郷里浜松のタウン誌3月号が届いた。通巻700号の記念誌だ。
記念誌の一頁を割いて、同社の感謝の言葉が掲載されていた。
どんなものでも受け入れる懐の広さ 新しいものを生み出すバイタリティ あたたかくやさしさにあふれた浜松のまちと人 そんな浜松の魅力を伝えたくて 浜松百撰は創刊しました。
それは タウン誌という言葉がまだ生まれていない 1957年12月のことでした。
1970年代後半には全国で続々とタウン誌が創刊され、 1985年に初開催されたNTTタウン誌フェスティバルでは 浜松百撰は記念すべき第1回大賞をいただきました。
協賛して下さる企業やお店 手にとって下さる読者の皆様 製作をサポートしてくださっている縁の下の力持ちたち たくさんの人々に支えられ2016年3月浜松百撰は おかげさまで700号を迎えることができました。
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ちょうど購読継続の時期でもあり、同社あて購読料金切手を入れた封筒に、お祝いのメッセージを記しておいた。
私も取材を受けて、2009年(平成21年)12月号のグラビアに、3ページにわたって掲載していただいたことがあった。その時浜松のギャラリーで開催した仏像写真展は、浜松百撰のほか静岡新聞、中日新聞にも掲載されたおかげで、1週間の来場者は730名を超えた。
仏像写真は私のライフワーク。 今の仕事が定年を迎え、4月から仏像写真の集大成を目指して忙しくなる。ハチの家文学館も10年目で投稿回数も1100回を超える。自作の写真集なども7冊になるが、製本教室にも通い更なる本づくりが始まる。
このタウン誌のおかげで、横浜にいながら郷里の情報が得られるとともに、産業都市として、或いは音楽都市としての活動状況なども感じ取れる。故郷浜松の『やらまいか』精神は今でもしっかり生きている。
すてきなメッセージをありがとうございます。(定期購読のご継続もありがとうございます!)
3月号が700号であることを、実はスタッフ一同誰も気づいておらず、読者の方が教えて下さって慌てました。
ですので、特別な企画は何も用意できませんでしたが、どうしても感謝の言葉だけはお伝えしたいと思い、誌面を使わせて頂きました。
700号にたどりつけたのは、書かせて頂いた通り、たくさんの方たちの支えがあってこそです。
ハチパパさんも取材を快くお受けいただき、購読もして頂き、こうしてコメントまでお寄せいただき、ほんとうに感謝しております。
毎号無事に発行することだけで精一杯ですが、できるだけ長く続けて行けたら…と思っております。
(M・Y)