。

母が『ごめんね〜、相手出来なくて。どうだった?楽しめた?』と叔母達に聞いたら、件の『ビーチバレーに誘ってくれて、楽しかった〜』と、無邪気に答えます。

叔母の話によると、その時に母の顔色がサッと変わり『何やってんのよ!日本人でしかも女性二人だから、レイプでもされてたらどーするのよ!!声かけられても、英語分かりませんって顔して、知らない顔してれば良かったのよ!あー私が悪いかも、しれないけど、何かあったら、母に叱られるのは、私なのよ!!』と、大激怒。

ま、確かに2人を短時間だからとはいえ、ビーチに置いていった母も悪いかもしれないけど。

叔母達の初・海外旅行だから、開放感ハンパないっていうのもあったかも。
これ、今聞いても、怖い。
知らないって素晴らしい〜(笑)

その夜、叔母達はさらに、父からもきつく怒られたそうです。

焼きそば

2020-04-14 14:46:21 | 日記
グアムでの生活は、母にも、父にも快適だったみたいです。

グアムは、湿度は高いし、スコールは降るし。

でも、ほとんどのところがエアコンきいてるし。
スコールも一時的なものだし。ワタシ的には快適なところです。

さて、お金を貯めるのは、母は得意。
これは、妹が似てる。
私は不得意(笑)

母は、バイトも楽しかったというし、父も休みの日には、仲間を集めてポーカーしてたというし。←このポーカーでの戦利品結構あって、日本に帰ってからも使っていました。
お金のやり取りもあったかもしれないけど、かわいい金額だったんじゃないかな?

その中でも、母は節約にいそしみます。

今もあるかは知らないけど、インスタントラーメンのような、袋に入った乾麺の焼きそば?があったらしくて。日本食もちらほら売っていたみたい。

一人でごはんを食べるときは、そのインスタント焼きそばを、食べていたそうです。
ひたすら、それ。

で、後々『焼きそばは、節約してるときの味だから、大っ嫌い!』と良く言っていました。

で、話は先になりますが、私が保育園の給食で焼きそばが出たんです。

ワタシ、焼きそばを、それまで食べたこと無かったんですよ。本当に。
だから、何の食べ物かがわからなくて、食べられないから、残したんです。

で、保育園の先生から母が、『娘さん、焼きそば嫌いですか?一口も食べないんですが・・・。』

そこで母、ハッとします。
『家で焼きそば、作ったことないわ〜』って。自分が嫌いなものって食卓に出さないですよね。

焼きそば=節約時期 が母の頭にあったので。

で、それから焼きそばが食卓でも出るようになりました(笑)

目指せ500万!

2020-04-12 15:07:51 | 日記
グアムでの生活が始まりました。
父は、ホテルにて勤務。
私はまだ、3歳にも満たない子でしたが、母は、家賃がほぼないということもあり、幼稚園なのかなぁ?に私を預けて、働きに出ます。

グアムで、のんびり過ごしていれば良かったのにね。

でもね、父母には目標が一つあったんです。

それは、日本に帰るときまでには、500万を貯めるということ。

その頃1ドル=350円くらい?
わかんないけど。

日本に帰るまでに、頑張ろう!ロサンゼルスにいた頃から、母も密かに心に決めていたそうです。
実際、父の給与も良かったみたいだし。

家はホテルが用意してくれてる。
家賃は、ほぼ皆無でしょ?
食事はというと、父が職場から、ちらほら持って帰ってくるし(笑)

母は母で、日本人観光客相手の土産物?のショップで働き始めます。

家は、日本の賃貸と違って、広くて、勝手がいい。

おぼろげながら、グリーンの毛足の長いカーペットに、大好きなミッキーマウスのぬいぐるみを持って、私が立っていることを覚えています。

そうそう、母が勤めていたショップには、新婚旅行で来るお客さまも多かったらしく。
後々に聞いたことは。
『新婚さんはね〜、手にお土産を持っていく先のリストを持って、あーだ、こーだ言ってるわけ。当然、喧嘩になる人たちもいたわ。あの頃まだ、海外旅行も珍しかったのかもしれないから、親にも言われてると思うのよ。でもね、土産ごときで、時間を潰すのは、ムダだわ〜』と。

だから、『あなたが結婚するときは、新婚旅行を2回行かせてあげる。1度目はベタなところ。お土産に迷わないところね。とりあえず、買っとけ、みたいな。2度目は、自分たちがエンジョイできるところに行きなさい』と、良く私に言っていました。

で、実際ワタシは、結婚したときには、一度目は北海道。
2度目はヨーロッパでした。

ありがとう、お母さん。