ハチの家文学館

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昭和のくらし

2020年03月23日 14時43分00秒 | ハチパパのひとり言

                昭和35年ごろの生家

「昭和のくらし博物館」(小泉和子著・河出書房新社刊)をあらためて読む。13年くらい前に書店で目に留まって買い求めたもので、昭和の家屋や生活道具等満載で、庶民の暮らしぶりが実によく書かれている。

今年私は76歳になる。そのうち44年は昭和の時代。昭和19年生まれの私にはうってつけの本だ。昭和、平成、令和と三代の元号を生きることになるが、何といっても昭和の時代が一番懐かしい。

郷里浜松で幼少期から21歳まで過ごし、東京・横浜で生活したあと、再度昭和47年から63年まで17年間浜松で過ごしている。私の昭和の時代は、人生の半分を過ごした浜松の時代と言うことになる。

「昭和のくらし博物館」に載っている家屋とか生活用品などは、浜松の生家そのものの感じでホントに懐かしい。家業は遠州織物の糸染業で自宅と工場がくっついていた。台所は土間になっていてご飯は薪の竈、風呂はというと工場の真ん中に大きな風呂桶があって、石炭で沸かした大きな釜の湯を桶に移して入っていた。

食事は特大の鍋にごった煮のような料理で、家族のそれぞれが箸で突いて皿に移して食べるという具合に、早い者勝ちな食卓風景だった。その頃の早食いの食習慣が未だに治っていない。

終戦直後は焼芋や茹でたザリガニ、田圃で取ったタニシやイナゴの佃煮、川で獲ったフナの甘露煮などを骨ごとおやつ代わりに食べていたから、骨太で歯が丈夫な体になった。

家業の糸染業の糸の束を、リヤカーに積んで自転車を漕いで運搬していたから足腰も鍛えられ、町の氏神様の秋祭りで行われた角力大会(相撲大会)でも優勝経験がある。

小さい頃の昭和の暮らしを思い出してその頃の白黒写真を出して見る。どてらを着込んで火鉢にあたっている親父の写真が妙に印象的で、まさに昭和のくらしそのものだった。

このブログにも自伝的に数多くの昭和の想い出を綴った。ハチの家文学館は、私の昭和史エッセイ集でもある。
 



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