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書類箱の整理をしていたら、長年しまいっ放しにしていたS子のノートなどが出てきた。入院当時の小さな白いノートは、はじめの数ページに書き綴られているだけで、白紙のページが多い。余命1ヶ月の宣告を受けたほどの病状であったから、体力の衰えとともに書く意欲がなくなってきたのだろうと思う。
ノートや手帳には、S子ががんで逝った直前までの、長男の育児記や入院中の詩が書かれていて、断片的な言葉の中に、S子の決意や希望が今でも十分に読み取れる。
結婚して三年半の間に、二人の息子の出産、末期がんとの闘い、家計のやりくりなどなどで忙しく過ごし、まさか27才でこの世を去るとは夢にも思わなかったS子、たまたま書きとめていたものが小さな遺稿集となった。息子たちにも、今のカミサンにも、S子の話は殆どしていない。このノートのことはもう38年も前のことであり、ハチの家文学館の集大成のときまで、家族にも見せないでおこうと思っている。
亡くなったときの主治医の言葉がまた思い出される。「奥さんのがんは、多分結婚前からあったと思う。下の息子さんが生まれたのは奇跡に近い。こうなる運命だったけど、君と結婚して二人の子供を生んで、幸せだったんじゃないのかな」。
結婚前からがんにおかされていたなどとは俄かに信じがたいが、当時、義父母も了承のもとがん細胞の解剖がなされ、その結果を踏まえての主治医の話であった。それが真実かどうかはわからないが、S子が短くも幸せな人生だったという主治医の話は、打ちひしがれた一青年に対するせめてもの慰めだったのかもしれない。
知人のブログを見ていたら、たまたま日本舞踊の写真が出ていた。若柳はづき(S子)の舞姿が目に浮かんだ。
221020
ノートや手帳には、S子ががんで逝った直前までの、長男の育児記や入院中の詩が書かれていて、断片的な言葉の中に、S子の決意や希望が今でも十分に読み取れる。
結婚して三年半の間に、二人の息子の出産、末期がんとの闘い、家計のやりくりなどなどで忙しく過ごし、まさか27才でこの世を去るとは夢にも思わなかったS子、たまたま書きとめていたものが小さな遺稿集となった。息子たちにも、今のカミサンにも、S子の話は殆どしていない。このノートのことはもう38年も前のことであり、ハチの家文学館の集大成のときまで、家族にも見せないでおこうと思っている。
亡くなったときの主治医の言葉がまた思い出される。「奥さんのがんは、多分結婚前からあったと思う。下の息子さんが生まれたのは奇跡に近い。こうなる運命だったけど、君と結婚して二人の子供を生んで、幸せだったんじゃないのかな」。
結婚前からがんにおかされていたなどとは俄かに信じがたいが、当時、義父母も了承のもとがん細胞の解剖がなされ、その結果を踏まえての主治医の話であった。それが真実かどうかはわからないが、S子が短くも幸せな人生だったという主治医の話は、打ちひしがれた一青年に対するせめてもの慰めだったのかもしれない。
知人のブログを見ていたら、たまたま日本舞踊の写真が出ていた。若柳はづき(S子)の舞姿が目に浮かんだ。
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