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生かされている

2021年02月08日 10時58分32秒 | ハチパパのひとり言

                 鎌倉 浄智寺 三世仏

ひょんなことから見つけた松下政経塾卒塾生杉島理一郎氏の塾生レポートを読む。

タイトルは、『人は「生きる」のか「生かされている」のか』

人は「生かされている」とよく言う。果たして人は「生きる」のか、「生かされている」のか。松下幸之助塾主の人間観から考えるその答えは・・・。

そもそも、「ありがたい」とは、「有り難い」と書く。なかなか起こり難いこと、奇跡のようなことに対して不思議と感謝の気持ちを感じるからこそ、「ありがたい」という言葉があるのであり、人間という存在の奇跡を思うと、人間が生きていることに対して「ありがたい」という思いを感じずにはいられないし、人は「生かされている」と思うのである。

私自身、二人の子供を授かり、先祖代々から受け継いだこの連鎖を切らすことなく継承できたことに誇りを感じているし、こうして奇跡的な細胞の組合せで私のもとに命を授けて下さったことに、ご先祖様や神仏すべてにありがたさを感じ、私の子供も、そして私自身も、「生かされている」のだということを痛感するのである。

人が「生かされている」ことの「有り難さ」を真に受けとめることができれば、天から与えられた使命を持って生かされた以上、万物を調和し、より良い社会を作っていき、次の「有り難さ」を生むための連鎖のつなぎになろうと努力するのではないだろうか。

つまり、あくまで人間は「生かされている」のである。「生かされている」という考え方によって、万物に対しての感謝と礼の心が自然と生まれ、自分という存在同様に、全ての存在の大切さやありがたさを感じることができるのである。そしてその前提の上で、「生きる」のである。そして「生きる」とは、人間社会を間違った方向に進むことなく、互いに向上発展していけるように衆知を集め、自然の理法に則って万物を生かしていくような生き方、人間道が求められていると塾主は考えているのである。

人は「生きる」と「生かされている」、この両面をそして「生きる」とは、人間社会を間違った方向に進むことなく、互いに向上発展していけるように衆知を集め、自然の理法に則って万物を生かしていくような生き方、人間道が求められていると塾主は考えているのである。つまり、人は「生きる」と「生かされている」、この両面同時に持つことが大切なのであり、どちらか一つを選んだり、どちらかに優劣をつけたりするものではないのである。<以上原文のまま>

「生きる」と「生かされている」に優劣はないが、人間まずは「生かされている」ことに気づくことが大事に思う、その前提で「生きる」ことに邁進すること。今の私は77歳の高齢を理由に、「生かされている」ことは十分認識しているものの、「生きる」ことの気迫が足りない。「生きる」と「生かされている」は車の両輪のようなもので、どちらが欠けても走れないし、バランスを欠いても迷走することとなる。



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