タカシのB級グルメ日記

2024高知市納涼花火大会

文化の日に偲ぶ二つの案件(前編)

2010-11-04 23:23:54 | NEWS

↑なにゆえ高知県立美術館の庭園で遊んでいるかと言うと……






『あの~、すみませんが~
ちょっと、撮って頂けません』





『ふん、ちょっと綺麗な「べべ」着てると思ってさぁ、お高くとまってるんじゃあないわよ!』

姿勢を低くして落ち葉の撮影をしていると、葉っぱ達の話し声が聞こえたような……
気がしてふと、振り向くと、黒っぽい和服のご婦人がホントにデジカメを持って
私の方に歩み寄って来ていた。

えっ、建物をバックにですか

上半身だけで良いですか?

『いえ、この着物を頂いた方に送ってあげたいんです』

解りました。

じゃあ、いきますよ……
縦位置でパチリ

あっ、もう一枚(嫌々でも二枚ワンセットは基本ですから)

画像を液晶で確認した、そのご婦人曰く
『まあ、綺麗に撮れてます、ありがとうございました』

私は、心の中で
でしょ、機械じゃないのよ、腕、腕と、また草の間に分け入るのです。



■高知県立美術館開館記念日のメモリアルイベント

舞踊家・田中泯・ひとり踊る

先程まで夕焼けに染まっていた西の空から、東に目を向けると、建物の直線で長方形に切り取られた
頭上には宵の明星が輝き始めている。


気温も少し下がり、中庭に集まった聴衆を闇が包み始めた頃、漸く、泯氏登場
――
正面に投影された大スクリーンにはイエローな光の中、不鮮明な輪郭に見えた黒い着物をマントのように

翻し、くねるような動きを続けながら、音楽も無く、回廊を進んで来る。


いわゆる「舞踏」としての芸術に、これまで接する機会の少ない自分の目には、それでも肉体と動作
によって
或いは偶さか声を絞り出しながら、この人は何を表現しようとしているのか、理解するのは

もう少し時間が必要みたいだ。


髪は白いものの、その肉体は老人のそれとは一線を画している。そして、その肉体の緊張は

力みというより極、自然な動きに必要不可欠な筋肉の力であろう事は容易に理解出来る。

時にその視線は空を彷徨い、時に水面を見つめ、中盤には殆ど中庭に設えられた浅い(くるぶし
辺りまでか)
池の底を擦り歩き、飛び、跳ねながら踊り舞う

安直に申せば「元気な老人の苦悩、歓喜、そして魂の声」を表現するには最低限の道具と衣装

そしてその空間さえあれば充分に自己表現できる(万人には無理だが)のだと。

で、後からAsahi.comの記事など読んで考えましたです。

∫∫∫

自分の記憶の中からエポックを取りだし、それを一つの存在証明にするやり方は
僕には出来ない。
一瞬一瞬を生きているのであって、次の瞬間に何を思い、何を言うかなんて
分からないんですから。  

∫∫∫

東京大空襲の日(1945年3月10日)に生を受けた田中泯の根幹に流れる
持って生まれた因縁、それゆえ氏が表現しようとする心の叫びとは何であるか
KUTVの若いアナウンサーが
『どうでしたか、今日の踊りは』
なんて質問を用意していること自体、端からズレちょります。

ズレちょると言えば、アフタートークでの「ズレセン」は最近に無い
後味の悪さというか、なんだかね~、という感じでした。

基本、立ち見の観客約200人ほどでしょうか、寒い戸外でコレを楽しみに
再登場を待っていたのですが、いざ始まると司会者、泯氏、館長の三者三様の思惑が
全く噛み合わず、当然ながら観客の期待する「田中
泯氏の見た龍馬或いは高知」と
いうような話は一切無かったように思います。
やっぱ、こういったトークショーの司会は「MOCOさん」が一番やねぇ。

質問コーナーの最後に

『これを見て、食べて、みんなで泯さんを偲びます』

と言った途端に皆さんの爆笑を誘った「おかあさんの喋り」が一番でした。
健在な人のことでも、遠くにいたりして、会えない時に
「○○さんを偲ぶ」
って使っても良いのですよね>弥二朗はん

さて、長くなりましたので二つ目の「偲ぶ」は後編で……(つづく)



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