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過去記事(10-12)

2010-05-17 | 日記
日本人なのに 2009年10月01日


生臭い話になりそうですが・・・それは各人各様の思い・考え方・しっかりと個々の発言を尊びましょうや。

先に新総理が訪米し、得意とする英語で演説を行ってはいたが(先の旧総理も英語で行ってたですよね)フランスの大統領はちゃんと母国語で、同じく中国の主席も母国語で演説してたと思うが・・・間違って居たらごめん。

何故わが国の各人は母国語を使わないのでしょうね?誰か教えてくれませんか?

かっての訪米総理での米国大統領との会話が新聞種になってことが有ります

日本の総理大臣が「ハワ・ユー」「アイム・ベリー・ファイン。アンジュー」「ミー・トゥー」の挨拶の定型を覚えていった。
 さて、総理大臣は「ハワ・ユー」というべきところ、緊張のあまり「フー・アー・ユ」と言ったそうである。
大統領はサプライズ!
 しかしまともに受けて、相手に恥をかかすようなお方ではなく。
「アイム・ヒラリー・ハズバンド」と答えた。・・・さすが、これが日本の歌舞伎座なら・・・大向こうからイヨー大統領!・・・と声がかかることは間違いないでしょう。

大統領は決まり文句の「アイム・ファイン、サンキュー。アンジュー」と言ったものと思い込み
 覚えていったとおりのように次の言葉を発した
「ミー・トゥー」・・・・・?

我々日本人は英語コンプレックスというよりも、米国コンプレックス、さらに白人コンプレックス・・・への被強迫観念が強すぎるようである・・・国の指導者から始まって、財界・官界・教育界から~スポーツ界まで横並びの黄色ではなく真っ青顔の日本人だらけである。
今年から小学校の英語教育が始まるとのこと・・・国際語と化しているから理解はせねばならぬだろうが・・・・母国語ですら理解しておらぬ実情で・・・はないだろうかね・・・文部科学省のお歴々や、各県市の教育委員会のお偉さん方よ。

何故に国威だ・国賊だ・日本国・・・っていつも窓に牢屋のような鉄格子をつけて真っ黒のバスで、大音声で国民に大迷惑をかけている・・・自称右翼の面々よ・・・黙っているの?何とか言ってみたら?日本人の美しい日本語が消えていくよ。


食にもの申す 2009年10月13日


沖縄では、食は『ぬちぐすい』という『ぬち』は命のこと、『ぐすい』は薬のこと。食は命の薬である。人間にとって一番大切なものである。

「本土の人は、みっともない。時々スーパーで買い物する姿をテレビで見るが、みんな棚の食品を手に取ると、すぐに袋を裏返して疑い深そうに表示を見ている。賞味期限、原産地、添加物、・・・。皆そのくせがついてしまっている。品のよくないことである
 他人に食べ物を作ってもらいながら、その食べ物に毒が入っていないかと疑っている。そんな信じられないのなら、何故に自分で作ろうとしないのか?。

ここ『やんばる』では、皆自分と家族の食べ物は屋敷近くの『あたい』という自給の畑で育てている。
「あたい」とは沖縄言葉で「辺り」「身近か」「家のそば」というほどの意味であるが、訪ね歩けばどの家も、その辺りに小さな自給畑を持っていた。

 もとより食の哲学も考えも持たず、ただ、うまいまずい、高い安い、しか待ち合わせていない本土の人間の一人である。命と生存に欠かせぬ食料の大半を他国にゆだね、その安全性に問題が起きれば、メディアとともに騒ぎ立てるしかない日本人。
 そしてひたすら監視と管理の強化策しか打ち出せないこの国の食料政策。疑心だけを募らせ、いつでも他人と他国に命の薬をゆだねておくのか。
老女の言葉は心に深く刺さり、「ぬちぐすい」が生まれ育つ畑が眩しかった。


長寿の県である沖縄を訪ね、秘策は探った結果だそうですがこれは104歳になる「おばぁ」が教えてくれたことだそうですが・・・思い当たることばかり、日本人よも一度子供達のために考え行動しようと思いませんか?


我反省の章 2009年10月14日


自分の感受性くらい・・・茨木のり子(詩集・・自分の感受性くらいより)

 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 自ら水やりをおこたっておいて

 気難しくなってきたのを
 友人のせいにはするな
 しなやかさを失ったのはどちらなのか

 苛立つのを 
 近親のせいにするな
 何もかも下手だったのはわたくし

 初心消えかかるのを
 暮らしのせいにするな
 そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 駄目なことの一切を
 時代のせいにするな
 わずかに残る尊厳の放棄

 自分の感受性くらい
 自分で守れよ
 ばかものよ

なんだか我のために作られたような気がする詩です・・・もう反省のために・・・自戒・自戒・自戒


恐ろしい話  2009年10月28日

ずっと以前に読んだのをも一度読み返して再認識いたしました。
別に関係者の方々に悪意があるわけでも、またどうこうしようというわけでもないのでもしかかわりのある方がお読みになったら・・・ごめんなさいと最初にお断りしておきます。

もうずいぶんと昔になりますでしょうか日本中を騒がせたОー157も歳月が経ちすぎたのか今夏も扱いがほとんど目に付かない場所に小さく小さく記載されてましたよね。
 
時節がもう外れてしまったのと、今は日本中新型インフレで厚生ニュースは一辺倒になっているので興味がないかもしれませんが・・・・独り言です。

当時、カイワレダイコンが原因?と報じられ気の毒に業者さんが倒産しましたよね。Оー157と言うのは動物の腸内細菌であって、植物内で繁殖するわけがないのですが・・・厚生省や学者さんたちは余り表明しなかったですよね・・・・表明されていた方が有ったらごめんなさいね。

有機農業や無農薬栽培が否定されかねない雲行きであったし、消費者に迎合しての殺菌・消毒・安全と言うことになりかねない実情ですね。無農薬より農薬を使ったほうが安全、殺菌剤・防腐剤をおおく使われているほど安心、堆肥より化学肥料のほうが清潔、ポストハーベスは必要不可欠・・・・の方向はやがて完璧な無菌食品「照射食品」受け入れへの方向付けか?

バクテリアを使って生ごみの研究をしてる方がおっしゃっているそうである。

食物、食品の中で特に腐りにくいものが二つ有り、その一つがバナナの皮・・そしてもう一つが・(これが怖いのですが)市販されている弁当のご飯だそうです・・・それだけ殺菌剤・防腐剤が強烈に効いているのでしょうね。

本来腐るべきものが科学物質の投与によって腐らなくなり、人がそれを食べる・・・・果たして安全か危険かの・・・判断は個々でするしかないのでしょうかね。

新型インフレエンザが今冬は猛威だ猛威だと半年以上も前の春から大騒ぎしついにその冬の時期が目の前に来てるが・・・一生懸命マスクをして、消毒液で手を洗い防除しましょう・・・
ついでに顔と口と鼻も洗ったらもっと良いのではないでしょうかね・・・

厚生労働省や○外製薬や・どこかの商社さんの皆さんは・・・率先して善良なる国民の皆さんに模範を示したら・・・こんなに効果があって安全ですよ・・・ってね。


効率という名の生産性 2009年12月02日


効率とか経済的効果とかと使用される言葉は「生産性」ということを中心にしか使われない。
農業も工業もサービスも全部一緒に論じられている。
金額の多寡が表現されるならわかるが、それが「生産性」でというのは違うだろう・・・異なるスポーツを点数の多少で比べるのと一緒である。

農業と工業をどうやって比較するのか・・・決してできるものではないはずだが経済の分野では当然のように比較されている・・・1時間働いてどのくらいのものを生産できるかということになる。物ならまだ何とか少しだけでも理解できるが、サービス業にいたってはもう比較のしようがないはずである。

純粋なる生産とは、無から有を生じさせること=太陽のエネルギーによって植物が大きくなって、それを元に動物が大きくなること以外にないのではないだろうか。工業は物質の形を変えているだけだろうし、三次産業は物やソフトを右から左へと移動させているだけのことだろうし・・・言うならば・決して生産はなんにもしていないのでないだろうか・・・・・農業だけが生産しているといっても過言ではないであろう。

現実は第三次産業花盛り、三次産業でなければ仕事に非ずとのおごれるかんすら見受けられる・・・・これが現在の社会を構成し人間が動かされていることからの軋みが大きくなった結果のひずみ社会ではないだろうか。

CO2による温暖化、環境破壊、・・・等々いうならば、一度この構成を見直して見たらどうであろうか?・・・細かい細かい現実だが・・・ガソリンを運ぶにも隣の県から11トンタンクローリーで100キロ前後の距離を満タンにして系列ガソリンスタンドに運び・・・帰りは空っぽでご帰還・・・・別のメーカーの11トンタンクローリーはこっちの県から100キロ前後の距離を走って行き、隣の県の空気をいれて帰って来る。
一体この2車が使用した燃料はどのくらいのでしょか?一体どのくらいのCO2を撒き散らしたのでしょうか?  自由主義経済だからどこから運び、どこまで持って行こうと自由だと言ってはいれない状況ではないでしょうかね。
庶民のささやかな楽しみをつむいでいこうとする考えはもうそろそろやめてもらいたいものですね・・・じゃないですか環境税を持ち出してる学者さんと声高に叫んでいる政治家さんとその所属する団体のお偉いさん方・・・考え直しませんか・これ以上国民をだまし苦しめるのは・・・・自分の欲望のために(愚かともいえる蟻様の)国民を苦しめるのがそんなに楽しいですか・・・・・貴方ののことですよ・・○澤さん。



過去記事(4月ー8月)

2010-05-17 | 日記
春爛漫に思うこと 2009年04月09日


遂に春である・・・春も佳境に入ってきて周り中が春になってしまったようである。

季節はめぐり、眼にする風景は年4~5回順繰りのような気がするがどこか少しずつ少しずつ異なっている・・・それ変化が何なのか最近少し判ったような気がしてきてる。

空の色と山の色が依然と異なっているような&いないような・・・・
間違いなくこれに尽きるやはり色が異なってきている。

でも自問自答・・ひょっとすると白内障?、乱視?、近眼?、遠視?、老眼?・・・
すべて眼科の医者が言ったいたことの現実化なのだろうか?
もうほとんど当っているのはシャクであるが事実を認めざるを得ない。

でも自分の体調は別として、絶対に空の色と山の色はくすんでいる、絶対に昔で言う霞ではない・・・・自然のものでない製作された色・・それが心配である。

SF映画のように空は昼間からどす黒く太陽が現在の月くらいの光しか地上に送らなくなるのを想像したくないが・・・宇宙服みたいなものが制服の地上絵はいやだろうな・・・・でも近々はマスクが常備品になってる現実をすがめで見るわけには行かない・・・何とかしなくっちゃ・・・ね。


もうすぐ大型連休に思う 2009年04月28日


カキクケコ
 カ……感動   一日にせめて一回は何であれ胸がキュンとなる
 キ……興味   幾つになっても森羅万象に好奇心を持ち続ける
 ク……工夫   横着してマニュアルに頼らず、脳みそや手足を総動員して                      
         厄介ごとに取り組む
 ケ……健康第一 
 コ……恋    命短し恋せよ乙女はいいが、中年以降はそうも行かない。
         助平根性で色香に迷うと面倒なことになる。風雪の幾月を
         潜り抜け、おのずから色気のにじむ相手に胸をときめかす
         のは、大変結構だ。

      これが老人ボケ退治に役立つ碩学のご託宣である。


 長寿
  還暦六十歳  迎えが来たらとんでもないと追い返せ
  古希七十歳  まだまだ早いとつっぱなせ
  喜寿七十七歳 せくな老楽これからよ
  傘寿八十歳  なんのなんのまだ役に立つ
  米寿八十八歳 も少しお米を食べてから
  卒寿九十歳  としに卒業はないはずだ
  白寿九十九歳 百の祝いが終わるまで
  茶寿百八歳  まだまだお茶がのみたらぬ
  皇寿百十一歳 そろそろゆずろか日本一

先人はいいことを言っておりますよね・・・・見習わなくっちゃ・・と持っております



作家田辺聖子さん 2009年06月18日

座り心地の良いいすに座ると、曽於いすの中がどうなっているかについて、考えも住まい。が、すわり心地が悪いいすに座って居ると、どうしてなんだとしりの辺りの皮なり布なりを剥いで、調べたりする。人生も一緒で、ぬくぬくと心地よく育つと、人生とは何かについて深く考えない。が苦しい立場に置かれていると、どうしても人生とは何かについて考えざるを得ない。
・・・とおっしゃっているが・・・なるほどかっては
”苦労は買ってでもしろ”とか
”可愛い子には旅をさせろ”とか
”吾に七難八苦を与え給え”とか・・・
ずいぶんときついことを要求していたものですね(日本の現在とと比べてきついことであって、3~4昔前まではあちこちで当然のことのように言われていて実施されていたことでなかろうか)。
平和なのか?ぼけているのか?わからねどどこかの首相経験者には田辺聖子さんのつめの垢でもせんじて飲ませればいいのでないかと思うのは自分ひとりだけであろうか?
こんなことを書くと
明日からひょっとすると頭に鉄兜をかぶって歩かにゃいかんか知れませんね・・・なんだかそういう時代がすぐそこまで来てるような気がしますね。嫌ですねこんな日本は・・・


自立とは 2009年07月16日

誰がどう言おうと・・・自分は自立してるんだと・・・いえる人は?

親に依存し、学歴に依存し、職場に依存し、国家に依存し、家庭に依存し、酒に依存し、繁栄といわれる高度成長期からの時代に依存してきた数十年の間に、自立という機会を失った日本の国と国民は・・・単に自分に課せられた勉強や仕事を通じてのみ知りえた現実の厳しさのみを認識しているだけで、本当の、自分自分からも世間からも逃げてきたのではないだろうか?
幸いに、逃亡が可能な、逃げ道の用意してある時代にたまたま居れたというだけではないだろうか?
実は現実とは何ぞや、世間とは何ぞや、この世に生きるとはなんぞやとは、ほとんど知ろうともしないで、一人前の大人が身につけておかねばならぬもろもろの諸条件を知識としてのみ頭の中に詰め込んでいるにすぎないのでないだろうか?

職場という後ろ盾を失い、自信の判断だけでわたらなければ成らぬ世間は・・かなり厳しいでしょうね。

男のロマンなどという、夢を追いかけるという、陳腐なかびの生えた門はもう何の役にもたたないのかも知れないし、逆に邪魔になるかもしれないし、重荷になっているのだろう。

半生を振り返りなんだったのでしょうね?人様の半分の半生・・・だったのかな?
自戒と抱えた頭はもう考える力は腐ったスイカのようになっているようである。
悲しい悲しい・・・ことですね。


天地有機 2009年08月30日

天地有機とはという文章からですが
 「有」と「機」の間にレ点(返り点)を入れて。「天、地、機(とき)有り」と詠む。

種を蒔くのも「機(とき)」。
食べるのも機(とき)」。
収穫するのも「機(とき)」。
人の子が生まれるのも「機(とき)」。

全ての生きとし生きるものに「機(とき)」がある。そいう意味が有機という言葉だと。これが「有機農業」の「オーガニック」の、本当の意味なのだそうです。

わが身も、自分が自分で食べる作物を作ったいるので「地産地消」・・・というか「自産自消」を実施している。・・・が蒔き時などのタイミングを間違ったら作物はまったく駄目。子育てもそうだろうし、犬を見ても、なんにでも通じることでしょうね。

かっこいいことを自画自賛し、言っているが・・・・収穫は相も変わらず人様の半分・収穫したものをちゃんと口に入るまで加工したものは3分の一・・・・大半が来年の土の一部になっているのが現状です・・・・何年たっても五円安(日経平均株価をもじってます)のわが菜園日記です








過去記事(1-3月)

2010-05-17 | 日記
去年今年 2009年01月15日

去年今年(こぞことし)

一夜明ければきのうは去年であり、今日は今年である。忽ちのうちに年去り年来る、時の急速な歩みに対して深い感慨を覚えずにはいられない。行く年を回顧し、新しい年への感情がこの言葉に込められえいる。

去年今年貫く棒の如きもの・・・・高浜虚子

年賀状の数が年々減ってきてる。
昨年の年賀状に「郵政から民間への移行を機会に来年よりの年賀状を取り止めさせて頂きますとの添え書きが書いてあったのが何通かはあった。
実際に今年の正月に届かなかったことで、ある種の寂しさを覚えたのは
恋する人が去った心境と同種かもしれない。

休日法の改正までは 今日15日がお年玉年賀はがきの当選番号発表の日であったが(これは今も一緒かもしれないが)これに日本の未来を背負う新成人の日が一緒だったことが華やかさを伴っていたのかもしれない。

全てのことがなんだか年々騒がしくなるだけで、美が伴わないなと感じるようになったのは、加齢の故なのだろうか?

ある農業作家の文章(丸写し) 2009年02月07日

工業が「モノ」を作っているのに対し、農業が生み出しているのは「命」だからだ。「命」は単独では存在できず、「命」そのものはつくれない。つまり、田んぼでコメだけを作ることはできないのである。

米ができること条件を作ることしか人間にはできない。是が「田を作る」である。百姓が田を作った結果として、米が「できる」「獲れる」美である。その「田作り」の仕事の最大のイベントが「田植え」なのである。田に植えるのに「苗植え」や「米植え」ではなく、「田植え」というのは、田つくりの一環という意味である。「百姓は米を作らず、田を作る」のである。

その結果として、或いは成果として、米と同時に獲れる稲わらを活用してわら細工をやり、籾殻から薫炭を焼き、畦草で牛を飼い、牛舎から出る堆肥は田んぼに還元され、そこには無用のものは何一つ無く、永遠の循環、今で言うパーマカルチャーが成立していたわけである。

農業に近代化とは工業化のことであるから、工業の論理によって目的をするものだけを、より多く効率的に獲ることを目指し、その方向により近づくことを「近代化な農業」というのである。「田んぼ」「水田」となり、「田作り」は「コメ作り」になり、「百姓」は「農業者」、昨今は「担い手」である。

たとえば、田んぼの畦草を刈る、。最低でも3回、多いときには4回も刈る。自分の田んぼの畦だけでなく、道路に面していれば、それが農道であれ、市町村道であれ川土堤であれ、その法面まで刈る。この仕事に金を払う人はいない。つまり、ただ働き。「農の世界」である。その結果、きれいになった道をスカートをひらひらさせて非農家のオバちゃんが犬を連れて散歩している。

是まで当たり前だと思って眺めてきた日本の四季折々の風景は、当たり前のこととしてそこにあるのではなく、農業に中の「農」の営みが作り出し支えて景観であり、景色であったのである。その分について一文ももらっていない。

そんな俺たちから見れば、道路は全て税金で造らせて、車だけを売っている自動車産業などは、田植えも畦草刈りもやらずに、毎日稲刈りだけをやっているようなものだ。
「農業」が「「業」で他産業と勝負して勝つわけないのだ。勝たなくてもいいのである。これは勝ち負けの世界ではない。生存の基盤である。

つまり、安いコメは輸入できるが、蛍が舞い、赤トンボが群れ、彼岸花が咲く風景も、そのような環境でしか、ヒトもまた生きていけないということなのだ。
食、農、環境は三位一体のものであり、別々に守ろうとしても決して守れないものである。
・・・・・・・山下惣一著 農業に勝ち負けはいらない!・・・国民偕農のすすめ








過去記事(10-12月)

2010-05-17 | 日記
ある本を読んで 2008年10月25日

昨日、図書館で借りてきた本の題名は"壊れゆく日本”という表題です。

食生態学、エコロジーの元祖という方で、初めてしりました。さわりだけしかまだ見てないのですが、自分が言いたかったことが最初からでていてまぁ満足です・・・なんでこんな方がもっともっと取り上げられないのだろうかと不思議です。

自然界は人類を淘汰する・短命化と人口減少は不可避・人口減少本当の理由・今そこにある鳥インフルエンザ・伝染病が急襲する・有機水銀症とセレン・・・・等々なんだかボーットとしてしまいます。
読み進むのがなんだかもったいなくて、久しぶりにそんな感じの内容の本にめぐり合いました。
逆臣青木幹雄、 暴かれた「闇の支配者」の正体  と
3冊を平行読みしながら、なんとまぁ自然界は複雑なのだろうと感心するやら、人間の馬鹿さかげんに呆れるやら、またちっぽけさに打ち鬻がれるやら・・・・複雑な心境の昨今です。

何にも出来ないのに、こういうことだけは一丁前に言う自分が・・・いつものことながら修行し直しです。


日本人の平均寿命 2008年10月28日

平近寿命とは、ゼロ歳児の平均寿命のことであり、生まれてすぐに数十年の未来の生存年数を決めえるのは先人の生存データーをそのまま導入して計算するからである。
その導入条件は、先人と赤ちゃんとが同一の体質と環境を持ち合わせていることであって、もし異なっていたならそのまま流用できるものではない。(異質の生物または異なった世界の生物の生存率を使ってゼロ歳児の未来を計算することになるので、全く意味のないことであろう。

かってゼロ歳児であって今は年長者になって人達は、日本全体が今に比べて長寿村の様相を呈していた時期に生まれ育った過去を持っていて、異なった生存条件の集積であるから、これを他の生物である今のゼロ歳児に使うのは疑問である。

長寿村の存立条件は
水、空気の質がよい。  気候がよすぎない。  労働がきつい。 ストレスが少ない。  飽食、美食が出来ない。 野菜の摂取量が多い。

現状は、全く逆で、

水、空気は有害(空気清浄機が必要) 冷暖房完全完備 指一本の労働 情報過多でストレスの蔓延 食いすぎ、取り過ぎで生活習慣病の予備軍が集団化 肉食人種になった様相(野菜の生食で極端に摂取量が少なくなっている、煮炊きすると約7倍くらいの摂取量になるらしい)


過去の先人との生き様の差が大きすぎ、生存データーを流用は無意味な計算の結果、架空の長寿国が現状である。

増える一方の人口爆発、人為的には解決策のない破滅のはてには想像を絶するような飢餓社会が人類の未来を覆いつくすことは避けれない実態となるであろう。

こう書いていると、我々の未来は真っ暗で日の光のかけらも無い事になってしまう・・・・・嫌な世の中だなぁ・・・・ですます方法がないだろうか?


今日でようやく小屋根の葺き替え終了 2008年11月02日


本日ついに小屋根の修理終り。雨漏りこれで気にせず洗濯物が干せる・・・なんだか主婦が言ってるようなせりふである。
裏口からでる所が1箇所、自分がいろいろなものを置いておくところが1箇所、作業代と洗濯干し場が1箇所と合計3箇所であったが小屋根に上がって探しても漏れ箇所が見つけれず・・・・ということで妖しい箇所はすべてアルミテープをべたべたとまるでアルミの小屋根みたくなっていた。

こういう経過で感じたことはもう絶対に塩ビ波板は使用しない、3年もすると日光にあぶられてねばりっけがゼロ状態、どんなに修理しようともあちこちまるで安物のせんべいみたく薄くてひびだらけ(目を凝らしても)発見が困難なくらいで・・・取替えが一番ということで今回実施。

家庭菜園のたまねぎの植え付けがまだ出来てないのに山の神がここ1年前あたりからやいのやいのと小うるさく、無視してはいたが、反発が益々激化しついに降伏の結果、優先順位も何もかもこれまた無視されて、今回の騒動になってしまった。

もともとなかった小屋根だったらないものと思えばいいのに、作ってからは有るのは当然で、ああしろこうしろ・と小うるさいことこの上なもなし・・・・
過人で言ってた人がいた"女子と小人は養い難し”って
今はそういうことを言うと、さあ大変、ご飯は与たらないわ、何もかも自分でしなければならなくなり、そういう状態が最低1週間は我が身に降りかかる。最初はおろおろで、精一杯インスタントラーメンを啜るのであったが、それもたび重なると、まぁっいいかそのほうが楽、・・・って心境・・・・慣れって怖いものですね。

前後するが小屋根に上るのもなれるとなんでもなくなりひょいひょいとまるで本職見たくなり・・・・って言うと格好がいいのだが、腰が痛い、足が痛い、手が痛いとまるで小屋根から落ちたようなことを言ってる夕飯後である。

久しぶりのブログ記入 2008年11月15日


2週間前に植えたたまねぎが半分くらい枯れてしまい、昨日いつもの苗屋さんに行って一カゴ購入(200本買う予定が一カゴを進められて購入・価格が200本分と一緒)、

今日3日連続の快晴(これもまた我地方としては異常でないかとも思われる気温と天気)で植えるのも寒くなくいつもだとヤッケで行うのであるが、本日はワイシャツ1枚じゃないと暑くて汗がでるくらい・・・・・・一体どうなったのでしょうね。

これで合計、約600本くらいになったが、来春には何個くらいのものが、どのくらいの大きさで収穫できるものやら・・・・・・乞うご期待です。

昨年あたりからであるが、今年も同様、蒔いた葉物が目茶目茶大きくなる。一体これもどうなっているのだろうかとの不思議な現象である・・・・小松菜、からし菜、カブ(玉が小さくて困る)等が葉っぱばかり高さ50センチくらい、葉の大きさがまるで芭蕉位の物もあるし・・・・これまた不思議と通り越しちょっと気味悪く感じることがある。
それでいて、キャベツ、ハクサイ等はひと様の半分くらいの大きさ・・・・なんだかがっくり・・・なんで逆にならないのだろうかと自問の昨今。

何でも温暖化、何でも環境の変化、と思ってしまう今日この頃です。

2008年年末になって 2008年12月29日

ようやくというのか、やはりというのか、冬模様になってきたようです。
思えば自分の住む所では、過去26~7年間ホワイトクリスマスは1回か2回、除夜の鐘はやはり同じようなもので雪の年越しは1回か2回のような気がする。

その前までは例年12月から積雪で、2月一杯まで道路の両側には雪が積み上げっていたように思う (記憶が薄れいるのかもしれないが)

こうして雪のない状態で運転免許を取得した人達は、たまに雪が有っても、氷結しててもいつもと変わらぬ運転状態で走っているのが本当に恐ろしい・・・

昨日起きた北陸高速道路で起きた死亡事故も原因はこの辺りにあるように思う。

一般道であっても死亡事故にこそならぬが、道路からの飛び出し転落、出会いがしら、すれ違い時の接触事故は数え切れないほどの多さになっている(事故調査では単なる不注意・なのだろうけど、運転される方々は要注意、要注意)・・・・おおコワァ~ではすまぬことでないであろうか?


gooでコメントをされてる方々が、パソコンの調子が悪い・・・・というのが目に入るのですが、ここ3週間前あたりから参加させてもらおうとすると、パソコンの動きが変わるのでもう古くなったからかな・・・なと思ってはいたのです。

が、極端に変化するようになってしまい、ポインターが暴走すること1昨日と昨日で2回、動きがスローモーになるのが3~4回あり、昨晩遂に音声が完全に出なくなり今朝はインターネットが繋がらず・・・・

ついさっき出鱈目やってる内になんとか・・・なったものの、IT音痴の自分が言うのも何なのですが・・・なんか変ですねとしか・・・・分からないのです。
何方かお詳しい方、解明できませんでしょうか?

知らないということは強いものであり、また罪なものです・・・痛感させられた寒いのに冷や汗の昨今です。


おおつごもり 2008年12月31日

遂に2008年はあと残り15分、最後の5日間でパソコンが半分以上繋がることができなくなってしまいました。
初春にこのサイトに仲間入りさせていただいて、ようやく皆さんの足手まといを抜け出しつつあるなと自賛し、来年はもっと張り切って・・・と思っていたのですが・・・どうやら難しくなりそうです。
今日は繋がったのが二度・・・今が二度目でいつなんどき機嫌を損ないアウトになるかおろおろしております。

勝手に皆様のブログにお邪魔しては汚れをお付けしてきましたことをお詫びし、いろいろご指導いただいた方々にしっかりとご挨拶も出来ておらず、(なんとか修繕しえいければよいのですが)
もし完全ダウンの場合はどうか”みゃぁらくもの”(富山弁です)とお笑いくださって、お許し下さい。

新しい年・・皆様のご健勝、ご発展をお祈り申し上げます。有り難うございました


過去記事(9月)

2010-05-17 | 日記
自己リフォーム半完成 2008年09月04日

先週、先々週と我が家の裏の軒小屋にサッシを取り付けた。人様からサッシ2間物と中蓮1間物を頂いたので、2週にわたり土日大工を実施。
10年ほど前に取り付けた、古い雨戸(これも頂き物・・・枠だけ残しトウメイ波板を貼り付けて使用)をはずし、アルミのサッシ枠を外付けで取り付ける。

と書いてしまうと非常に簡単に思えるが軒の柱の間隔が全く出鱈目の為に2間分は垂木を足して柱の外に出して接続・・・・水平を取ったり、柱が垂直でないため、全く打ちつけできずに難しい調整を行いようやく半完成・・・もうぐったりでした。
中蓮の下には取り外した雨戸を再利用し、無垢の板を加工しレールを加工し引き戸にて完成、我ながらなんとか格好がつきほっとしてます。
素人にしちゃまぁまぁの出来かな。
山の神は建具屋さんになったら!だって・・・まいったするな。

雨戸はこれまで約80年間雨戸としての役目を果たし、自分のところで10年間枠としてお勤めし、今年から中蓮下の引き戸として何十年かの御勤めを開始・・・後どのくらい人間様に仕えるのでしょうか・
という訳で自分が目指す、使えるものは精一杯使う、何度でも使う、いやつかわさせて頂く・・・これも環境保護の精神と自負してますが自己満足なんでしょうね。
人に言わすと之をけちと言うそうですが、他人の為にではなくまず自分で実施してみる・・・今後も決してこれは変わらないだろうと思ってます。

有意義な2週間でしたが、お陰で家庭菜園の秋物野菜の種蒔きは今度の土日になりそうです。


少しずつ、ほんの少しずつ 2008年09月07日

今日、ようやくダイコンを蒔いた。例年だと5~7畝になるのだけど、今日は3畝でダウン。なんだか寂しい気がするが仕方が無いだろうと気持ちを持ち直す・・・最も大根ができても半数以上がそのままで土に戻っていくのが我農法故に諦めるかな。自分達で口にするのがおそらく10分の一・・・後は人様に配って歩くのだが、お返しを持ってくる方がいらっしゃるので最近は止めて配る件数も10分の一になりました。
ほっとしたようなやはり寂しいような複雑な心境ですが、もっともっと勉強をして
富山発新種野菜をださにゃ・・・・なんだかJAや野菜種メーカーシンジケートに後ろから棒でひっぱたかれそうですね。
でも今世界中でこの種の争いが静かに潜航しながらも相当激烈に行われている事は国民がしっかりと認識しておく必要がある。横文字でどういうのは知らないが遺伝子操作やF1種による各穀物はじめ野菜は超大手の国や超大手のメーカーに完全に握られてしまい我国の食料は全て何処かの超大国のご機嫌を伺いながらおすそ分けいただくしかできなくなるのは後何年の余裕があるのであろうか?
その時になってじたばたしてももうどうにもならないだろうし、はかないゴマメの歯軋りでもうしばらく頑張ってみようか・・・・じこ鍛錬をも一度やりなし。


疑問? 2008年09月08日

今回の三笠食品の件で思うことなのだが もう何を信用したらよいのでしょうね。

こういうことを行うのはほとんどと疑問の余地は無いでしょうね・・なぜなら儲けるためにはなんでもやるのが現在のオーナー経営者。

疑門?
 決定事項かなにか知らないが、我国は食料エネルギー自給率39%で、米作減反率39%・・・漫画じゃないですよね。

そういった状態の中、米の輸入を強制されて輸入した米は国民の口に入らないのでしょうか?    (世界からタダで入ってるのではなく、税金で買っているのです)

 農薬が検出されたから接着剤の原料として使用せよといった農水省は、接着剤が
どこに使われるか認識して言っているのだろうか?

工業用接着剤はきっと日本の国民が住むウサギ小屋の屋根や壁や床やドアやテーブルのベニヤ板を接着する為に使用されるのじゃないのですか?
 
そこには赤ちゃんや子供や、疲れ果てた大人達が住むのじゃ無いのですか?

1年中そこから農薬成分が微量ながら発生してるのじゃないのですか?

それはどうして除去できるのですか? 

決して除去できません。・・・でも新聞発表される時には問題はなしと・・・・
 (きっと熱処理されるので農薬成分は揮発されて人体に影響無いくらいになってるから大丈夫と説明されることでしょうね・・・おやさしい専門家といわれる某大学の有名なる教授で、専門部会の部会長であるおえらい学識経験者なる人にて)

こういった一連の流れに対してそういうものを輸入し保管してた農水省に責任は無いのでしょうか?


こういったことは小説としては題材になっても現実の社会で題材になることは決して無くなりましたよね・・・・・なぜなら権力者指向が強まり、諂うことをなんとも思わぬ国民が多くなったからでしょうね(、かっても国民暗黒時代と一緒で)
ヒョットするといつの間にか黄色マークが付けられて、外出する時には必ず黒い頭のネズミが2匹お供をしてるのじゃないでしょうか。 
 車で出たときには制限速度を1キロでもオーバーするとスピード違反、黄信号をちょっとでも白線を5センチくらい交差点内に入ったら信号無視と違反切符を切られて一日、いや半日で即免停処分~から検察庁からお呼び出しで即逮捕・・・・権力に楯突くやつは許さないと善良なる庶民への見せしめに。

嫌な想像ですが、チョトずつ、チョットずつ 60数年前に後ずさりしてないでしょうね

今日は朝ちょっと雨模様で 2008年09月13日

喜んだのだが、車のワイパーを動かしたのが1分くらい。後は例年以上に暑くなり太陽に照らされて先日蒔いた大根が、4分の一くらい芽が出ていない。
補充するのに蚊避けの為に木綿のぼろきれを硬く締め付けてヨモギの葉を混ぜて燻らせて側に置いてさぁ開始・・・・でもやはり開放された外では蚊の数に圧倒されるのかまぁ手とか首とか顔とかあっという間に10匹以上が集まって、種の出てないところへの補充なんて・・・でも一応済ませたが3~4日後がお楽しみです。

なんだか自分は平和ボケみたいなことを言ったりしたりしているが、食に関する嫌な事件が毎日1面を飾り、テレビのニュースは半分がこの話題・・・・一体どうなるのでしょうね。

日本中毎日大騒ぎをして3ヶ月もするとそんなことが有ったっけ ってニュースにもならなきゃもう次の話題に移ってしまってるでしょうね。
なんだかもうどうでもいいや! の心境・・・・
どんなに力んでもどんなに大声を出してもどんなに動いても、かってと同じでただただ疲れたな、ただただアホだな、ただただ人様がなんだか恨めしく名・・・・・ってなってしまうような気がする。結果人間不信も嫌だし・・・どうすればいいのでしょうね

最近自問自答が多くなりました。

さぁ、作るぞ 2008年09月17日

一昨日、連絡を頂いて借りた軽四トラックで2回分のモミガラをもらいに行った。
もうしばらく気温が下がり冷え冷えをしたら製作開始・・・モミガラ燻炭をつくり、家庭菜園に使用する。
本当は炭を焼いてみたいのだが(、周りの環境ではどうにもならず、でも今年は竹炭を作ってみる予定・・・・竹は人様から頂いて、竹水を取り、竹炭が目の前に・・・と想像すると本当に出来上がったような気がして嬉しい)
なんだかスッカリと仙人になったような感じで、世捨て人?なんだろうか・・・土日祝日世捨て人・・・・もよいかもしれないと思う昨今。

今度の土日は菜園にキャベツ、ハクサイを植えなきゃならない・・・でも1週間ほど前に聞いた話では、長野県、群馬県(どちらか)では豊作の為にまた、廃棄処分を実施予定・・・・一体日本の農業政策はどうなっているのでしょうか?毎年のように日本のどこかでこういった馬鹿なこと行わなきゃならない現状。
ミニマムアクセスだ っだ・・笑わせるな、自国の国民を犠牲にして(生産者は作った作物をトラクターで踏み潰させられて、消費者は毒のかかった美しい虫の全く食ってない何日経っても萎れてない輸入野菜や米を食べさせられて)誰が一体喜ぶのでしょうか?
こういうことを臆面も無く実施してる国はどこにも無い、世界中探しても一国も無い、ただただ日本の農水省だけが認可し自国民に強制している。
何か、どこかで、いつ、誰が、どうして・・・・こうなってしまったのだろうか?・・・誰か知ってますか?
気の毒に北朝鮮の拉致問題といい、食糧輸入問題といい、米軍軍事基地問題といい、自国民を助けないで他の国の大金持ちの為に頑張る政治体制を行う政治家と官僚の愚かさを告発する方法を!
ああ、朝から腹が立つ、・・・出かけるまでの1時間の間に精神を安定させて我腹の虫を沈めなきゃ、身が持たない。


腹の立つことはまた出てきた  2008年09月20日

日本人はもうどうしようもないくらいに腐りきったのだろうか?
キャベツが豊作であちこちでトラクターでつぶしているのがニュースや新聞で報道されても、誰もなんとも思わないのだろうか?
廃棄補助をするなら、日本国内への運賃と荷造り代金を国が補助してもいいのじゃないのかい。学校や病院されに各施設に無料で提供できるようにしてもいいのじゃないだろうか?・・・通常の納入業社だって決して文句は言わないと思うが、如何ですか納入業者さん?

国内の野菜を廃棄処分し、農薬にまぶされた野菜や穀物を外国から輸入し、それを隠しておいて国民に食べさせて、ばれると一転食べても身体には影響が無い・・・なんて嘯き一体この国はどうなっているのだろうか?
何故日本人は、この国の住人はもっと怒らないのだろうか?
何故、何故、何故、・・・
腹の立つことばかりで、胃薬を飲もうとすると、これまた汚染米で作られた薬じゃ毒を飲むのと同じで・・・飲むことも叶わず。


久しぶりの東京で感じたこと 2008年10月06日


久しぶりに上京に、久しぶりに汽車に乗り、久しぶりにホテルに泊まり、久しぶりに山手線に乗り・・・・・・改めて住みたくないなぁと思って帰りました。

(東京在住の方には悪いのですが)何であんなにあの頃は憧れていたのだろうと改めて感心するやら、反省するやら・・・・田舎者(現在ではこういう言葉も死語になっているのでしょうか)の無知さかげんだったのでしょうね。

28階のホテルの窓から見渡すと全てビル、ビル、ビル、またビル、ビル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・セメントの塊り、緑は画面にこぼれて雫のようにほんの少しだけちょんちょんとある・・・・まるで上から見ると墓場の鳥瞰図・・・・大小さまざまな墓石が無造作に隙間無く散らばっているような感じで、どう表現したらよいのだろうか・・・・どうしてこうなってしまったのだろうか。

唯一の隙間があるのは電車の線路のくねくねがある空間で道路はその空間意すらならない。遠くに霞んで際限なく続くでこぼこの人工のセメントの塊り・・・・・もしこれが崩れると(自然は常に変化してるように、ちっぽけな人間の作った本当にちっぽけな物なんかは一片の紙、いや目にも見えないくらいのちりのような物で跡形も無く飛散して仕舞うでしょうね。

こういう異常事態はもうこのあたりで止めて少しは動物が住める世界を作りましょうや、じゃないと大変なことが目に前に迫ってるのが益々解からなくなってしまうよう・・・・・・と思うけど。

決して東京にお住まいの方を誹謗するわけでもないのですが、有史以来繰り返してる悲劇は愚かな一部のほんの一部の人間の手によって加速しないように祈るしかないでしょうね。