オードリー ヘプバーン
生年月日 1929年5月4日 没年月日 1993年1月20日(満63歳没)
出生地 ベルギー ブリュッセル 国籍 イギリス
結婚暦 メル・ファーラー (1954年 - 1968)、アンドレア・ドッティ (1969年 -1982)
家 族 1960年生まれと1970年生まれの息子二人
主な作品 『ローマの休日』『ティファニーで朝食を』『マイ・フェア・レディ』
連休最後の日、テレビを観ていたらオードリーヘプバーンの生誕80年を記念して、彼女の素顔などを紹介していた。
映画「ローマの休日」は、彼女の出世作であまりにも有名。グレゴリーぺックとの共演は見事で、彼女の美しさは際立っていた。
トレヴィの泉、スペイン広場、真実の口、サン・ピエトロ大聖堂など、映画に出てくる場所での様々なシーンが蘇ってくる。特に真実の口は、劇中アドリブでグレゴリー・ペックが手を差し入れた一連の演技はあまりにも有名だし、ヘプバーンの魅力が溢れ出ていた。
また、私はイタリアのスクーター「べスパ」に、ヘプバーンとグレゴリーペックが乗って、颯爽とイタリアの街を駆け抜けるシーンも大好きである。若いころ、このベスパが欲しくてたまらない時期があったが、国産で間に合わせている。
往年の美貌からほど遠くなったころ、大好きと言われる日本に、二人の息子と初来日、その当時のエピソードが数多くの人から語られていた。
荷物を持ちましょうと言った人に「これは私の物で、私が持つのが当たり前」、お忍びで訪れた外人のよく来るお店で、気づかれて大騒ぎになり「お店に迷惑がかかるから」と去っていったり、奈良のホテルで一泊の予定が、息子の発熱で三泊、その間看病で一度も部屋から出て来なかったことなど、その人柄に好感が持てた。
また、日本からコマーシャル出演依頼の際、「ローマの休日」の王女のシーンを是非入れさせて欲しいと言ったら、「今の私を見て欲しい、そうでないと誤解される」などと、過去の栄光に囚われない皺皺の顔を堂々と曝け出したり、国際連合児童基金のユニセフ親善大使に就任し、当時内戦の続くソマリアやスーダンなどの子どもたちに笑顔を届けた。彼女自身が第二次世界大戦の直後に、食べ物や医療の援助を受けた子どもの一人だったという。
1993年1月20日スイス・ローザンヌ近郊のトロシュナ村で大腸癌のため亡くなる。
生誕80年、現在でもなお「スクリーンの妖精」として世界中のファンを魅了し続けている。彼女のような生き方に共感するし、彼女の出演した数々の映画を通して、永遠の妖精オードリーヘプバーンが私の脳裏に焼きついている。
生年月日 1929年5月4日 没年月日 1993年1月20日(満63歳没)
出生地 ベルギー ブリュッセル 国籍 イギリス
結婚暦 メル・ファーラー (1954年 - 1968)、アンドレア・ドッティ (1969年 -1982)
家 族 1960年生まれと1970年生まれの息子二人
主な作品 『ローマの休日』『ティファニーで朝食を』『マイ・フェア・レディ』
連休最後の日、テレビを観ていたらオードリーヘプバーンの生誕80年を記念して、彼女の素顔などを紹介していた。
映画「ローマの休日」は、彼女の出世作であまりにも有名。グレゴリーぺックとの共演は見事で、彼女の美しさは際立っていた。
トレヴィの泉、スペイン広場、真実の口、サン・ピエトロ大聖堂など、映画に出てくる場所での様々なシーンが蘇ってくる。特に真実の口は、劇中アドリブでグレゴリー・ペックが手を差し入れた一連の演技はあまりにも有名だし、ヘプバーンの魅力が溢れ出ていた。
また、私はイタリアのスクーター「べスパ」に、ヘプバーンとグレゴリーペックが乗って、颯爽とイタリアの街を駆け抜けるシーンも大好きである。若いころ、このベスパが欲しくてたまらない時期があったが、国産で間に合わせている。
往年の美貌からほど遠くなったころ、大好きと言われる日本に、二人の息子と初来日、その当時のエピソードが数多くの人から語られていた。
荷物を持ちましょうと言った人に「これは私の物で、私が持つのが当たり前」、お忍びで訪れた外人のよく来るお店で、気づかれて大騒ぎになり「お店に迷惑がかかるから」と去っていったり、奈良のホテルで一泊の予定が、息子の発熱で三泊、その間看病で一度も部屋から出て来なかったことなど、その人柄に好感が持てた。
また、日本からコマーシャル出演依頼の際、「ローマの休日」の王女のシーンを是非入れさせて欲しいと言ったら、「今の私を見て欲しい、そうでないと誤解される」などと、過去の栄光に囚われない皺皺の顔を堂々と曝け出したり、国際連合児童基金のユニセフ親善大使に就任し、当時内戦の続くソマリアやスーダンなどの子どもたちに笑顔を届けた。彼女自身が第二次世界大戦の直後に、食べ物や医療の援助を受けた子どもの一人だったという。
1993年1月20日スイス・ローザンヌ近郊のトロシュナ村で大腸癌のため亡くなる。
生誕80年、現在でもなお「スクリーンの妖精」として世界中のファンを魅了し続けている。彼女のような生き方に共感するし、彼女の出演した数々の映画を通して、永遠の妖精オードリーヘプバーンが私の脳裏に焼きついている。
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