ここ2日、コロナウイルスのことを書いて、不快に思われた方がいらしたら申し訳ないです。
今までは父と母のことを書いてきましたが、改めてウチのことを、ざっくり書いていこうと思います。
ウチの始まりは大正時代から始まっているようですが、いかんせん過去帳にも詳しく載っていないので、間違っていたら、ごめんなさい。
最初は『たか』さん。女性で私達は『おたかさん』と子々孫々呼んで来ました。
この、おたかさん、詳細は分からないのですが、お一人だったそうです。先に旦那様が亡くなられたのか?
その頃から土地はたくさんあって、小作人もたくさん抱えていたそうです。
おたかさん、家を存続させるため、親戚からかな?男性、女性を養子に入れ、結婚させます。いわゆる両貰い。
小作人をたくさん抱えていたということからも、かなり裕福な家じゃなかったのかなあ?
みなさん、土地持ってる人って、お金持ちってイメージありませんか?
今の田舎の土地持ちは、現金無いんですよ(笑)
これ、ホント。
みんな、相続税が払えなくて、土地どんどん手放してますよ。
確か、18年くらい前に、おたかさんの50回忌をしました。
年忌法要って、今は13回忌すれば良しじゃないのかな?
50回忌が、仏教的に、本当に最後らしいんですが、今じゃ、子孫が生きてないよ〜。
過去帳を見ると、両貰いのあと、2世代があることが分かりました。
その2世代目が私の曾祖父←言葉合ってるかな。
この方、私の生まれた年に亡くなっています。位牌を見てビックリです。
その後が、祖父母。
実は祖母の最初の結婚は祖父のお兄さん。
第二次世界大戦で、すぐに出兵。
ボルネオ島で戦死。
そのすぐなのか、戦死した弟←祖父と再婚?なの?をします。
祖父は吃音で、病弱。兵役検査で弾薬を作るところへ。結局、戦地に行かないことに。
吃音なんて関係ないでしょうが。
当時としては珍しく無かったようですが、祖父は『兄貴のお古と結婚するのか』と言っていたそうで、祖母は哀しいやら、悔しいやら。
祖父の気持ちも、分からなくはない。
で、祖父は結婚してから赤線、青線いわゆる楼閣に通っていたそうです。
戦後、農地改革が行われ、小作人にほとんど無料で土地を譲り渡したそうなんですが、そのほとんどの小作人は『要りません』と言ったかどうかは分かりかねますが、なぜか土地はそのまま手元に残ります。
これ、祖母に聞いてもあやふやなんですよね。
でも、笑えるのが土地の番地。
ほとんどが、51番地、41番地とかなの。
なんで下一桁が1なのか、なぜ同じ番号が土地に付いているのか?と母に聞いたことが『当時は選べたらしいよ〜』ホントか!?(笑)
明日に続きます〜。
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