父は当時、下宿していたウチから大手某ビール工場に勤めていました。
瓶ビールの王冠のプレスをしていました。
夜は夜で、違うバイトをしていたそうです。
そこに祖母も感心し、男として見初めたんでしょうね。
『コックになりたい!』どこからその考えが来たのかは父本人にしか分からないですが、手に職をつけたかったんじゃなかったんでしょうかね。
スイスに行くときは、10万円を握りしめて、ロシアに渡り、シベリア鉄道など乗り継ぎ、スイスへ向かいました。
当時の10万円って、今ではいくらになるんでしょうか?私には分かりかねますが。
アジア人で、言葉の分からないところで、とても苦労したと思います。差別もひょっとしたらあったかもしれません。
コックは徒弟制度みたいなものです。
最近は流石にないとは思いますが、『何やってんだ!』と蹴られたり、殴られたり。
ひたすらじゃがいもの皮を剥いたり。
ひたすら皿を洗ったり。
とても苦労したと本当に思います。
そういうところは、尊敬できます。
今でも、父は手元があまり見えてなくても、玉ねぎのみじん切りなんて、素晴らしいもんです。
玉ねぎの原形を保ったまま、きれいにみじん切りをしています。
私は、そんなことできません(笑)
兎にも角にも、父のスイスでの修行が始まりました。
ちなみに、生きている間にもう一度スイスに行きたいそうです。
行けるといいね〜、父。
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