作家 黒井千次さん
毎日のように続く地震に慣れてしまったつもりが、携帯の緊急地震速報がウーウー唸るとやはり緊張する。震度は3で今夜も揺れた。カミサンは前の奥さんと、夜のウオーキングに出掛けていたがすぐに帰ってきた。
巨大地震からひと月以上も経つのに、余震は収まらないし原発も危機状態が続く。被災された方たちのことを思うとたまらなくなる。ゆうべ管首相が福島の被災者を見舞ったニュースが流れていたが、被災者の悲痛な叫びが管首相に浴びせられていた。どうしようもないとわかっていても、国と東電の責任は重く、一日でも早い収束が望まれる。
放射能に汚染された食物の安全性を問われている今、危ないと思ったら年寄りが食べて、子供や孫には安全な物を食べさせたいという話が高齢者の私たちの話題になる。ガンになるのは10年20年先だからというわけで、その頃は当然死ぬ頃である。
今朝たまたまかけっぱなしにしていた枕元のポケットラジオから、NHKラジオ深夜便4時台「明日の言葉」゛老いを見つめる゛黒井千次さんの再放送第二夜が耳に入ってきた。老いの研究者であり、老いをテーマにした著書を沢山出している作家黒井さんの話は、軽妙で老い方のコツをさりげなく教えてくれる。 今年1月の本放送を聴いたときに、感想をブログに書いたことがあって、昨日のハチの家文学館のアクセス人数が146人にもなった。第一夜の放送を聴いて、「黒井千次老いを見つめる」と検索、ハチの家文学館の記事を読んだ人が多かったようだ。 ラジオ深夜便23 http://blog.goo.ne.jp/goo3595628/e/ef6cc3ffaeb691006571bf6b07a38093
あらためて聴いていて、私自身次のような言葉に勇気づけられた。
人間老いてもやりたいことがあったらやるべきだ。やりたいことをしないでいるより、やりたいことをやって中途で終わってもいいではないか。力まず自然体で老いを生きることじゃないの。 生と死の境なんて曖昧なもので、人間いつ死ぬかわからない。死後のことを考えてやり残すことのないようにきちんとしていく人もいるが、やる気があってここまでやったんだという軌跡が残ればそれでいいんではないかと思う。
この言葉にホッとした。私自身、やりたいことをやってはいるが、日々コツコツきちんとやっているわけでなく、のんびりしてしまうことも少なくない。中途で終わる可能性が高いが、親父の生き様、お爺ちゃんの生き様を子や孫に残せたらそれでいい。
黒井さんの話の中で、「楢山節孝」の姨捨山の一節を引き合いに、老いの生き方を説かれたのがあった。年寄りらしく捨てられたおばあさんと、みっともなく捨てられたおじいさんの話であるが、たとえみっともない生き方死に方でも、それはそれとしていいのだと言う。
私なんぞ好き勝手して生きてきて、ろくな死に方をしても仕方ないと思っている。みっともない生き方死に方に部類するであろう。大したこともしてやれない家族にはすまないと思う。日々み仏に懺悔して経文を唱えるばかりである。
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