ハチの家文学館

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カツオの銀づくり

2009年05月08日 07時33分49秒 | ハチパパのひとり言

カツオの刺身が大好きで、毎日食べても飽きません。特に、皮付きはトロッとしていて油がのって、ニンニクで食べるのが定番になっている。

通勤の帰りに時々立ち寄る戸塚の小料理店「梓」、私が18年ぶりに横浜に戻って以来21年、唯一通い続けている。「今日はカツオが入っているわよ」と女将さん、私の顔見るなりお勧めの皮付きカツオの刺身「銀づくりね」と、跡継ぎの息子さんに注文してくれた。聞きなれたいつもの会話である。

私の郷里は浜松、太平洋に面する遠州灘で獲れたカツオは、餅もちしている「もちがつお」、夕方獲れたての「夕がつお」と称して行きつけの寿司店「喜船寿司」でよく食べた。とにかくカツオ大好き人間である。5月の初ガツオは、油ものってきてホントに美味しくなってきた。

今日の梓で嬉しかったことがもう一つ、いつも常連さんとの会話を楽しみにしているが、驚いたことにお二人から懐かしいお店のことを思い出させてもらい大感激!

隣席のHさん、福岡のご出身というので「小倉の月世界ご存知?」と聞いてみたら、知ってるという。「月世界」は博多と小倉のグランドキャバレーで、本格的なスイングジャズのフルバンドをバックにした大人の社交場で今はない。昭和37年暮れに浜松から満員の夜行急行列車高千穂号に、10数時間立ちっぱなしで小倉の叔母を訪ねて行ったときのこと、叔母のご主人がその月世界のビックバンドのリーダーで、当時18才の私は、ブラスバンドに所属していて音楽に興味津々のとき、ワクワクしながら特別に入れてもらって、「16トン」を唄う黒人歌手の重低音の響きにしびれた思い出がある。

そして、ジャズの話を聞いたHさんの隣の顔馴染みのお客さんが、自由が丘(東京)の「ファイブスポット」の思い出を話し始めてビックリ、ジャズがお好きなようでイソノテルオさんの名前も出てきた。「ウワー!懐かしい!」「今日はなんて日なんだろう!」と私はやや興奮気味になる。

自由が丘は、私が昭和41年から47年まで仕事していた街。今は店舗移転でブックオフになってしまったけれど、当時私が勤めていた銀行の支店が入っていたビルの地下が「ファイブスポット」で、そのビルのオーナー手塚さんの娘婿がイソノテルオさんである。「イソノテルオ」といえば知る人ぞ知るジャズ評論家、当時、ニッポン放送のジャズのラジオ番組にレギュラー出演していたのを思い出す。「ファイブスポット」は、イソノテルオさんが若手のニューヨーク帰りのジャズピアニストなどを迎えて演奏させていたジャズライブである。浜松でスイングジャズのビッグバンドを立ち上げてきたばかりの音楽好きの私にとって、「ファイブスポット」はラッキーな出会いの場でもあった。

また、自由が丘は、27才で亡くなった先妻との出会いの街であり、多摩川を望む田園調布など、大田区、目黒区、世田谷区の高級住宅街の資産家、俳優などの有名人を顧客にもって、外回りをしていた懐かしい街でもある。その当時、集金先でお会いした有名俳優の赤ちゃんが、今は現役バリバリの俳優になって活躍しているのをみるのも懐かしい。自由が丘・・・いい思い出がいっぱいの美しい街だった。

今日はホント、懐かしい昔話に盛り上がった。こういう出会いも、行きつけの小料理店ならではで、通いつづける「梓」の味でもある。21/5/7







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