断捨離を二度ばかり試みたものの、捨てられないものはまだまだある。しかし、この頃は敢えて捨てようとしないで、少しぐらい生きてる間に手許に置いといてもいいじゃないかと思うようになった。
たとえば亡き母の書き残した紙がある。1977年1月カレンダーの裏側に母が書き残した「新年の計」。タイトルの下に当時住んでいた町の上西老人会とある。
幸せのもと 十二ケ条
一、長生きするには 歩くこと
一、くよくよとりこし 苦労しないこと
一、人をうらむな うらやむな
一、口をひかえて 腹たてず
一、どん欲おこすと 大けがのもと
一、落ちたなら けがは大きい高いほど
一、親切正直 成功のもと
一、よく働いて 施しをせよ
一、不平不満 ぐち言ふな
一、先祖をまつれ 親をがめ
一、天地に感謝 社会に奉仕せよ
一、ままにならぬと なげいてみても 蒔いた種なら 生えて来る
誰が言った言葉か分からないが、母が実践していたことも入っている。小さい頃からの母の思い出は、とにかくよく働く人だった。
終戦直後に父が創業した染色工場で、中学出たての従業員数名を抱え繁盛していたが、朝から晩まで仕事の手伝いで、男の子5人の育児まで手が回らなかったから、私たちは自分のことは自分でやるしかなかった。
小学生のころから家業の手伝いで糸の大きな束を、山のように積み込んで機元からリヤカーで何度も運んだ。そのおかげで骨太の丈夫な体に育ち、小6の時の神社の秋祭り第1回角力(相撲)大会で優勝したこともある。ちなみに優勝旗とともにもらった商品は冬瓜1個だった。また、翌年の第2回では6年前亡くなった弟が優勝した。
昨日、3年ぶりに歯の点検に行って来たが、私たち兄弟5人とも歯は丈夫で、私の歯は60年前の中学2年のときに、虫歯治療したあとがあるだけで、今でも全部自分の歯である。母は歯が悪かったが、小魚の骨をよく食べさせられたおかげと感謝している。
これもついでに喋ってしまうと、いまのカミサンが母と同じ干支で、誕生日も一日違い。性格も母そっくりでとにかく一生懸命よく働く。20年もの間独身をいいことに遊び呆けていたが、本当にいい人と再婚してよかった。
再婚して28年、頼んだわけじゃないのに仏壇の花は欠かさず、ご飯とお茶とお水を毎日あげてくれている。幸せのもと十二ケ条のことは知らないのに、カミサンはその教えを実践している。亡き母、亡き妻もきっとあの世で感謝して見守ってくれていると思う。
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