準爺のたそがれブログ

福崎騒動 ③

新墓のコモ
さて無頼の大三郎の弟の宗次郎に次郎という子があった。これが大三郎を上回るやくざな男で、バクチ打ちになり、親分と立てられた。腕力も強いし、度胸もあった。これが親ゆずりで深くタケを恨んだ。小指を切って持参したり、タケを脅かして小遣い銭をせびり、縁切りに田一町歩を貰ったが、なをせびるのをやめなかった。次郎の弟、本三もバクチ打ちになり、女房のトクも鉄火な女でド場で立膝をして、サイコロを振った。・・27年旧正月、三つの新墓が、福崎家の墓地に作られた。次郎は「墓に巻いてあるコモが取れたらえらい事になるぞ」とタケを脅した。明治29年8月、近所の女が「西新宅のコモが取れた、用心せんことにゃと息せき切って知らせてきた。タケは万一殴り込みがあれば、土蔵にこもることにし、その2階の窓の外に、半鐘を吊るした「イザトナリャ、これを叩くから、皆の衆頼んだよ」とかねて村人に助けを求めていた。
     
     今日の一枚

コメント一覧

gontarotukiyo
おはよ~、そだね、侠客だ有名なのは清水一家や国定一家だが、福崎次郎はチンピラだね。
ブーゲンビリア
そうなんだあ
昔から ヤクザっていたんですね。
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