ハチの家文学館

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クルマの想い出

2012年09月26日 07時28分22秒 | ハチパパのひとり言

                         想い出一番 三菱パジェロ 

バイクの想い出を書いたついでに、クルマの想い出も書いてみようと思う。

私が最初にマイカーを買ったのは昭和45年のマツダファミリアプレスト。排気量は1300CCでグレードは最低ランクのスタンダード。走ればいいというだけの装備でマニュアル車。カーショップでフォグランプをつけたりしてちょっぴりドレスアップした。

結婚3年目の26歳でお金もないのに買えたのは、親父が自宅地続きの土地を一部売却した代金を、子供5人に分けてくれたからである。当時、東京自由が丘の銀行支店に勤めていた時で、今では考えられないことだが田園都市線鷺沼駅となりの東急ストア前に、路上駐車して電車通勤していたこともある。また、自由が丘まで東名高速を使って通勤したこともあり、帰りに上野毛あたりの有名人も見かけるドライブインでお茶して帰ったこともあった。

しかし、優雅なクルマ生活もわずかな間で、昭和47年に先妻が余命1ヶ月のガン宣告を受け、闘病生活が始まってからは自宅、病院、3才の長男がいる東横線大倉山の妻の実家、生まれたばかりの二男がいる横浜山手の聖母愛児園などへの交通手段として、ファミリアは大活躍だった。

2台目はニッサンスカイライン2000GTで、「ケンとメリー」のあとの「愛のスカイライン」というキャッチフレーズで若者に人気の車だった。しかし、マニュアル車でパワーステアリングではなかったからハンドルも重く、クラッチを踏むたびに左ひざに違和感を感じるようになり、ハンドル操作、クラッチも軽いニッサンサニーに買い換えた。サニーは排気量1200CCで燃費もよく、トヨタカローラに次ぐファミリーカーとして人気があった。

少しばかりお金が貯まってきて、4台目はニッサンローレル。今までの3台はいずれも白のボディカラーだったが、今度はベージュ系のツートンカラーにして、グレードも上級車種のメダリストにした。初めてのオートマチック、パワステ車で装備も充実したものとなり、乗り心地もよかった。この車は、今のカミサンと再婚したときまで乗っていたが、マフラーが腐食してガタがきたこともあり、銀行の新人君に無償で譲ってあげて喜んでもらえた。

5台目は四輪駆動の三菱パジェロエクシード。2800CCのディーゼルエンジンで、インタークーラーターボ付きの上級車種である。歴代マイカーの中では最も高価な車だったが、当時、軽油は1リットル55円と安価なことも決め手になった。亡き母とハチとカミサンとの想い出一番の愛車で、13年間18万キロも走ったが、排気ガス規制で車検も通らなくなりやむを得ず処分した。                                                この車は旅先でも出会うことがあり、中には30万キロも走っている車があったし、50万キロも走ったといううわさも耳にした丈夫な車である。処分してからしばらくの間、この車が海外に売られることを聞いていた私は、砂漠か草原を疾走している愛車の姿を想像して、わくわく ゾクゾクすることがあった。

パジェロでこんなに走った理由は大きく二つある。一つは郷里浜松と横浜の自宅を毎月1回往復していたことで、再婚したとはいえ20年間も息子二人の面倒をみてもらったおふくろの扶養もあり、浜松の実家から1ヶ月おきにこちらで過ごしてもらうためであった。東名での一番の想い出は、おふくろが亡くなった年のことで、浜松から横浜へ向かう途中大渋滞に遭い、おふくろがウンチをもらしてしまったときのことである。次のパーキングエリアでカミサンが身障者トイレできれいにしてあげたが、遅々として進まぬ状況でまたおもらしをしてしまい、次のパーキングでも小休止、カミサンのフン闘には今でも感謝している。

当時おふくろは、週3回の人工透析をしていて、カミサンが病院へ付き添ってくれていた。パジェロでは車高が高くておふくろの乗り降りが大変なこともあり、軽自動車をセカンドカーとして買った。スバルのビストロでワインカラーのクラシックな可愛い車だったが、オートマチックの故障で高額の修理費がかかることから廃車にしてしまった。

もう一つは、おふくろが亡くなって私が60歳でサラリーマン定年退職したとき、仏像写真家目指して全国行脚を始めたことである。カミサンと柴犬ハチと一緒に、パジェロに寝具や身回品、カメラ機材などを積み込んで、2年間九州から北海道まで2~3週間単位で車中泊をした。1回のクルマ旅で3千キロから5千キロは走った。パジェロのイスを倒して寝床をつくり、カミサンとハチと川の字になって寝るのであるが、道の駅やサービスエリアなど、泊まる場所選びも重要でトイレと飲み水があり、近くに温泉と飲み屋があるかがポイントとなっていた。旅を重ねるたびに嗅覚も発達して効率よく泊まれるようになった。ハチのおかげで声をかけてくださる方も多く、70数人の人と知り合い今でも文通している人がいる。ハチの人気はすごかった。

最後は今の車7台目トヨタクラウンマジェスタである。パジェロのあとにワンボックスカーも考えたが、郷里浜松で大衆割烹を経営しているすぐ上の兄から、偶々車を買い替える話を聞いて、下取り査定150万のところ100万で譲ってもらった。トヨタの車は初めてでしかも高級車である。分不相応な気もしたが、軽自動車でも150万はする時代。この車に乗ってみて装備の凄さに驚いたものである。

一番の関心は運転席からメーター機器を見なくても、ボンネットの先にデジタルで速度が表示される(ように見える)ことである。また、ラジオ、CDなどもハンドルの手元で操作できるので、より一層安全運転が可能になる。高速道路などで速度を一定に保つオートクルージングもついている。評判通りのトヨタ車に感心しきりである。 

坂道の多い自宅周辺ばかりでは、リッター5~6キロと燃費が悪いが高速道路では12~13キロ走る。来月6回目の車検が来る。年金暮らしで遠出もめっきり減った今では、軽自動車にしたいところだが、新車で150万も払うのと、このままあと8年ぐらい乗るランニングコストとほぼ同じ金額なので乗りつぶすことにしている。今までずっと新車を買ってきたにもかかわらず、車庫に屋根がなかったが、中古のマジェスタを少しでも長持ちさせようと、屋根付のカーポートに入れていて、毛ばたきとタオル拭きは欠かさない。シルバーメタリックのお気に入りのモデルで、優雅な運転を楽しんでいる。

これまで7台、累計走行距離は約54万キロにもなる。銀行での自己運転も含めて軽い物損事故が数回あっただけで人身事故はなかった。ひやりハッとしたときも何度かあったが、交通安全の祈願を毎年欠かさない神仏のご加護があるおかげと思っている。いま私は68歳、カミサンは62歳、数年後には車のない生活を覚悟しておかなくてはいけないと思うようになった。

私のクルマ歴

 S45年~S51年  マツダファミリアプレスト          1300CC  5万3千キロ走行

 S51年~S57年  ニッサンスカイライン2000GT    2000CC  5万8千キロ走行

 S57年~S59年  ニッサンサニーGL                 1200CC  2万3千キロ走行

 S59年~H4年    ニッサンローレルメダリスト   2000CC  7万2千キロ走行

 H4年  ~H17年  三菱パジェロエクシード     2800CC   18万7千キロ走行

 H6年 ~H13年  スバルビストロ           600CC   7万8千キロ走行

 H17年~現在    トヨタクラウンマジェスタ    3000CC  6万4千キロ走行

   

 



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