先日、千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛(みあ)ちゃんが父親の虐待で亡くなり、昨年3月東京で起きた5歳の船戸結愛(ゆあ)ちゃんの虐待死のことを書いたばかり。皮肉にも二人とも愛と言う字が入った名前のことを書いた。
またもや昨日の新聞に、母親の虐待で2ケ月の幼児が暴行死した事件の報道がされた。まさかと思ったのは、この子も莉結愛(りゆな)ちゃんと言って、愛という文字がある。偶然とはいえ何の因果か問いただしたくなる。
「愛」は親子愛、家族愛など、家族の絆を表す文字でもある。愛しい我が子を虐待するなどと言うことは、決して許されることではない。名前にある愛とかけ離れた形で、皮肉にも3件連続して愛されるべき女の子が、親の手によって命を奪われるとは世も末である。親とは何か、子どもとは何か、いま日本は平和で安穏としているようであるが、どこか狂っているとしか言いようがない。
仏教的に言えば、いま末法の世界に入っており、仏の教法〈教〉のみがあって,教法に従って修行する者〈行〉も,修行の果報を得る者〈証〉もなく,国土も人心も荒廃する末法時が1万年つづいて法滅尽を迎えるいう。
謂わば暗黒の世界が続いているとも言える。世界中のあちこちで紛争が絶えないし、テロ事件も多発している。日本は一見平和そうに見えるが、大人も子どもも心の貧困が災いして、こうした事件が跡を絶たない。
だからこそ如来、菩薩、明王、天部などの仏たちに祈り、或いは聖母マリアなどにお祈りして救いを願うばかりである。
家族を愛しく思い、支え合う気持ちはどこに行ってしまったのか、慈しみ悲しむ気持ちが自然と沸き起こってくるような、そんな世の中になってほしいと思う。
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