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北の人

2012年12月12日 18時36分20秒 | ハチパパのひとり言

今日の本のタイトルは「北の人」。赤茶けてボロボロになっている。昭和十八年二月二十日三版発行とある。裏表紙に昭和34年1月21日水曜日という日付と、私の実家の住所と私の名前が万年筆で書かれていた。記憶にないが、中学2年のときに浜松の古本屋で見つけて買ったものであろう。賣価二圓五十七銭と書かれている。

この本の著者金田一京助は、北海道アイヌ研究者として知られ、日本言語学者、特にアイヌ語の研究で有名で、彼の成し遂げた研究は「金田一学」と総称されている。

不謹慎だが、この本で今でも覚えていることといえば、アイヌ語の「エコロペサンケケムケム」という言葉である。この本の44頁に盲詩人というコラムがあって、実におもしろかったし教訓となった部分を紹介する。

昔、アイヌの村へ来た旅の和人が、アイヌ語で「今日は!」ということを何というか訊いた。悪ふざけした者がいて、「エコロペサンケケムケム」と云うんだと教えた。喜んで帳面へつけて行った和人、他の村へ行って或る酋長に向かって、「エコロペサンケケムケム」と叫んだ。酋長は真っ赤になっていきり立つ。腑に落ちかねた和人、実はこれこれ「今日は!」と云ったつもりだがと弁解すると、「お前の咎ではない」「教えたやつが悪いんだ」と云って、「エコロペとは睾丸(きんたま)のことなんだ、サンケは出せということで、ケムケムは嘗(な)めろ嘗めろということだ」と告げた。本気に憤慨したのはその和人で、嘘を教えたアイヌは到頭二人から大変な賠償を取られた。だから嘘は教えるものではない。という件である。旧仮名遣いの難しい本だが、中学2年生でこんな本を読んだのかと我ながら感心しきりである。

ギックリ腰でベッドに横になりながらこの本を捲っていて、ふと興味を引いたページがあった。想ひ出七編「最初の女性」の随筆である。新仮名遣いで中略で書くとこうなる。

小学校へあがった七歳の時に、同級に米田シュンという人がいた。男性を凌いでいつも首席だったが、初めて作文が課せられた月に、どうしたことか初めて首席をすべった。男性はどっと歓声をあげてざまあ見やがれと小躍りした。私はその嬉しさに周囲の勢いに駆られて、心にもないその人への反感をあらわにして、「やあい、米田は私よりもぶっ下がった」と小躍りした。その刹那だった。私ははっとした。なぜなら、ちらと目にはいったその人の美しい譬えようもないおとなしい顔が、瞬間にさっと曇って、両袖の中へ埋まったのを見たからである。世にも女性というものの「やさしさ」「弱さ」というようなものが、幼心にも生まれて初めて、ぐっと胸へきて、取り返しのつかないことをしてしまったという気持ちが、何時までも何時までも自分を責めて悲しかった。(昭和九年三月「話」)

いじめ問題でいろいろ言われている現代。純粋なこのような気持ちが少しでもあれば、いじめがあったとしても「ごめんね」のひと言で終わるような気がしてならない。24/12/11

 



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