
炊き出しの準備が始まる
1995年(平成7年)1月17日(火)午前5時46分、神戸を中心に大地震に見舞われ6434人もの命が奪われた阪神淡路大震災。毎年この日を忘れまじと新聞テレビ等が様々な視点で生々しく報道している。
あの日、会社の検査部という部署にいた私は、その日の新幹線で大阪吹田市の事務センターに3日間の検査に行く予定であった。当然出張どころではなく中止となったが、その事務センターのコンピューターも、地震の揺れで数メートル動いたというから相当広範囲で大きく揺れたわけである。会社の神戸支店も半分押しつぶされたような衝撃で営業も出来ない状態で、僅かな時間と距離の差で命拾いをした記憶がある。
今朝の生々しい震災の映像を目の当たりにしたばかりのあと、近くの震災避難拠点である中学校で行われる防災訓練に参加した。地下タンクの給水方法、起振車による震度7体験、AED・心肺救急訓練、ジャッキによるけが人救出訓練などなど体験。
いざ大地震がきたら行政、消防などはすぐに来られないことを前提に、最低3日間は自分たちで対応しなくてはならないそうで、参加している人たちの訓練にも熱気が漂っていた。しかし、小規模な地震に慣れてしまっている住民の大半は、大地震がくるとは真剣に考えてはいないようで、年々参加者が減っている。備えあれば憂いなしだが・・・。
1995年(平成7年)1月17日(火)午前5時46分、神戸を中心に大地震に見舞われ6434人もの命が奪われた阪神淡路大震災。毎年この日を忘れまじと新聞テレビ等が様々な視点で生々しく報道している。
あの日、会社の検査部という部署にいた私は、その日の新幹線で大阪吹田市の事務センターに3日間の検査に行く予定であった。当然出張どころではなく中止となったが、その事務センターのコンピューターも、地震の揺れで数メートル動いたというから相当広範囲で大きく揺れたわけである。会社の神戸支店も半分押しつぶされたような衝撃で営業も出来ない状態で、僅かな時間と距離の差で命拾いをした記憶がある。
今朝の生々しい震災の映像を目の当たりにしたばかりのあと、近くの震災避難拠点である中学校で行われる防災訓練に参加した。地下タンクの給水方法、起振車による震度7体験、AED・心肺救急訓練、ジャッキによるけが人救出訓練などなど体験。
いざ大地震がきたら行政、消防などはすぐに来られないことを前提に、最低3日間は自分たちで対応しなくてはならないそうで、参加している人たちの訓練にも熱気が漂っていた。しかし、小規模な地震に慣れてしまっている住民の大半は、大地震がくるとは真剣に考えてはいないようで、年々参加者が減っている。備えあれば憂いなしだが・・・。
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