今朝の朝日新聞土曜版beフロントランナー「看取りの技法」全国に広めるのタイトルに眼がとまる。横浜市のめぐみ在宅クリニック院長小澤竹俊さん(53歳)の記事。
冒頭の記事には、「早くお迎えが来ないかな」「何で私だけこんな目に遭うの」。死が迫りくる苦しむ人の手を握り、じっと話を聴く。21年間で看取った患者は、約2800人。その経験を「看取りのコミュニケーション」として体系化し、全国の医療・介護職らに伝えようと、昨年4月、一般社団法人「エンドオブライフ・ケア協会」を立ち上げた。在宅ケアの医師たちと5年間で1万人の「看取り人材」を養成するという。
死が迫り苦しむ患者に、どんなプロセスで援助していけばいいのですか?の質問に、まず患者さんの話を丁寧に聴く「援助的コミュニケーション」が、すべての基本になります。次に相手の一番気になっていることを聴き、相手の希望と現実の開きを、苦しみとしてキャッチします。苦しみをすべてゼロにはできません。しかし、苦しみを通じて気づく「本当の支え」があると、患者さんは穏やかになれます。その支えをキャッチし、強めるのです。
支えとは、言い換えれば「その人が穏やかになれる条件」ということです。患者さんや家族に話を聴きながら、支えを見つけ出し、問いかけをしながら、それを強めていきます。支えを見つけられない人には、支えに気づけるよう最後まで関わり続けることしかできないと言う。「苦しい時こそ気づける支えは、誰にもある」とサブタイトルに書かれていた。私たち夫婦は以前から、最後は自宅で老々介護したいねと言っている。在宅医療、在宅介護の充実が望まれる。
いま、カミサンが九州の姉さんの介護に行っている。末期の乳がん手術から5年目、骨髄に転移が見つかり自宅から遠く離れた病院に入院、歩行困難なためリハビリも受けている。九州の姉弟、子供が病院に通ってくれているものの、横浜在住の妹としては毎日姉さんと電話で話しをするだけで心配していた。
病院に近いビジネスホテルに滞在しながら毎日病室に付き添っているが、姉さんがカミサンの付添に喜んでもらえているようでよかったと思う。死を覚悟している言葉を聞かされて、堪らない気持ちになるようだが、電話だけでは様子がわからずいま一所懸命付き添っている。苦しい時こその支えが出来てよかったと思う。
2年前に狭心症をやった私としては、カミサンのいない独居生活に不安はあるものの、3月まで仕事もあり、昨日のように浅草で元職場の仲間との会食などもあって、外出の機会も多い。朝晩は買い出しすることなく冷蔵庫と冷凍庫にある物で自炊しているが、今夜は息子宅に晩御飯に来ないかと呼ばれている。こうして家族が互いに思いやり、元気で暮らせることが極上の幸せというものであろう。
早く帰ってきてほしいという思いはあるが、精一杯姉さんに付き添ってもらいたいと思っている。
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