朝日記170715 音楽絵画・夏の北海道の旅と今日の絵
こんばんは。 旅の音楽絵画をつくりました。 以下で クリックされご覧ください。
今日の絵は三つです;(朝日山動物園)(雨雲が追いかけてくる)(吉田善哉さんのハット)と
(トマムからの風景)
(朝日山動物園)
no 375Hokkaido in summer 2017
(雨雲が追いかけてくる)
(吉田善哉さんのハット)
(トマムからの風景)
おわり
朝日記170715 音楽絵画・夏の北海道の旅と今日の絵
こんばんは。 旅の音楽絵画をつくりました。 以下で クリックされご覧ください。
今日の絵は三つです;(朝日山動物園)(雨雲が追いかけてくる)(吉田善哉さんのハット)と
(トマムからの風景)
(朝日山動物園)
no 375Hokkaido in summer 2017
(雨雲が追いかけてくる)
(吉田善哉さんのハット)
(トマムからの風景)
おわり
朝日記170714 j北海道の旅行と今日の絵 2
十勝地方のノーザン ホールパークに遊ぶ
Morning after Hokkaido Journey 2
以下スケッチのスライドショー その2です。
(clouds)
(A pony is in shy)
(founder Zenya Yoshida's hat)
(Jokeys)
徒然こと二題 「制度論とモラリティ」 その1 「制度論」について
2017/6/13荒井康全
注(facebookでもご覧になれます)[1]
1.「制度論について」
徒然こと1 Institutionって?
徒然こと2「Social Institutionについて」
スタンフォード・哲学百科から
徒然こと3 所感 Institutionについて
2.「道徳革命moral revolutionということについて」
徒然こと4 敬愛する友人K.Mからの問いかけ‘moral revolution’
徒然こと5 Moralityについての見解
徒然こと6 所感 「悪意」と「善意」についての論の切り口
(表紙に帰る) ↓
1.「制度論について」[2]
徒然こと1 制度論Institutionって?
話しはとびますが、英語の文献のなかでInstitutionとこれと対になる語でagencyに出会いました。これらの日本語訳と意味がかねがね気になっていていました。特に、Institutionについて、ブリタニカ辞書あたりでは、かなり丁寧な説明がみられました。 また、現代の社会学では、なにを意味するかという視点で、座右の岩波哲学・思想事典とさらにスタンフォード大学の哲学百科(ネット)で見比べることをしたりしています。
日本語では、「制度化」ということに収まらざるを得ないのですが、我々日本人がこの言葉をどのように捉えているか自分を含めて、大変 おぼつかないところです。 多分、政府など公的機関での「制度化」としての意味論のなかで漠然としておさまっています。
具体的に指させば、政府、家族、言語、大学、病院、企業、そして法体系ということで一定の意味を表すことができます。
スタンフォードの解説を頭のなかでkeywordsで反すうしますと、こういうことでした。John Turnerという学者の定義ををご紹介します。
Intitutionの定義はつぎのように与えます;
1. 社会的構造の特定の形式において内在している位置づけ、役割り、規範および価値の複合体、および
2.以下を基本的課題としてもち、組織化過程にある人間活動で比較安定的な範疇のもの;①生命系の持続資源を生み出すことにおいて、②「個人」の再生産することにおいて、および③所与の環境の中での生きがいのある社会構造を持続することにおいてです。さらに加えて Giddensという学者は
3.それ自身が、社会生活の永続的な形態をもつものとします。
4.Harreという学者は、さらに、明示的で、かつ実践的な結果を伴う構造として表現しています。
たとえば、学校、店、郵便局、警察署、亡命、および英国君主をあげます。
ずいぶん まわりくどい定義をしていますね。
これには現代西側社会の基本問題への取り組みのパラダイムを含んでいるからであると考えます。
世界は、経済のグローバル化や持続型地球環境などを通じて、異なる文化的な価値の所有者間の問題不調性(共約不可能性(incommenceability))問題がさまざまな局面で登場します。
このようなことを研究するのは、社会学者の専業ですが、価値の根源問題を含むので哲学的な思考と行動枠組みとしての位置付が必要で、その意味で際立って学際的ならびに総合知による理念と概念構築が必要となっていると理解します。
そこで さらに加わるのが
5.Institutionの思考モデル概念としてはつぎの4つがあがります。
構造(structure)、機能(function)、文化(culture)、認可(sanction)
Institutionという概念は、そういう意味では、これまでの「制度化」ということは 異なる意味論をもっているということに気が付きます。 とくに文化が入ってくりところ際立った特徴です。 (sanctionの本来の意味が、聖なる至上の権威からの許しという意味をもつものに改めて興味を感じました。 単なるイジメで 思惟的に判断するものではないようです)。
徒然こと 2 「Social Institutionについて」
スタンフォード・哲学百科から
Institutionというこの解説は、5章からの構成になっています。 序論にはじまり、社会学的な背景であるつぎの二つが説明されます。ひとつは、Institutionでの集合的受容論(Collective Acceptance Theory of Institution)から、もうひとつはInstitutionでの目的論的な吟味(Teleological Accounts of Institution)です。
これを受けて、Institutionとそれを担う主体者であるAgency(任務者)との関係についてが第4章であつかいます。
終章の第5章は法的つまり Social Institution and Distributive Justiceです。
全体を通してみて、まだ理解は十分ではありませんが、おもしろいと思ったのは、このDistributive Justiceです。
正義(a right)と合法(a just)は異なる概念として説明します。ホロコーストは、正義ではないが、合法ということはありうるというものです。 正義と合法は同義ではないところです。
もうひとつあげますと、刑法(Penal law)は基本は復讐法(Retreat law)とあげ、Institutionでの問題次元とは、きりはなします。(cf. as fundamentally problem of relatively safe sustainable life-resource )
ここで出てくるのは、共約不可能性問題のように、問題ごとに 公正的(just)であるか、非公正的(unjust)であるかがわかれるような懸案が日常に表れる場合です。これを Distributive Justiceと呼んでいます。(日本語では如何に訳されていますか?)この典型的な例は、社長が一般従業員の50倍の給与をもらうのは、正義(a right)であるか、公正(a just)であるかという問題としてでてきます。
西側の世界では ルールとして'primo facie unjust'という原則がここで紹介されます。上のような事実が出てきたときに誰も、非公正unjustとしてなにも言わないならば、これは合法(認可)とされるとします。
メンタルの根底には 正義(a right)の問題をのこすことは想像されます。ここでの解説で一番おもしろいのは,アメリカは、ときに、「非公正社会」といわれていると言い切るところです。(the USA is sometimes said to be an unjust society.) よくいえば、justとunjustのせめぎ合いの弁証法的な展開をしているとみるべきでしょう。(問題があるから建設的という逆説にもなります)
正義の問題は、宗教や道徳をふくむ価値の問題と考えられます。 その不調性が知的枠組みのそとに置かれることが、共約不可能性として社会的な不安定性を醸(emergence)することになるというものです。
この問題は、'Absence of Social Institution'として基本問題の認識とその取組みの社会的認知(認可)をすること(a sanction )の重要性を説きます。(ある意味で「問題の発見」であるともいえます)
徒然こと 3 所感; Institutionについて
所感としては、つぎのことをいまあげておきます。
1.Institutionを、構造~機能~文化~認知のシステムとしてとらえるところが、これまでのシステム情報論に対して、あたらしいシステム論に向かわせることになるものであると理解しました。 つまり、これまでのサイバネティックスの思考枠組みは 基本的には
目的関数(入力と出力、目的限度判定)+制約条件(構造~機能)でありました。ここで、文化とその認知(つまり価値または目的)はこの問題の所有者の価値の自由でありました。
別の表現をすれば Noumenon(思弁系、理念系)とPhenomenon(現象系、概念系)で後者については思考モデルとしては明示的に努力するが、前者については人間の自由という名において、切り離します。別途に文系学問のなかでの組織機能論などとして、自然系とは独立的な枠として考えられてきたようにおもいます。
2.ところでやや唐突であるが日本の近代産業社会は、ある側面で、きわめてinstitutiveであったという思いがあります。たとえば以下の例です;
*東京帝国大学に工科大学を世界で初めて設立したこと、科学を技術として制度的位置づけ つまりInstitutiveにしたこと。
*(TQC 話はすこし古いですが)日本の品質管理運動で、全社的品質管理の理念は、企業文化を上下のカウンターカレントな活動を顕在し、欧米の品質保証を凌駕していたこと。
これは’初期的 Institution ’でもあったとも顧みるものであるがいかがであろうか。
3.Social Institutiveという思想・哲学上の枠組みへの発想は未発達で来たのではないであろうか。 たとえば日本の近代産業社会全体をInstitutionの設計としてまとめ得ていない。
*ISOなど世界標準、Industry 4などのロボットネット産業や、太平洋パートナーシップTPPしていく設計力が期待される。これによる国際的な説得力を確保されよう。
以上です。大分ながくなり、何ら熟慮未達です。ご意見をいただければ幸いです。
(フィギュア二態)
徒然こと二題 「制度論とモラリティ」 その2「モラリティ」について
2.「道徳革命moral revolutionということについて」
徒然こと4 敬愛する友人K.Mからの問いかけ‘moral revolution’
徒然こと5 Moralityについての見解
徒然こと6 所感 「悪意」と「善意」についての論の切り口
(表紙に帰る)↓
朝日記170613 徒然こと 「制度論とモラリティ」と今日
朝日記170525 五月のおわりの朝と今日の絵
おはようございます。このブロッグのGooが提供するアルバム・フォーマットを使って
朝のスケッチアルバムを作ってみました。
音楽がはいりませんが、これを音楽絵画の一部に使う実験もしてみます。
今日の絵は(垣の花)です。
五月のおわりの朝
(垣の花)
(注 冒頭にもどる↓)
朝日記170314特集翻訳Hermann-Pillath 「エントロピー、機能(関数)および進化」(I)
(2017-03-14 18:32:48 | 自然科学と工学)
朝日記170314特集 翻訳Hermann-Pillath 「エントロピー、機能...
朝日記170314 Hermann-Pillath IV(第4章)
第4章 機能(関数)、進化およびエントロピー
4. エントロピー および 記号論:自然学化パース
Entropy and Semiosis: Naturalizing Peirce
機能(関数)から記号論への概念的な移行を完結するために、(図 2a)にあるように、もっとも単純な機能(関数)を考えることが有用である。
すべての機能(関数)は、その機能(関数)を支持する因果(原因)インパクトとそうでないものがあるが、それを区別するメカニズムを含有している:機能(関数)はselectiveつまり、選択的である。このことは、確かな証拠となる適正な機能化(関数化)の記法(概念)のための基礎である。 われわれが、システムOによって物理的なシステムAの然るべき物性を同定するために、もし、失敗となる機能(関数)を失敗として、考えるなら、これは根拠になるものである。ただし、OによるAの関係は機能(関数)の基本的であるものとする。
目的論的意味論では、このことは代表体として著すことの失敗の問題である。この場合は機能(関数)への失敗として理解される。このことは分子レベルでさえ可能である:ある理由で、酵素が基体と活性サイトとの間の適正な関係を築くのに失敗したかもしれない、すなわち、分子として誤った同定をしてしまう場合である。 これは基体分子の特定部分との関係であるように、我々はこの部分は基体の記号であるということができる。もっとも一般的な意味で、われわれは以下にのべることができる(Matthen[95]、および上述の記号を使って):
もし、Aへの関係においてその原因性からの帰着がZという意味(項)において、この属性が適当な機能(関数)化を起動(原動)するなら、機能(関数)Fは、対象システムAに対して aという様相featureの属性を擁している。
もちろん、この定式化は、以前の解析の要点の繰り返しであるが、重要な概念上のひねりは, 様相feature a である。あきらかに、この様相aは記号であり、さらに、もっとも基礎的なパース的意味では、より正確に表現すれば、記号移動体 ‘sign vehicle’である。
Entropy 2010, 12
222
目的論的意味論での用語では、これは代表化“representation”、特に、精神的代表化“mental representation”のような表現になる、そしてこの言明についての要点は、したがって、代表化は意味を持たず、ただ機能(関数)であるということになる。
用語として記号“sign”は、比較的良い選択であるようである、代表化“representation”という用語のもつ沢山の課題からの意味の含意を、最初の段階から含まないからである。
かくして、特定の分子の形状は基体をあらわす代表“represent”としない、なぜならそこには何ら人間の精神的な中間体mental intermediateを含んでいないからである。しかし、それを基体の記号“sign”と呼ぶことができる、それは基体の他のすべての物性がその酵素の適当な機能化(関数化)をトリガーにかけるのに直接に適正でないという意味においてである。
4.1. 固有の機能化(関数化)としての記号論の再構築
Reconstructing semiosis as proper functioning
もし、われわれはがより複雑さへ、とはいえ、まだ原始的な生命の形態ではあるが、これに着目する意識に切り替えるなら、記号論への移行に明確に理解することになる。
Ben Jacobと共同研究者は、Schroedingerの生命定義がバクテリアには適用できないことを論議してきた。なぜなら環境での潜在的な情報源から食べものの在処についての自ら発現する内部情報について、基本的な役割りを見失っているからであるとした[11,96]。
この分析は機能(関数)の進化についての本著者の論議と対応するものである。バクテリアに関する中心的な経験観察は機能(関数)の選択性にある、これによって、その環境での食物資源の探索と消費へのチャネルを形成するのである。たとえば、バクテリアは機能(関数)を進化させ、それらが彼らをして、いまある環境のなかでの異なる砂糖の成分を分析することを可能にさせている。これによって、かれらは最も好ましい資源を同定する。これには時間とエネルギーをフィーディング・システムに投入して、はじめて可能にするものである(このことは さまざまな抑止子repressorと活性化子activator の遺伝子の結合を経て起こるものである)
さらに、 他のプロセスは グループレベルの効果によっても支援されている。それは たとえばバクテリアのコロニー内での効果であるが、たとえば子実体への移転などでの共同機能調整の形式にも到達している。 このような現象は、前にも触れ解析されたケースであるが、グループ選択に相当している。この主要効果はバクテリアをして、環境内での、さらに複雑な文脈の情報を処理することを可能にさせている。また、このことは、個別の遺伝的機構単位の意味での能力容量を超えているといえる。
すべてのこれらのプロセスでは、言語“language”について語るための十分な共同場が成り立つ、たとえば化学言語“chemical language“である。 この言語‘language’は用語としては沢山の様相を提示している。それは、文法的syntaxのような、機能化(関数化)表現調整するための単純な形式を持っていない。したがって、生命記号論的意味での、記号‘sign’概念の使用は、より相応しいappropriateようにみえる。バクテリアでのこの一瞥が意味するものは、目的論的意味論teleosemanticからの分析では、機能(関数)functionと対象システムan object systemとの間の相互干渉で抽出される様相化featuresを見ていくのである。 上述の節で、著者はこれを観察‘observation’と呼んだのであった。 機能化(関数化)進化functioning evolutionは、構造化が増大する度合のなかでその着地点に到達する。
もし本節でのこの展望を認めるなら、つぎのような結論になろう:その記号signの記法(概念)は対象システムan object systemの制約条件constraintsに相対的である。これについてはすでにこれまで例示してきたし、前節でも触れてきたものであるが、目的論的意味論での感覚的意味senseでは、その記号signは、対象システムobjectの制約条件constraintsを反映している様相a featureとになる。このことはさらに、制約条件が、その機能(関数)の固有の機能化(関数化)functioningと相対的でもある。この相対性は、他のすべての対象システムとの機能化的(関数的)とは直接相互に関連しない物性irrelevant propertyiesに対して、最大エントロピー状態での意味で、関係づけられるような道筋において行われるものである。
これらの初期の思想は、記号sigbについてのパース分析について、よりシステマティックな枠組みに置くことができたている。機能(関数)functionのケースであり、原因causalityに関しての二元論では、機能(関数)functionもまた、記号論での基本的プロセスとして分析されることができるという事実を反映している。
著者は図9に 記号signについてのパースの記法(概念)を例示すべく共通想念を示す。 パースは対象objectと、記号sign(記号のりものsign vehicle、初期での代表体’representation’)および、翻訳者interpretantの三つの区別を位置づけたのである。この三元系構造triadic structureは、一般にはかれの講義のなかで語られた理念ideaであったが、記号と対象という二元系関係の単純理念ideaを超えて現在に来ているものである[98]。
Entropy 2010, 12
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記号signと対象objectは、基本的に翻訳者interpretantと関係している。それは機能(関数functions)の構成要素componentsをについて二重の意味で、等価(equivalence)とするために、単純化(straightforward)になっている。第一に、三元系構造は、 機能(関数)function=翻訳者interpretantを媒介として原因cause=対象object とeffect効果=sign記号の関係にして、原因性causalityの異なる構造を反映している。
第二に、同じ三元系構造を機能(関数)functionの分析のために使う:この対象objectは 対象システムobject systemに対応し、その記号signはその機能(関数)functionにおいて効果effect Zに対応相当する。そしてその翻訳者interpretantはZ’をもつ内包機能(関数)である。
このXは 二つの原因との間を物理的に結ぶという意味においてピボットである。ひとつはAからXへの直接の物理的インパクトであり、もうひとつはXとZをふくむ機能的(関数的)原因性である。図2a)によれば、ふたつの関係a) とb)の関係である。この絵の表現において、最も重要なことは、記号signが外部にある機能(関数)ではなく、事実上、ここでの機能(関数)の部分である。そして自然は,記号signとして内包的な関数embedding functionに依存している。 これは、記号論的文脈での観察者相対性の記法(概念)の厳密な言明である。
図9.機能(関数)と記号論
記号signは全体の構造での中心的な位置を獲得している。なぜならい対象objectsは直接に観測可能なものではなく、しかるべき観方aspectを媒介してのみ観測いえたものとなるものである。この観方aspectこそが、記号signである。著者は記号signのより複雑な術語の探求はここでは、しない。これはパースに敬意をはらい、かれの学術的交信を通じて、全生涯をつうじての開発でもあるからである[99]。
われわれがもし、この理念ideaを機能(関数)functionの一般構造として使うなら、図9のマッピングを理解するであろう。中心となるポイントは、記号論とは、つぎの機能(関数)functionとみることができよう。すなわち、対象システムAと機能(関数)functionのなかでのXの間の基本的な原因関係に意義があるのではない、Z’との関係をもつ固有の機能化(関数化)functionizingからの結果がZであるということ対coupleになって、はじめて有意義となるのである(関連する分析として目的意味論telesemanticsについてはcognitive neuroethologyがある。Neander[100]を見よ)
したがって、このZはパース的な意味での記号signであるといえる。われわれはミクロ‐マクロの明確な区分を参照することができる。なぜなら、このZは、単にその対象objectの然るべき物性を反映しているというだけの理由のための記号であって、その全体性のなかでの対象objectではないからである。
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この意味で、われわれは Zと対応相関する物性を、観察者相対的な現象として理解しておこう。これは対象objectの発現する物性としてみるものである。この記号signは、対象objectの状態空間の制約条件constraintsとの関係である。これは、これら制約条件は、観察者相対的な対象objectとして定義するために基本である。つまり 制約条件は、対象AとXのあいだの原因関係に制約を加える他の機能化(関数化)functioning関係すべてを意味する[98]。 このことは前節で記述したMaxEntプロセスの結果を反映している。そしてオリジナルのパースの流れとしては、彼自身が ‘tychism’と呼んでいるものの背景から見られるものである。この視点は、彼の存在論的なもので、すべての現実性は推計論的stochasticであり、厳密法則は可能ではないとしている、進化論プロセスでの発現する規則性のみを対象とするものである[21]。 MaxEntプロセスの分析において、われわれはJaynesの推論記法(概念)から開始したが、ここで、もう一つ別のパース概念を取り入れることにしょう。それはアブダクションabductionである。
パースの論理的システムで、アブダクションabductionは仮説発生のプロセスである。ここでは経験的検査によって選択されて、発現したという意味でのものを基本的な推計論的世界stochastic worldとしている(進化論的認識論のポパーPopper版[65])。われわれの文脈では、アブダクションabductionはジェーンズ推論Jaynes inferenceの(時)系列と対応するものである。この場合に意味は、翻訳者interpretorと相対的に記号signは、その対象objectに課せられる制約条件conatrainsの指示者indicatorとして見られることになる。 演繹された結果としての制約条件は対象と翻訳者との間で、さらなる相互干渉となり、この干渉がまた、その記号the signのさらなる様相化modificationへと繋がっていくのである。
かくして、アブダクションabductionは自然学化される。このアブダクションabductionは、記号signと翻訳者interpretorの進化論的(時)系列を参照していき、この過程を通じてその対象the objectが置かれている物理的制約条件の集合体に収束していく。このことを敷衍すると、翻訳者の進化は基本的に、対象object側での物性の発現と相関するものであるということになる。このプロセスは、パース的な意味では、目の前の即時的な対象’immediate object‘と力学的な対象‘dynamical object’との間の区分によって把握される。すなわち、存在論的な意味での対象objectは、進化する機能化(関数化)evolving functioning における記号signsとして操作する発現物性となっている対象である。 このプロセスもまた、情報の蓄積を含むものである。しかしそれは、単純なシャノンShannon情報を超えての意味論的情報の意味でのものである。 この情報進化は、状況的対象‘immediate object’から、力学的対象‘dynamical object’への発現に対応するものである。
パースの意味で、進化している情報の認識論的プロセスをアブダクション’abduction’としてみる、これは 機能(関数)の進化the evolution of the functionsに伴うジェーンズ推論Jaynesian inferenceの(時)系列として再構成することができよう。この分析は、仮定の基礎を提供する。その仮定とは、記号signsが単に任意ではなく、対象objectsは制約条件を記号signsの上に置かれるし、また逆に記号signが制約条件を対象objectの上にも置かれることもあり得る。もし記号signが適当な固有の名称のもので、任意であるとすれば、見過ごすものが出てくる、それによって記号signの使用が、その対象の制約条件constraintに究極的に関係している法則の事実の見過ごしことになる。もし、固有の名称をあたえることは、それが一個の人間を特定(同定)する機能(関数)をもつなら、固有の機能化(関数化)のために、これをゆるす。
固有の機能化(関数化)には、その名称がしかるべき判定を参照する。ここでは、誰に対して、そして何故という意味のもとに名称が適用される。 かくして、記号signの如何なる種類でもその対象objectの状態空間のしかるべき制約条件とその記号signの間で、ひとつの関係を確立する。要素的機能(関数)elementary functionsがその翻訳者interpretorという意味ではない。
その要素的機能(関数)ががその機能(関数)the functionのなかに内包されている場合embeddednessことを翻訳者としてみるのである。換言すれば、ひとつの機能(関数)functionが記号signと対象objectの関係を確立し、その機能(関数)を他の機能(関数)のなかに、内包することによってのみ、パースの三角形を完結する、つまり機能(関数)記述としての Z‘を意味する。
このことから、いま問題にしている因果関係が多様な道筋で翻訳されることができる。特に、翻訳者の進化について述べることができる。これはアブダクションabductionの記法(概念)に相当するものである。このことは、上述のように、記号論の力学的プロセスを考える場合に、パースによって強調されてきたのである。ここでは、対象the objectは、記号signsが増大し、より複雑化することを媒介にして,その差異が増大していくのである。
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このプロセスはいまや Z’, Z’’, ….の機能(関数)の進化している巣網化としてみることができる。われわれは記号signsが如何に力学的に進化するかのより精確なアイデアをもつことになる。 たとえば、ひとつの単純な酵素反応、これは基本的機能(関数)functionであるが、階層的構造化された生物学的組織のなかで、この機能(関数)が、翻訳者interpretantsが、増大化する複雑システムのなかに組み込embeddedまれることによって、さらに、さらに複雑な役割りを獲得する。
パースの三元系では記号signが情報を運ぶのではない、しかしその情報は、翻訳者interpretantとの関係によって生れることは明らかなものである。 この論議の一部は、シャノン情報への分離した線を描くことを許している。 記号の状態空間のような記号使用に関係することは不可能であるであり、同様に可能なメッセージの空間においてのメッセージa messageを考えることと類似した発想である。 このことは、記号論のプロセスが、物理的表現で見られるように、機能(関数)の進化のMaxEntプロセスを含むものである。
つまり、翻訳者というのはひとつのプロセスであり、原初的な対象object‐記号sign関係へと、さらに、さらに複雑な内部文脈へと導くのである。 これは結果として、エントロピーOR entropies ORの系列になる。つまり われわれは意味の範疇category of meaningへの参照をここで要求しない。なぜならここでは情報の観察者の相対的な役割りを示すことを狙うのではないからである。 意味は機能化(関数化)の階層性のなかに「溶解」していくのである。換言すれば、もし意味について問うならば、より高次の水準の機能(関数)を問うということになる。
そうではあるが一方では、シャノンの意味Shannon senseでの機能(関数)の系列での特定エントロピーORを翻訳することができる。そしてシャノン情報の系列として、エントロピーORの系列を考えることもまたできるのである。しかし、このことは基本的な力学的プロセスの静的なスナップ・ショットに限定したという意味であり、複雑性の増大を捉えることには失敗するかもしれない。この複雑性は機能(関数)の進化Z’ , Z’’ …..を継承しているものである。
これをつぎのようにみるとわかりやすい:機能(関数)の内包性は、進化をとおして記号signsと翻訳者interpretantsの役割りの変化と等価(equivalence)である。すなわち、ひとつの翻訳者は、より高次の水準での機能(関数)での記号signになる。その高次の機能(関数)はさらに段階を拡大して力学的対象としての複雑性を増大していく。
著者はこれを図10にして、パースの三角形の鎖として記号論的関係の結合化を示す(関係アプローチとして[36]をみよ)。このことから、その状況での対象the immediate objectは全体プロセスの錨役となって留まっていて、この力学的対象the dynamical objectが進化構造に対応するものである。
図10 無限に展開する記号論的鎖として見た機能(関数)の内包性
遺伝子情報の初期の討論へ帰るための説明として新しいパース三角形を考えるのも有用かもしれない(図 11)。このパース三角形図では、遺伝子genomeは対象objectの役割りを獲得し、タンパクprotein は展開プロセスdevelop processから発現した遺伝表現としての記号signsとしての役割りを獲得している。 中間の化学反応は、その中心にあり、ここではXに相当する。 ただちにわかることであるが、情報informationは遺伝子genomeには留まっていない、しかし記号signとの関係において留まっている、つまりタンパクとの内包機能(関数)である。それらを著者は、単純化のために細胞cellと称する。遺伝子は、この見方では、情報を運ばないのである。
Entropy 2010, 12
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遺伝子について著者が、ここで適用したパース三元系版は、EmmecheやHoffmeye[97]による初期の試みから続く生命記号論系でのアプローチとは実質的に異なるものである。これらのアプローチでは、遺伝子genomeは記号a signとして、またタンパク質はその対象the objectとして取り扱っている[26]。
この考えは、遺伝子についての古い情報論的な誤解を引きずっており、本論文で、批判的に論じているものである。遺伝子genomeを記号signとして扱うことが、その情報プロセスでは、ピボットの役割りを指定している。本論の著者の分析の背景は異なるが、唯一納得できる仮説は、階層秩序化した器官、巣網化した機能(関数)システム、および対象the objectとしての遺伝子the genomeである。
これは、また概念的な相互干渉のために許される 。図9に生物学での対応記法(概念)で、三角形の三辺を等しくおいた:展開developに対応する物性の発現emergence、進化evolutionする生体システムの複雑性の増大、および増大する複雑な生体システムへの発現する物性間の(記号signsとしての)関係が情報informationに対応している。 このプロセスでは、裸’naked’の遺伝子genomeは、直接的な対象である、そして存在論段階としての系列は力学的対象として異なる状態に対応している。
図11 遺伝子型/表現型関係での機能(関数)と記号性
このアプローチは沢山の興味ある洞察をあたえよう:著者はここで人間個体としての理解としてできるという意味で、三つの説明枠を図に添えた:称して、遺伝子型genotypeと表現型pheontypeである。 表現型phenotypeは遺伝子型genotypeについての情報と結びつき、その関係が、環境内において意味する内包機能(関数)embedded functionを前提とすることによって、そこに滞在(reside)するものとしている。このようにして人間個体の様相をグループgroupとして位置づけをすることになる。これらによって、対象object、ここでは、遺伝子型genotypeとの事実関係を同定することになる。
これらは、もっとも重要な例として、人間グループが構成される。このグループは、そこに属している個人の様相が特定(同定)される集合であり、個人はその対象である遺伝子型との関係として繋がっている。
展開developmentは、対象objectと記号signとの間で、然るべき起因の相互作用が機能的(関数的)に特定されspecified、保持されenhancedまた、創生的createdされるのである:展開developmentがなければ、遺伝子に蓄積されるいわゆる情報は何ら有意義性を持たないのである。 このことは、精確に 純粋シャノン翻訳において なぜ、パリティ命題parity thesisが保持するかの理由になっている。つまり その情報は表現型phenotypeのなかで表現されている。したがって、phenotypeのなかで現れたと言われる情報が遺伝子genotypeや環境の中に運もばれているとみるのである。このパリティ内でのpheno-genoの二つの間の行き来の振動はパース三元系によって解決できる。
なるが故に、類似の遺伝子物質がなぜ異なる組織で 際立って異なる効果をもつのかが直裁的に理解できる。 しかし同時に沢山の効果が特定(同定)帰着identityすることも保持している。また、遺伝子の複雑性と器官組織の複雑性との間に何故、明瞭でない関係があるのかも示唆している。 閉ざされた殻内で、最も有意義な差異として、ネズミの遺伝子と人間の遺伝子との間をどう見るかである:人間の遺伝子は人間の器官組織の部分であり、そしてネズミのそれはネズミの器官組織部分である。このことは、記号論で問題に関わった翻訳者interpretorでの差異であり、その対象the objectにおける差異ではない、つまり、遺伝子gennomeの違いではない。
しかしながら、同時にわれわれはつぎのことを認識しなければならない。図11に示すように記号論的連鎖では、遺伝子が錨(anchor)の役割りを持ち続けるのである。
この感覚でのみわれわれは進化での遺伝子の中心的役割を語ることができる。
著者の議論での過激な結論として、記号論は意味の概念を要求しない。パース記号論がなにを、意味するかは、閉ざされた「殻内」にある。パース三元系の再構築においては、標準的な意味を占める場所はない。 翻訳者はふたつの機能(関数)レベルをつなげる機能化(関数化)を行う。換言すれば、もしわれわれが、意味するもの’meaning’を目で見ることをもって初めて信じるというなら、われわれは未だ内包機能(関数)enbedding functionを認識していないことになる。
さて、もしわれわれがすべての機能(関数)がある道筋で相互につながっていていると認識するなら、また存在論全体として分割切り離しが起きないとするなら、われわれは記号圏域の一般原理を言明することができる。
Lotman[103]が使っている記号圏域の記法(概念)は純粋に精神学者的意味であり、文学、芸術および言語に関係している。Hoffmeyer[104]は、それを一般に生体システムの範疇に拡張した、すなわち生命圏域と記号圏域の間に等号式を置いたのである。
本論の著者は、ここで自然学的翻訳を行っておく、すなわち記号圏域は機能(関数)的に相互に通じている記号の物理的集合を含むとするとする。
実際的なこととして、またLotman彼自身による検討を翻訳しておくと、記号圏域はまさに生命圏域と同一である。これはロシアの学者のVernadsky(Smil[105]による歴史的評価を見よ)の意味と共通している。
明らかに、生命圏域は生きて活動しているシステムのすべての機能(関数)の集合である。これはLUCA(最も後での宇宙的な共通先祖)から継承され、かくして現在において生命機能の最も単純にあって、そして、それ故に、図10に示すような無限記号のケースとなる。
この展望を適用していくと、記号圏域と生命圏域は丁度コインの裏表になり、共通の物理的事実となる。このことは 先に行った分析で、機能(関数)におけるエネルギー流の役割りが記号圏域にも適用することを含むものである。これは自然学化パース記号論での最終段階である。
朝日記160703 No.317ヴァリエーションと今日の絵
おはようございます。夏の陽射しの日が続いています。
No.317ヴァリエーションを掲載します。今日の絵は 静物二点です。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLJ-2JTwLfCf0qTA374qAWj15y0x0itrC2
(習作静物2)
(静物習作3)
朝日記160703 No 317マーリンズ・バーart-cosmos と今日の絵
敬愛する安部忠彦さんのウィスキーバー を訪ねました。 ここに 目下 わたくしの作品を掲示していただいています。
これを音楽絵画としてご紹介します。
Ongaku Kaiga No 317マーリンズ・バーart-cosmos
ひとりもよし、気の合ったともとかたるのもよし、さまざまなブランドのスコッチを楽しまれることをお奨め申しげます。
ランチタイムで ハヤシライスを食しました。これは秀逸でした。
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マーリンズバー の案内
http://bar-navi.suntory.co.jp/shop/S000006547/coupon_map.html
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以下は今日の絵です。
(習作 Bites)
(習作 夏の海)
朝日記150216 新しい音楽絵画 春 と今日の絵
こんにちは。 きょうは暖かいひでした。風もなくおだやかでした。
音楽絵画です。 今日の絵は一村もオマージュです。
No 247b Isson sakanoboru 春
朝日記150212 今日の絵「アダンの実と海」
2/12 おはようございます。あたたかな朝です。
音楽絵画は202 ボルナールヴァリエーション「さすらい人」、
音楽はベートーヴェン スプリング・ソナタです。
(これをBGMされ アダンの実のある海をご覧いただくのも乙ですかな?)
https://www.youtube.com/watch?v=xgUM4BL85IE&list=PLJ-2JTwLfCf2x9xUbrrXaaDBBpG5JtVbD&index=1
徒然こと
クロッキーでいつも新聞紙大の用紙をつかっていますが、しばらく会場の関係で例会が休みですので、発想の対象を変えて これをつかって 人物以外の対象を描いてみることにしました。 初めに すきな田中一村の世界であそんでみることにしました。 あたたかい冬の午前の日差しをあびて ウッドデッキで、アダンの実のある海をオイルパステルで描きました。 facebookにもこれを掲載しましたのでご覧ください。(画面の右のfマークをクリックするとはいれます)
徒然こと おわり
アダンの実と海 一村へのオマージュです。(左側の小さい絵はサムネイルです。画面をクリックすると大きく
ご覧になれます。
朝日記1150112 孫娘の成人式を祝うと今日の絵
夕刻になってしまいました。
きょうは 大学二年の孫娘の成人式でした。
きょうの準備のためにこちらに泊る。朝着付けに
家内が送る、孫娘の親たちがあらわれる、
すっかりコスメティック仕上がって別人になった新成人。
家の中は 歓声をあがって、それと けつまずきながら かわるがわる並んで記念撮影そして 車に一族が詰めて会場へ主役を送り出しました。
なんとテーマパークの広大な花壇のようなはなやかさです。
式典の方は おどろくほど静かで 司会者が戸惑っていたほどといいます。本人は このあと 大学でのなかまのコンパへの走ります。 あと帰りの迎えも あります。
きょうは天候にもめぐまれました。 どこかしこも円満なる成人式であったであろうことを想像し めでたし、めでたしとします。
応援団の方が 本人抜きで昼の祝杯になってしまいました。