夫婦や恋人関係の相手方を「空気みたいな存在」と表現することがある。どんな意味か、あるアンケートによると次の結果が出た。
1位 自然体で楽にしていられる:35.1%
2位 いるのが当たり前になっている:32.7%
3位 いるのかいないのか分からない:24.3%
1位の「自然体」でいられる相手と、2位の「当たり前」な存在というのは、自分を着飾ることなくさらけ出せるという点では近い表現に思えるが、言われた側からしてみれば、「特別」だと思われているのか「どうでもいい」と思われているのか、捉え方が変わってくるところかもしれないと分析している。
先月はカミサンが、16日から女4人で3泊4日の北陸温泉旅行、26日から月末までの6日間は法事で九州へ帰省、都合10日ほどカミサンのいない独居生活をしたことになる。
再婚してちょうど25年、御多分にもれず私たち夫婦も、空気みたいな関係になっているかもしれないが、束の間であっても独居生活をしてみるとカミサンのいる有難みが身に沁みる。
25年前まで、おふくろに世話になったというものの、20年も父子家庭をやってきたから、家事労働に抵抗がなかったはずなのに、カミサンのいる生活にどっぷり浸かってしまうと元には到底戻れない。
テレビ番組「鶴瓶の家族に乾杯」や「きみまろの人生ひまつぶし」で訪ねる高齢者夫婦の受け答えを聴いていると、このアンケートの結果のように「空気みたいな存在」とも思われるが、年をとるとお互いを思いやり、労わりあう気持ちが強い。
昨年3月まで6年間、家庭裁判所で離婚調停を沢山してきたが、離婚の申立理由で一番多いのが「性格の不一致」。もともと他人同士が結婚するのだから性格が合わないのは当たり前で、どこが合わないのか聞いてみると、他愛のないことも屡々である。総じて思いやりがない、ガマンできない夫婦が多い。
また、60代から70代になって、ガマンにガマンを重ねてきた奥さんが離婚を申し立てる、いわゆる熟年離婚を調停したこともあるが、男の方が哀れに思えたことが多かった。そうならないようにカミサンに感謝、労わりの気持ちを持ち続けたいと思う。
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